外国語はその人の母国語能力以上に上手くはならない
英会話をはじめ外国語を習得しようとする人がよく心得ておかなければいけないことがある。
それはいくら努力しても、習得できる外国語はその人の持つ母国語の能力を超えることはないということである。
別の言い方をすると、習得できる外国語も母国語の能力の範囲以内であり、ボキャブラリーにしても習得している母国語を越えることはないということになる。
さらに突き詰めると、母国語のボキャブラリーが貧弱だと、習得した外国語のボキャブラリーも貧弱になる、ということなのである。
つまり、日本語が貧しい人は、英語やフランス語を話してもまた貧しいのである。
これを聞くと”外国語力は母国語力だ”ということの理屈がよく理解できると思う。
私は最近ことあるごとに思っている。それは「下手に外国語会話を習う前に、まず日本語を磨くことである」と。
これは上述したこと以外にも、次のような理由からである。
概して人が人の知性について判断するのは、相手の話した内容とか、記述した文章によることが多いと思う。これは同国人同士でも、相手が外国人であっても同じことである。
つまり「日本人A」の話の内容や、書いた文章により「アメリカ人B」はAの知性を評価するのである。これは、人の知性は会話や文章にもっともよく表れるからなのである。
新鮮なボキャブラリーこそ説得力の最大の武器
次にボキャブラリーと説得力の関係について述べてみたい。
人はどうせ聞いたり読んだりするのなら、その対象がなにか自分にとって為になるものであってほしいと思っている。
つまり聞きたいのはおもしろくて為になる話であり、読みたいのは新鮮なボキャブラリーによる生き生きした文章である。間違っても手垢にまみれたありきたりの話や文章などには接したくない。
多分誰もがこう思っているのではないだろうか。
例えば会社の朝礼である。朝礼は仕事のモチベーションを上げるためにやるものである。モチベーションを上げるには共感を呼ばなければならない。共感を呼ぶためには説得力が必要になる。
ではどういった話に説得力があるのだろうか。
そのための一番大切な要素が”新鮮なボキャブラリー”なのではないだろうか。人は誰でも新鮮なものには魅力を感じるものだ。
それはそうだろう。これまで聞いたことのないような言葉に接すると、誰だって「オヤッ」と思って聞き耳を立てる。
それは珍しいことであったり、何か新しいことを知る嬉しさを感じるからである。
したがって聞き手は話し手に興味を持ち、もっと聞きたい、と真剣に耳をそばだてる。
そういう態度で聞くとどんどん相手の言葉が耳に入って話がよく伝わってくる。
説得力とはつまりこういうことなのではないだろうか。
たとえば「上司と部下」、「教師と生徒」、「セールスマンと客」、こうした関係では説得力なしでは決して良い結果は期待できない。
0 件のコメント:
コメントを投稿