【駄目出し】とは
もとは演劇用語。「駄目を出す」の名詞化したもの。
相手の間違い、あるいは欠点・弱点などを指摘すること。また、仕事などのやり直しを命じること。→駄目を出す。
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そもそも”駄目だし”というのはどういう意味なのでしょうか。単純に考えれば相手に対してノーと言うことなのではないでしょうか。
そうです。人がやったことや言ったことに対してYes,と言ってあげずにNo,と言ってしまうことなのです。
人は誰でも自分の言動については認めて欲しいのでものですから、Yes、と言われると喜びます。したがってNo,と言われると、否定されることですから気持ちとしてはいやなものです。
でもちょっと待ってください。もしYes、と言われたら、その人はその言動について、その先さらに考える事がなくなるのではないでしょうか。
正しい正しくないは別にして、それに関してはそこで考えることを止めてしまうのではないでしょうか。
でも駄目だしされて、No.と言われたら、なぜ駄目なのだろう?と自分の言動についてもう1度考え直してみるのではないでしょうか。
したがってここでは少なからず考える力が働くのではないでしょうか。
つまりノーというアンティテーゼがあったからこそ考える機会ができたことになるのです。それに対してYes,と言われた場合はその機会は失われるのです。
これは”あらゆる進歩や発展は問題提起に発する”と言う観点に立ったときには、すごく重要な意味を持つのではないでしょうか。
つまり簡単にYes,と言って妥協せず、No,と言う問題提起こそが大事なことだと思えるからです。
駄目だしするのはある意味では勇気のいることです。それはそうでしょう、なんと言っても人が喜ばないことをするのですから、嫌われることはあっても好かれることはあまりないのです。
でも駄目だしをしない人ばかり相手にしても最初はよくても、そのうちつまらなくなってくるのではないでしょうか。
なぜなら”手ごたえ”がないからです。したがってそういう人からはそのうち離れていくのではないでしょうか。
では駄目だしをする人とはどうでしょう。確かに最初は嫌な気がしても、よく考えてみるとその人の駄目だしが正しく思えてくることもあるのです。
そうするとその人への関心が深まり、話し相手としても手ごたえがあるため、次第に好ましく思えてきますから、飽きることなく、その後の交際も長く続くのではないかという気がします。つまりつき合ってためになる人だからなのです。
こういう風に私が駄目出しについて考えてみたのは、テレビのプロ野球中継を見ているとき、アナウンサーの問いかけに対して、いつも「そうですね」と、肯定ばかりして少しも反論をしない、いわゆるイエスマン的な解説者に不満を感じたからです。
そうでなく、たまには「いやそうでもないのではないですか」などと言って、相手に問題提起することがあってもよいのではないかと思うからです。
実は数こそ少ないのですが、そういった解説者もいるのです。そんな人こそ私が好きなタイプなのです。
でもネットで駄目出しについて見てみると、これをを否定的にとらえる意見が実に多いのには驚きます。
つまり、人に対してNo,と言うことを良しとする人が少ないのです。
でも石原慎太郎氏の著書「No.と言えない日本人」ではありませんが、いつも”Yes、Yesとばかり言って、相手のことを肯定するだけの日本人”からは、そろそろ脱却したいものです。
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