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大相撲テレビ中継 力士インタビューがつまらなくなったのはなぜ
テレビの大相撲中継の楽しみは取り組みを見るのが一番だが、それ以外にもいろいろある。その一つは取組後の力士へのインタビューである。
これには登場する力士の人間性が良くあらわれ、知らない一面が垣間見えるからである。
こうしたインタビューを見て、これまで以上にその力士が好きになったりすることもあるのだ。ところが最近のインタビューはと言うと。
大相撲インタビューでベテラン力士が話す内容はみな同じ
以前このブログで、優勝するなどして活躍したスポーツ選手のインタビューのことを載せたことがあります。
それにはインタビューを受けるほとんどの選手が語る言葉に「良い結果を出せたのは、周りに人々の支援のおかげです」というような、同じことを語っている、と書きました。
これと同じように力士のインタビューにもそれが言え、例えばアナが「今場所の好調の原因が何ですか?」と問うと、多くが「1日一番、自分の相撲を取り切ったおかげです」と答えているのです。
「一日一番しっかり自分の相撲を取るだけです」
上で書いたようにインタビューで好調の原因を訊かれた力士の多くが上のように答えているのだが、いったいこの意味はどういうことなのだろうか。
第一に「自分の相撲をとる」というのが理解できないのだ。つまり自分の相撲をとれば何故勝てるのか、という問題である。
それも三役以上のある程度実力の固まった力士が言うのならまだしも、幕内経験が浅い、まだ実力が見えない力士までがこう発言しているのだ。
実力がついてない力士がなぜ「自分の相撲を取れば」勝てるのだろうか。これってどう考えてもおかしいではないか。
ベテラン力士 ほとんどが嫌々応えている
インタビューに登場するのは取り組みで活躍した力士である。と言うことは強い力士と言うことになり誰でもというわけにはいかない。
それゆえ登場するのはある程度ベテランの力士が多くなる。ベテランが多いということはインタビュー慣れしているということになり、別の角度から言えばマンネリ化しているとも云えるのだ。
何ごともそうだがマンネリ化にはネガティブな要素が付きまとうことは否めない。つまり、覇気がない、熱意にかける、めんどくさそう、などのマイナス要素が付きまとうのである。
その結果、インタビューでは、渋い表情の力士が嫌々ながら「毎日一生懸命自分の相撲を取りきるだけです」と言うような画一的な応えが返ってきて、視聴者にとっては味気ないものに終わるのだ。
インタビューに生き生き応えているのは若手力士だけ
ベテラン力士の多くがインタビューに嫌々応じているのに対し、十両から幕下に上がったばかりのような若手力士の場合はそれは当たらない。
年齢が若いこともあるが、ほとんどは元気いっぱいで表情豊かにいきいきと応えている。それ故に見る側に好感と満足感を与えるのだ。
しかし、こうした力士たちも時を経ると、ベテラン力士のように嫌々応じるようになるのか、と思えば悲しくなる。
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(2)
アナウンサーなのに敬語を正しく使えない
「~さんもおっしゃったように」プロ野球中継などで アナがよく使う解説者への敬語が気になる
TVのプロ野球中継を見ていて時々嫌な気分になることがある。それはアナが解説者に敬語を使って話す時である。
どのような敬語かというと、解説者の前言を指した「〜さんもおっしょったように」というようなものである。
これがなぜ気ざわりかというと、「第三者の前で身内や同僚に対しては敬語を使わない」という原則に反して、相手への忖度で、あえて敬語を使っているからである。
放送という現場では視聴者という大事なお客様を前にしているのだ。たとえ解説者が目上や年長者であっても、この場面では身内の者と捉えて、敬語は使わない方がいいのではなかろうか。
解説者は放送局に雇われているのだからアナの身内では
とはいえアナの年齢が低く経験も浅い場合、相手の解説者が経験豊かな年長の人だと、上述の「〜さんもおっしゃった」という敬語を使いたくなる気持ちも分からないでもない。
だが解説者は放送局が雇っていて身内に当たるのだ。それ故に放送現場においては、第3者(視聴者というお客様)の前で身内に対しては敬語を使わない、という原則を守って、あくまで敬語抜きで話すべきなのではないか。
敬語を使わないアナは聴いていて気分がいい
解説者に対して「〜さんもおっしゃっていたように」などの敬語を使うアナに対して、「〜さんも言ったように」と、敬語抜きで相手に話かけるアナも少なくない。
でもこれは少数派のようで出会うことはそれほど多くない。それゆえに多数派の「おっしゃったように」を聞かされた後では、耳に小気味よく響いてとても気持ちが良い。
マニュアルで徹底していないのだろうか
このように同じアナでも人によって解説者に対して敬語をつけて話したり、付けなかったりするのはなぜなのだろう。
要は放送局にこれを徹底させる意識が乏しいからなのではなかろうか。
人々はアナウンサーは言葉づかいのプロであり、模範になるものと考えている。
どうか視聴者のこうした思いを裏切らないでほしい。