2024年12月5日木曜日

エンタメ小説新人賞応募を考えている皆さんへ ・ 小説新人賞応募者に是非とも伝えたいこと《第2弾》 ・シリーズ Part 1~Part 5(16000文字)全5回一挙掲載



確実にエンタメ小説家になるにはこの道しかない  


(Part 1)


エンタメ小説家を目指すのならこの方法がベスト

結論から言いますと、エンタメ小説家を目指す方法は、次の3つ

オール読物新人賞」

「小説現代長編新人賞」

「小説すばる新人賞」

に応募するのがベストです。

断言しますが、プロを目指すならこの方法をおいて、他にお勧めできる選択肢はありません。

この他にもメジャーな新人賞はあるにはありますが、江戸川乱歩賞、新潮ミステリー大賞、日本ファンタジーノベル大賞などは、いずれも対象分野がミステリーとかファンタジ―など限定的です。

したがって範囲の広いエンタメ小説の応募には上の三つが最適なのです。

以下、お勧めする三つの新人賞について、応募経験者がその理由を詳しく語っていきます。

小説家を目指すあなたが、回り道をして、努力が徒労に終わらないためにも、ぜひこの方法を選択してください。


 そもそも何故この記事を書くことになったのか

私のブログ「生涯現役日記」には、4年前の2020年にも小説新人賞に関して「小説新人賞応募者に是非とも伝えたいこと」というタイトルで11,000文字の記事を載せました。

この記事が思いがけずヒットして、現在に至るまで長い間グーグル検索上位掲載が続いています。

実は最近ネット上でこの記事に内容がよく似た「応募すべき文学賞【作家に直結する小説新人賞】」というタイトルの記事を目にしたのです。


偶然目にしたネットの人気サイトが推奨する小説新人賞は、私が推すものとまったく同じだった

ネット上で目にした記事のタイトルが非常に気になったのでさっそく検索してみると、なんとアクセス数が30万件以上もある人気サイトではありませんか。

この人気ぶりに強く引きつけられ、さっそく読んでみたのですが、その内容にすっかり共感してしまったのです、

それというのは、上述したように、以前私がブログに書いた記事の内容と比べて、要点が非常に似通って(ほぼ同じ)いたからです。

要するに「この人も自分と同じことを言っている」と思い、一瞬のうちに強い共感を覚えたのです。なにしろ30万件を超えるアクセスを得ている人気記事だけに説得力があり、余計にその思いが強かったのです。






「ネット小説サイト」の台頭で新人賞の選択肢が増えたが

「エンタメ小説家への道」は30年前と少しも変わっていない

誰でもそうでしょうが、私も世の中は年々進化して変わっていくのが常だと思っています。

でも「例外もある」という思いを強く持ったのは、上述のように、最近ネットで見つけた記事を読んで、「エンタメ小説新人賞」に関する事情が30年前とまったく変わっていないことを知ったからです。

それと同時に、30年前に私が身をもって経験したことのように、この記事に書かれている方法こそ、エンタメ小説家になるためのベストな道だと確信したのです。

ではなぜ確信したかについて、これから順次検証しながら説明していくことにします。


なぜこの三つへの応募を薦めるのか


でもなぜ「オール読物」「小説現代」「小説スバル」への新人賞応募を小説家になるベストな道として皆様にお勧めするのでしょうか。その大きな理由は次の四つの点にあります。


・三つとも日本をする代表するメジャーな出版社が主催

小説家を目指すなら、まず大事なのがメジャーな出版社とつながりを作ることです。理由は三つあります。

その第一は読者が多いからです。読者が多いということは、小説家になったとき、自分の作品を読んでくれる人が多くなるということで、つまり作品がよく売れるということにつながります。

第二はメジャーな出版社は実力ある人気作家とのつながりが強く、発行している「オール読物」「小説現代」「小説すばる」などの雑誌に作品がよく登場します。

またこうした作家が新人賞の審査員になることが多いので、応募した作品を目にしてもらう機会が与えられることになるのです。人気作家に自分の作品が目に留まり認めてもらうことこそ、作家への早道なのです。


・多くの作家を輩出した実績がある

例えば大学入試を考えてみてください。目標が一流大学で、そこへ入学するための進学塾を選ぶとします。

まず考えるのはその塾の過去の進学実績です。いうまでもなく、過去に一流大学に多くの入学者を出した実績のある塾を選ぼうとするはずです。

作家への道もこれとまったく同じで、過去に多くの作家を誕生させている新人賞応募こそが作家になる早道なのです。


・有名作家とつながるパイプが太い

同じ小説新人賞でも、メジャーではない弱小(マイナー)な出版社が主催するものは、審査員もまたマイナーである場合が多いようです。

したがって、そうした人に認められて賞を取ったとしても、作品が売れる確率は少ないのではないでしょうか。なぜなら読者は出版社や審査員を見て作品を評価する傾向があるからです。

こうした理由からも、上でも述べたように、実力ある作家と太いパイプで結ばれたメジャーな小説新人賞がおすすめなのです。


・作品のクオリティが保証される

小説を読む読者はいつもクオリティの高い(おもしろい)作品を読みたいと思っているものです。

とはいえ、作品名や出だしを少し読んだだけでは、それがよくわかりません。それを助けてくれるのが出版社名や審査員の作家名です。

つまりこのどちらもがメジャーなら、クオリティが高いと判断して間違いないと思っていいからです。


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確実に小説家になるにはこの道しかない  !


(Part 2)


エンタメ系と純文学系は分けて考えなければいけない

この記事はあくまでエンタメ小説家を目指している方々を対象にしたものですが、そうした方々に是非ともお伝えしたいことがあります。

それは小説新人賞にはジャンルによって区分があり、いくつもの種類があることです。

これを知っておかないと、間違ったジャンルの新人賞に応募してしまう恐れがあります。

もしそうだと、いかに優れた作品でも、正しい評価を受けることなく、落選という烙印を押されてしまうのです。


ジャンルの異なる新人賞への応募だと優れた作品でも予選で落ちる

上述のように、小説新人賞応募者はジャンルごとの種別を知っておかなければいけないのです。

メジャーなものに限って大別すると、純文学(芥川賞系)の新人賞を主催する雑誌が、文学界(文藝春秋)、群像(講談社)、新潮(新潮社)、スバル(集英社)など

エンタメ小説の方が、オール読物(文藝春秋)、小説現代(講談社)、小説すばる(集英社)です。

これを知らずジャンルを間違えて、例えば純文学の新人賞にエンタメ小説の原稿を送ったらどうなるのでしょうか。

この場合、はたして受け取った出版社は、応募先のまちがいを理由に原稿を送り返してくれるでしょうか。

いいえ、残念ですが決してそんなことはありません。正式応募作品として受理して審査され、内容がそぐわないとして、あえなく予選落ち扱いにされるだけです。

それがいかに優れた作品であったとしても、ジャンル違いとあれば、致し方ないのです。


マイナーな新人賞では小説家になれない

では小説家になれるのはメジャーな新人賞を目指すのがベストということを知らずに、マイナーな新人賞で入賞した場合はどうでしょうか。

いまは一昔前と比べてインターネットが普及したこともあり、ネット小説なども生まれて、そうしたものを対象にした新人賞も生まれたせいで、小説新人賞の数は驚くほど増えています。

でも勘違いしてはいけません。賞の数が増えたと言っても、作家への道が増えたのではないのです。

part1でも述べたように、今も昔も小説家へのベストな方法はメジャーな小説新人賞応募をおいて他にはないのです。

仮にマイナーな新人賞を取って小説家デビューを果たしたとしても、それは弱小出版社から、一回のみ少部数で作品が出版されて終りになることが多いのです。

はたしてこれで小説家になれたと言えるでしょうか。


エンタメ小説家になるには、まず三つの新人賞で予選突破を目指す

メジャーな小説新人賞三つの応募で、すべて予選突破した筆者だから云えること

このシリーズPart1でも書いたように、エンタメ小説家への道はメジャーな三つの新人賞(オール読物新人賞、小説現代長編新人賞、小説すばる新人賞)に挑戦する以外、他に道はありません。

こう断言できるのは筆者がその三つの賞に応募して、一回目の応募ですべて予選を通過できたからなのです。

これが何を意味するかといえば、ターゲットにした新人賞がすべて私の作品をエンタメ小説と認めてくれたことになるのです。これはエンタメ小説新人賞として応募先が間違っていなかったからです。

これがなぜ大事なことかというと、せっかく作家を目指して応募した新人賞でも、応募先の選択を間違うと、作品がいかに優れていても正しい評価を受けることなく、一次予選であえなく落選という憂き目を見ることになってしまうのです。


自分の作品はエンタメ小説と認識していた

小説の種類は大きく分けて、純文学系とエンタメ系に分けられますが、大事なことは応募前に自分の小説がこのうちのどちらに属するかをはっきり認識しておくことです。

この認識があいまいだと、応募先選定に間違いが生じる恐れがあるからです。せっかく長い日時をかけて書き上げた小説が、単なる応募先選定ミスで失敗(予選敗退)ということで終わってしまうことになれば泣くに泣けません。


新人賞突破には目標と戦略が欠かせない

《目標》メジャーな出版社の応募が多い新人賞だけを狙い、直木賞につながるような作品を書く。直木賞こそがエンタメ小説が目指す最終ゴールであることをしっかり認識しておかなければなりません。



メジャー新人賞3つにすべて応募する

(Part1)でエンタメ小説新人賞の応募先としてオール読物新人賞(文藝春秋)、長編新人賞(講談社)小説すばる新人賞(集英社)を挙げましたが、では、この三つのうちどれか一つを選んで応募すればいいのでしょうか。

もちろんそれでも間違ってはいません。でも小説新人賞の道は非常に険しくて、ずぶの素人が一発勝負で臨んで望みが叶うというような易しいものではありません。

それをよく表すのが応募者の数です。過去のデータを見ればそれがよくわかりますが、だいたい三つの新人賞とも、1回の応募は1000件前後あります。

でもこれに対して第一次予選通過は応募数の10%程度です。つまり応募数が1000件だと、通過するのは100件です。つまり10人のうち、通過するのは僅か1名だけなのです。

ということは残り9名の応募者は、第一次予選の段階で脱落してしまうのです。

この厳しさを知れば、三つの応募先のうち一つだけ応募して、安閑と結果を待つ、と言うのは暴挙と言えるのではないでしょうか。

お勧めするのは、最初の応募はできるだけ多くすることです。


《戦略1》応募者数と予選通過率を熟知しておく

エンタメ小説新人賞の応募件数は年次によって差がありますが、筆者が応募したときはいずれも1回の応募が1000件以上ありました。

応募を決める前にこの応募件数をしっかり把握しておくことは極めて大事です。なぜならこの応募件数が難易度を測る尺度になるからです。

応募件数と合格件数を知り、難易度を予測することが、戦略を立てる上での大切な要素になるのです。

例えば応募件数500件の新人賞と応募件数1000件の新人賞では、難易度は倍近く異なるのです。この違いを知っておかなければ、応募の腹積もりも含めて、良い戦略を立てることはできません。


《戦略2》審査員と作品傾向を知っておく

作品をできるだけ多くのターゲットに応募することの次に大事な戦略は応募前に審査員と作品傾向を知っておく、ということです。

これは審査員である作者の作品傾向を知るためです。大学などの入試に際しても「問題の傾向」が重視されるように、文学賞においても審査員の作家としての作品傾向を知っておくことは極めて大事なことです。


《戦略3》予選に落選したときの対策を立てておく

誰でも一回の応募で作品が予選を通過することを望みます。しかし、前述のように作家へ直結するようなメジャーな新人賞ともなれば応募者が多く、合格者は応募者数の10%程度でしかない狭き門です。

この数字をしっかり認識しておくことが極めて大事です。でないと落選したときのショックが大きいからです。落選で受けた大きな失望で戦意喪失して、次の挑戦意欲を失ってしまう可能性があるのです。

でも事前に厳しさを認識して戦略を立てて臨めば、次なる挑戦への意欲は失われません。その戦略も安易なものでなく、練りに練って、綿密で隙のないものでなければなりません。


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確実に小説家になるにはこの道しかない  !


(Part 3)


わたしのエンタメ小説新人賞応募履歴

私の新人賞応募について述べますと、それは上記三つの賞へすべて応募したことです。

いずれも初めての応募でしたが、幸いにも運も味方してくれ三つとも1回の応募で予選通過を果たしました。

三つとも応募数は1,000点を超えており、中でもオール読物新人賞は2,000件近くにも及んでいました。

でも綿密な応募戦略が功を奏したのか、三作品とも初めての応募で予選突破という僥倖に恵まれたのです。自分で言うのもなんですが、メジャーな新人賞三つに、初めての応募ですべて予選を通過したのは、ちょっとした偉業ではないかと、ひそかに自負しています。


満を持して準備万端で臨んだ小説新人賞応募

20代後半ごろより小説執筆を試みていましたが、なんど挑戦してもうまくいかず、挫折のl連続で、いっこうに小説が完成することはありませんでした。

この原因はあきらかに小説執筆の知識、経験の不足である、と判断し、しばらくブランクを置くことにしたのです。

それから20年以上の年月が経って、遅ればせながら、50代に入った早々に再び小説への挑戦を開始しました。

20代後半に失敗したのを反省し、今回は準備万端で臨みました。

準備は小説の執筆に対してだけでなく、それをどこへ、いつ、どのように応募するかについて具体的な戦略を練ったのです。


最初(一回目)のターゲットは創刊されたばかりの小説すばる新人賞

綿密に練った計画で、1回目の応募は小説すばる新人賞をターゲットにし、小説のテーマはニューヨークでの生活にしました。

20代の終りに、エキスチェンジトレイに―(交換研修生)として働いた、NYのスタットラーヒルトンホテルでの出来事と、1年間過ごしたNYの生活などを綴ったものです。

原稿用紙(400字)220枚の中編小説ですが、これを応募作品としたのです。

で、結果はどうだったかと言いますと、応募作品1000点以上の中で、見事予選通過を果たしたのです。

ちなみに、この当時の新人入賞者の中には、後に作家になって大成した篠田節子氏花村萬月氏(注)も含まれていました。


(注)篠田節子氏と花村萬月氏 

篠田節子
1955(昭和30)年、東京生まれ。東京学芸大学卒。東京都八王子市役所勤務を経て1990(平成2)年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。1997年『女たちのジハード』で直木賞、『ゴサインタン』で山本周五郎賞を、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞を受賞。2011年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、2015年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、2019年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞し、2020年紫綬褒章を受章した。他の著書に、『夏の災厄』『弥勒』『ブラックボックス』『長女たち』『肖像彫刻家』『田舎のポルシェ』『失われた岬』『セカンドチャンス』など多数。

 

花村萬月

1955(昭和30)年、東京生れ。1989(平成元)年、『ゴッド・ブレイス物語』で小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。1998年、『皆月』で吉川英治文学新人賞を、『ゲルマニウムの夜』で芥川賞をそれぞれ受賞。人間の生の本質に迫る問題作を、発表し続けている。『眠り猫』『なで肩の狐』『鬱』『二進法の犬』『百万遍 青の時代』『私の庭 浅草篇』『たびを』『愛情』『錏娥哢た』『少年曲馬団』『ワルツ』など著書多数。


(1回目応募作品)

*小説すばる新人賞(集英社)・1000点以上の応募作品の中から10%の一次予選通過。

応募作品タイトル「ニューヨーク西93丁目の青春」400字原稿用紙

220枚


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(応募作品冒頭2000字)


ニューヨーク西93丁目の青春

 

 およそこの乗り物には似つかわしくないガタゴトという騒々しい音をたてながらドアの閉まるエレベーターを背後にして、修一はおもむろにズボンのポケットに手を突っ込みひやっとした感触を指先に感じながらジャラジャラと鳴るキーホルダーを取り出した。

エレベーターからほんの5~6歩も歩けばそこに入り口のドアがある。

「エセルはまだ起きているだろうか」そう考えながら色あせたドアの上の鍵穴に太い方のキーを突っ込んでせっかちに回し、続いて下の穴へもう一本の細い方を差し込んだ。

下宿人としてこの家に初めて来たとき、通りに面した一階の正面玄関にも大きくて丈夫な鍵があるのに、どうしてこの6階の入り口のドアにもさらに二つのキーがついているのだろうかと、その念のいった用心深さをいささか怪訝に思ったものだが、後になって家主のエセルにその理由を聞かされ、なるほどと思った。

ここウエストサイド97丁目はマンハッタンでも比較的アップタウンにあたるウエストサイドの一画に位置している。

この地域も今から約半世紀ほど前の1930年くらいまでは、マンハッタンの住宅地の中でも比較的高級地に属していて、住む人々も、上流階級とまではいかないが、その少し下に位置するぐらいの、まずまずのレベルの人が多かった。

しかし年が経って建物が老朽化するに従い、どこからともなく押しかけてくるペルトリコ人が大挙して移り住むようになり、それにつれて前からの古い住人はまるで追われるかのように、次第にイーストサイドの方へ引っ越していった。

そして50年たった今では、もはや上品で優雅であった昔の面影はほとんどなく、その佇まいは煤けたレンガ造りの建物が並ぶ灰色の街というイメージで、スラムとまではいかないが、喧騒と汚濁に満ちた、やたらと犯罪の多い下層階級の街と化してしまったのだ。

住人の多くをスペイン語を話すペルトリコ人が占めているということで、今ではこの地域にはスパニッシュハーレムという新しい名前さえついている。

今年71歳になり、頭髪もほとんど白くなったエセルは、口の端にいっぱい唾をためながら、いかにも昔を懐かしむというふうに、こう話してくれた。

ここまで聞けばどうしてドアに鍵が多いのか修一にも分かった。つまりこの辺りは、犯罪多発地域で、泥棒とか強盗は日常茶飯事であり、ダブルロックはそれから身を守るための住人の自衛手段なのだ。

そう言えば、つい3日前にも、ここから数ブロック先の一○三丁目のアパートで、白人の老女が三人組の黒人に襲われて、ナイフで腕を突き刺されたうえ金品を盗まれたのだ、と昨日の朝、いきつけのチャーリーのカフェで聞いたばかりだ。

 そんなことを思い出しながら、ドアを開け薄暗い通路を進み、正面右手の自分の部屋へと向かった。すぐ右手のエセルの部屋のドアからは明かりはもれていない。

 どうやら今夜はもう眠ったらしい。

今はマンハッタンのミッドナイト。昼間の喧騒が嘘みたいに、辺りは静寂に包まれている。部屋の隅にあるスチームストーブのシュルシュルという音だけが、やけに耳についた。

それにしても今夜のエセルは静かだ。

このアパートへ来てしばらくの間は彼女が喘息持ちだとは知らなかった。ましてや深夜に激しく咳き込んで下宿人を悩ますなどとは思ってもみなかった。


もしそうだと知っていたのなら、月250ドルの下宿代をもっと値切っていたはずだし、さもなくば、部屋の防音をもっとよくチェックしたはずだ。


エセルの寝室は壁ひとつ隔てたすぐ隣にある。壁はそこそこの厚みがあり、声や物音が筒抜けになるという訳でもないが、リビングルームに面して隣り合わせて並ぶドアの隙間から迂回してくるものが意外と大きい。


それでも越してきて4~5日ぐらいは何事もなかった。辺りのただならぬ気配に目を覚まさせられたのは、一週間経つか経たない日の深夜であった。


目を覚ます前、夢の中で人が咳き込んでいるのを長い間聞いていた。そしてそれ

がドアの方へ 移動して一段と大きくなったところで目を開けて起き上がった。


リビングルームの方からエセルが激しき咳き込んでいるのが聞こえた。

断続的な咳の間には、苦しそうな呻き声も入っていた。 

これはほっとけない。 そう思った修一はベッドを抜け出してリビングの方へ歩いていった。


中に入るとソファに座って激しく咳き込んでいたエセルが振り向いてチラッと見たが、またすぐうつむいてゴホンゴホンと咳き込んだ。


「どうしたのエセル、だいじょうぶかい?」そう聞きながら、とりあえずこうした場合は背中でもさすってあげるしか方法はないと思った。女性とはいえ、だらりと肉がたるみ、ぶよぶよとした老女の背中をさするのは決して心地よいものではなかった。 


ニューヨークへ着いて早々、しかもこんな深夜に、いったいなんたることだ。眠くてたまらない眼をこすりながら修一は胸の中でそうつぶやいた。


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確実に小説家になるにはこの道しかない  !



(Part 4)


2度目は最初の応募から間を置かず講談社の小説現代新人賞に

最初の応募が予選通過したことにすっかり気をよくして、間髪を入れず、次の応募に挑戦しました。

ターゲットは講談社の小説現代新人賞です。この賞は今は「小説現代長編新人賞」に名前が変わっていますが、当時もメジャー新人賞の一つであったことは変わりません。

で、結果はといいますと、これも前回同様、1000点余の応募の中から、わずか10%の予選通過者の中へ入ることができたのです。

この回も無事に予選通過を果たすことができたのは、おそらく事前に立てた応募戦略が功を奏したのではないでしょうか。

その戦略とは、一回目の小説すばる新人賞への応募の後、もしこれが予選で落選したら、落胆から次の応募へにモチベーションが下がり、応募意欲を喪失するのでは、と考え

結果発表前に、2回目の応募作品を書き終えて、いつでも応募できる準備をしていたことが、役立ったに違いありません。


(2回目応募作品)

*小説現代新人賞(講談社)・1000点以上のの応募作品の中から

約10%の一次予選通過。

応募作品タイトル「編む女」400字原稿用紙100枚



(応募作品冒頭2000字)


編 む 女


 「くそっ、あのカップルめ、うまくしけ込んだもんだ」

 前方わずか4~5メートル先を歩いていたすごく身なりのいい男女が、スッとラブホテルの入り口の高い植木の陰に隠れた時、亮介はさも羨ましそうにつぶやいて舌打ちした。

 「あーあ、こちらがこんなに苦労しているというのに、まったくいい気なもんだ」と、今度はずいぶん勝手な愚痴をこぼしながら、なおも辺りに目を凝らして歩き続けた。

 亮介は、これで三日間、この夜のの街を歩き続けていた。

 はじめの日こそ、あの女め、見てろ、その内に必ず見つけ出してやるから、と意気込んでいたものの、さすがに三日目ともなると、最初の決意もいささかぐらつき始めていた。


 時計は既に十一時をさしており、辺りの人影も数えるほどまばらになっていた。

 この夜だけでも、もう三時間近くも、この街のあちこちを歩きまわっていたのだ。

 少し疲れたし、どこかで少し休んで、それからまた始めようか、それとも今夜はこれで止めようか。 亮介は迷いながら一ブロック東へ折れて、すぐ側を流れている淀川の土手へ出た。 道路から三メートルほど階段を上がって、人気のないコンクリートの堤防に立つと、川面から吹くひんやりとした夜風が汗ばんだ両の頬を心地よくなでた。


 「山岸恵美」といったな、あの女。城南デパートに勤めていると言ってたけど、あんなこと、どうせ嘘っぱちだろう。でも待てよ、それにしてはあの女デパートのことについて、いろいろ詳しく話していた。とすると、今はもういないとしても、以前に勤めたことがあるのかもしれない。それとも、そこに知り合いがいるとか。ものは試し、無駄かもしれないけど、一度行ってみようか。そうだ、そうしてみよう。なにしろあの悔しさを晴らすためだ。これしきのことで諦めるわけにはいかないのだ。

 

川風に吹かれて、少しだけ気を取り戻した亮介は、辺りの鮮やかなネオンサインを川面に映してゆったりと流れる淀川に背を向けると、また大通りの方へと歩いて行った。


 それにしてもあの女、いい女だったなあ。少なくともあの朝までは。

 駅に向かって歩きながら、またあの夜のことを思い出していた。

 とびきり美人とは言えないが、あれほど男好きのする顔の女も珍しい。それに、やや甘え口調のしっとりとしたあの声、しかもああいう場所では珍しいあの行動。あれだと、自分に限らず男だったら誰だって信じ込むに違いない。


 すでに十一時をまわっているというのに、北の繁華街から川ひとつ隔てただけの、この十三の盛り場には人影は多く、まだかなりの賑わいを見せている。それもそうだろう。六月の終わりと言えば、官公庁や大手企業ではすでに夏のボーナスが支給されていて、みな懐が暖かいのだ。 「ボーナスか、あーあ、あの三十八万円があったらなあ」

大通りを右折して阪急電車の駅が目の前に見えてきた所で、亮介はそうつぶやくと、また大きなため息をついた。

 

一週間前のあの日の夜も、亮介はこの十三の街へ来ていた。貰ったばかりの三十八万円のボーナスを背広のポケットに入れて。

 でも、五時過ぎに職場を出て、環状線の駅に向かう時は、そうなることは露ほども予想していなかった。

 今日は梅田の行きつけのビアホールで一杯やったら、そのままアパートへ帰ろう。 歩きながら、はっきりそう考えていたのだ。それがいったいどうしたはずみで、この十三の街へ来てしまったのだろう。堺の自分のアパートとはまるで反対方向だというのに。   

 そうだ、あの人が悪いんだ。あの内田さんが。

 亮介は六時前にそのビアホールに着いて、いつものようにカウンター席に座って、揚げたてのソーセージを肴に生ビールのジョッキを傾けていた。その店のチーフ早見さんが側に来て、「ボーナス多かったですか?」と聞き、「まあね」と、亮介が答えた。

 

三日前にこの店に来た時、客が少なかったこともあって、この早見さんとは一時間位も喋っていた。 「大企業はいいですねえ。六月にボーナスが貰えて。僕のとこなんか二ヶ月も遅い八月ですからねえ。おまけに額も少ないし、それに比べりゃあ橋口さんのところはいいですねよ。大手資本系列のホテルだし。さぞたくさん貰えたんでしょうねえ」

 早見さんはそんなふうに言って、ちょっと首をかしげて、拗ねるような表情を見せていた。


 実際のところ、亮介もこの日貰ったボーナスの額にはかなりの満足感を抱いていた。前々から、夏のボーナスの支給額は二.五か月分だと聞いていたので、十五万五千円の給料だと、税引きの手取りは三十二~三万てところか、そんなふうに皮算用していた。それだけに、実際に受け取った三十八万六千円という金額は以外であり、また、うれしくもあった。 このところの仕事ぶりを認めてくれたのかな。 

そう思って、普段は口やかましいだけの、課長の南に、この日ばかりは感謝した。

 

亮介は今年二十四歳。 堂島川に沿った北区中島のSホテルの営業マンになって二年ちょっとたつ。 彼にとって、今回のボーナスは入社以来四度目のものだった。

 この調子だと冬は四十万は軽く越えるな、よし、仕事の方これからも手を緩めずにがんばろう。ジョッキを傾けながらそんなふうに考えていた時だった。


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確実に小説家になるにはこの道しかない  


(Part 5)


応募作品ががすべて1回で予選通過が果たせたのは


これは決して自慢ではないのですが、私の小説新人賞応募に関しては、胸を張って人に話せる自信があります。というのも、人生で初めて応募した1回目から連続3回予選通過を果たすことができたからです。


しかも3回の応募とも、《小説新人賞ビッグ3》ともいえる、日本を代表するメジャーな新人賞ばかりを通過できたからです。


しかもいずれも一次予選通過率が10%と、競争率の厳しいものばかりですから余計に誇らしいのです。


はっきり言って、こうしたメジャーな新人賞応募において、異なる賞に連続3回の予選通過は稀にしかないことではないかと思います。


たとえ新人賞の応募歴の多い人でも、なかなか達成できないような稀なケースだけに、余計に誇れることではないかと自負しているのです。


でもなぜこうした好結果を得ることができたのでしょうか。その原因を探ってみると、次のようなことが言えると思います。。


・小説執筆の機が熟していた


これは別の章でも書いたことですが、私が最初に小説執筆を目指したのは20歳代半ばのことです。


本好きな者の通例で、いつか自分も小説を書いてみたいと思っていたのですが、それを実行に移したのがその頃だったのです。


しかし、その道はすこぶる厳しく、何度挑戦しても、途中で筆を折るばかりで、小説を完成させることはできませんでした。


それで結果的に、小説を書くには知識も経験も不足していることに気づき、一時中断して、機が熟すのを待とうと、しばらくブランクを置くことにしたのです。


とはいえ、そのブランクは極めて長く、気がつくと50歳代が目の前に迫っていたのです。


そして50代に入ってすぐ、再び小説執筆にかかわったのですが、大量の本で得た知識と色々な人生経験を経てきて機が熟していたのか、今回は執筆がすこぶるスムーズに運びました。


この間約2年ぐらいで、220枚の中編小説1本、100枚前後の短編小説8本を書き終えることができたのです。小説新人賞に応募したのは、これらの中の3本の小説なのです


・気力が充実していた


スムースに運べたのは機が熟していたからだけではありません。理由として同時にあげたいのは《気力が充実していた》ことです。


そのころ私はフランチャイズ英語塾を経営していましたが事業は思いのほかうまく運んで、心配事が少なく、何事に対しても気分よくできた頃でした。


それ故に気力が充実していたのです。それに比較的時間的余裕も出てきて、小説執筆ための時間が十分とれたのです。こうした背景が小説新人賞応募に吉と出たのではないかと思っています。


・応募戦略が功を奏した


《機が熟していた》ことと《気力が充実していた》ことが小説執筆がうまくいったことの理由ですが、でもそれだけでは3回連続で小説新人賞予選を通過することができません。


それが達成できたのは上の二つの理由にプラスして、丹念に応募戦略を練ったことも大きな要因です。


その戦略で最も大事にしたのは、落選対策です。つまり予選で落選して執筆のモチベーションが下がったときのことを考えたのです。


予選で落ちれば気落ちして次作の執筆意欲が失われるかもしれないと予想し、新人賞応募の結果発表前に3回目までの応募作品を完成させていたのです。





《まとめ》

(1)エンタメ小説の鉄則は、おもしろくて読み応えがあること

いまさら言うまでもなくエンタメ小説のエンタメは、エンターテイメント(entertainmennt)のことです。エンターテイメントの目的は人を楽しませることにあります。したがってエンターテイメント小説は、何が何でも人(読み手)を楽しませなければいけません。つまりおもしろさだ人をひきつけ読みごたえのあるものでないといけないのですいけないのです。


(2)確率10の1,小説新人賞の厳しい予選を突破するために


〈押さえておくべきこと〉

・応募作品点数

・予選通過数

・審査員(作家)の顔ぶれ

・応募作品はどのように審査されるのか




(3)3編の応募作品 人には言えないエピソード


実は今だから言えることなのですが、運よく3作品とも1回目の応募で厳しいと言われているメジャーな小説新人賞予選を突破できたのですが,いま抱くのは[よくもあんな原稿の状態で予選を通過できたものだ]という思いなのです。


よくもあんな原稿の状態というのは、応募原稿の誤字脱字の多さのことです。


その脱字の数はというと、並外れて数で、1編400文字原稿用紙100枚の中で、なんと50か所(3編平均)に及んでいたのです。


これは2枚に一か所は必ず誤字脱字があったことになり、度を超えた数なのです。にもかかわらず審査員はこれを見逃してくれたのです。


これでわかったのは、「作品の質が良ければ、多少のミスは見逃してくれる」と言うことです。


以前、このブログに「小説新人賞応募者に是非とも伝えたいこと伝えたいこと」という記事を載せましたが、その中で誤字脱字はそれほど気にしなくてもいい、と書きましたが、それは私自身にこうした体験があったからなのです。




(第3回目応募作品)


*オール読物新人賞(文藝春秋)・1700点強の応募作品の中から

一次予選通過。応募作品タイトル「ナイトボーイの愉楽」400字原稿用紙100枚


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(応募作品冒頭2000字)


ナイトボーイの愉楽

 

いつもなら道夫は梅田のガード下でバスを降りて、そこから職場のある中島まで歩いて行く。でもその夜は阪神百貨店の前で南へ向かう路面電車に乗ることにした。

 始業まであと十二~三分しかなく、歩いてではとうてい間に合わないと思ったからだ。


 商都大阪にもその頃ではまだトロリーバスとかチンチン電車が走っており、今と比べて高層ビルもうんと少なく、街にはまだいくばくかの、のどけさが残っていた。

 これは道夫がちょうど二十になった時の昭和三十七年頃の話である。


 電車は時々ギイギイと車輪をきしませながら夜の街を随分ゆっくりと走っているようであったが、それでも五分足らずで大江橋の停留所へ着いており、歩くより三倍位は速かった。電車を降りて、暗いオフィス街を少し北に戻って最初の角を右に曲がると二つ目のビルに地下ガレージ用の通路があって、それを通るとNホテルの社員通用口には近道だ。


 始業まであと三分しかない。ロッカールームで制服に着替える時間を考えると、どのみち間に合わないとは思ったものの、この際たとえ一分でもと、そのガレージの斜面を小走りに下って行った。そのせいか、タイムカードに打たれて時間は九時五十九分であやうくセーフ。でも地下二階のロッカールームで制服に着替えて職場のある一階ロビーまで上がって来た時は、十時を七分も過ぎていて、ちょうど昼間のボーイとの引継ぎを終え、まるで高校野球の試合開始前の挨拶よろしく、向かい合った二組のボーイ達が背を丸めて挨拶している時だった。


 まずいなこりゃあ 引継ぎにも間に合わなくて。今月はこれで三度目か。リーダーの森下さん怒るだろうな。 道夫はそう思ってびくびくしながら森下が向かったフロアの隅にあるクロークの方へ急いだ。


 森下はクロークの棚に向かって、その日預かったままになっている荷物をチェックしていた。

 「浜田です。すみません、また遅刻して」 道夫は森下の背後からおそるおそる切り出した」

 「浜田か。おまえ今日で何度目か分かっているのだろうな」

 「はい。確か三度目だと思いますが」

 「そうか。じゃあこれもわかっているだろうな。約束どおり明朝から一週間の新聞くばり」

 「ええ、でも一週間もですか? そりゃあちょっと」

 「この場になってつべこべ言わないの。約束なのだから」


 道夫はつい一週間前も二日連続で遅刻して、罰として三日間、朝の新聞くばりをさせられたばかりだ。そしてもし今月もう一回遅刻したら翌朝から一週間それをやらせると、この森下に言われていたのだ。


 あーあ、また一週間新聞くばりか。 想像するだけで気持ちがめいり、そう呟くと森下の背後でおおきなため息をついた。


 夜の十時から朝の八時まで勤務するナイトボーイ達にとって、早朝のこの新聞くばりほどキツイ職務はない。オフシーズンで客室がすいている時ならまだしも、今のような四月の半ばだと、三百室ほどあるこのホテルの客室は毎日ほとんどが詰まっている。

 その客室のすべてに新聞を配って歩くのだ。森下リーダーを除く八名のボーイが毎日二名づつ当番で当たっており、普通だと三~四日に一回の割でまわってくる。


 まだ半月しかたっていないというのに、遅刻の罰の分も含めて道夫は今月もう六回も当たっていたのだ。それをさらに明朝から一週間もやらねばならないのだ。

 でも仕方ないか。それを承知で遅刻したのだから。そう思いながら立ち去ろうとした時、森下が言った。

「浜田、まあそんなにくさるな。もしお前が明日からしばらく遅刻しなければ最後の二日ぐらいはまけてやってもいいから」 

 「えっ本当ですか。しませんよ絶対に。じゃ五日間でいいのですね」

 少しだけ気持ちが軽くなった思いで、さっきより明るい声で答えた。

 「まあそれでいいけど。ただしお前が明日から連続五日間一分たりとも遅刻せず出勤した時に限ってだよ。いいね。 おいそれより仕事、仕事、ほらチェックインのベルが鳴っているじゃないか」 


森下のその声に促されて、振り返ってロビー手前のフロントカウンターの方を見ると、フロント係の上村さんがボーイを呼ぶベルをせわしげに押していた。

 「あれっ、誰もいないのだな。行かなくちゃ」 いつもならチェックイン担当として、ロビーには四~五人のボーイが待機しているのに、この時はみな出はらっていて、道夫以外は誰もロビーにいなかった。

「森下さん、じゃあ僕行きます。どうもすみませんでした」


 森下に向かってピョコンと頭を下げた道夫は、フロントカウンターの方へと小走りに進んでいった。カウンターの前で待っていたのは新婚らしい若いカップルとビジネスマン風の中年白人の外国人男性だった。上村さんは先客カップルの方のルームキーを道夫に渡した。


 「お待たせしました。お部屋の方へご案内いたします」 そう言ってそのカップルに向かって深々とお辞儀をした後、両手に荷物を持ちエレベーターへと向かっていった。

 背後に二人を従えて歩きながら思った。 しめしめ、最初のチェックインの客が新婚カップルとは、今日はついているぞ。この二人だとチップも千円は下ることはないだろう。

 頭の中に過去のデータを思い浮かべながら、そんな皮算用してほくそ笑んだ。


 こうした都市ホテルの客の中で、日本人の新婚カップルほで気前のいい人種はない。旅慣れたビジネスマンだと五百円までがいいとこのチェックインのチップだが、新婚客だと、部屋に荷物を持って案内するだけのこの簡単な仕事に、千円や二千円はざらに奮発してくれるのだ。それどころか、先月などは三千円というのが三回もあった。