マンハッタン西97丁目 第1章「眠られぬ夜」(その7)
それから二週間かかって論文を完成させた。テーマは指定された二つのものから「ホテルマンと国際感覚」のほうを選び、もうひとつの「外国人から何を学ぶか?」のほうはテーマが大きすぎる気がして、絞りきれないと感じたので敬遠した。400字詰原稿用紙20枚の量である。
最初の一週間で書き上げ、次の一週間で推敲を重ねた。完成したものを何度も読み返してみたが、我ながら力作だと思い、ひとまず安心した。
締め切りまでまだ大分日数が残っていたが、善は急げ!とばかり、完成した翌日にはもう部長の山下に提出していた。
それからは、さあ、あとは野となれ山となれ。というような随分サバサバとした気持になり、今度の休みの日には秘書の木内さんを映画にでも誘ってみようと、これまでにはない大胆なことを考えていた。
修一の人生の上に大きな歴史を作ったその日は、真夏のわりには例年になく涼しい八月初旬に訪れた。その日、まるで出社を待ち構えていたように木内さんから電話があった。
「おはようございます。山下部長がお呼びですので九時四十五分頃こちらへお越しください」澄んだ理知的な声が受話器の奥から響いた。心なしか声の調子が以前より親しく感じる。木内さんは、七月の初めの日曜日、思い切って申し込んだ映画への誘いに、躊躇しながらも応じてくれたのだった。 映画を見た後食事をして、結局その日は彼女と四時間も一緒に過ごしたのだ。
用件を聞き終え受話器を置いたとき、―これはひょっとして、という思いがひらめき、急に胸が高鳴るのを覚えた。
発表は八月の中旬と聞いていた。でも今日はまだ三日、少し早すぎるのではないか? もしかして提出した論文が駄目だったのかも? そのための早めの通知なのかもしれない。そんな不吉な思いも一瞬頭をよぎった。
九時四十五分まであと二十分ある。どうもソワソワして落ち着かなかったので、課長の泉にことわって少し早めに席を立ち、自動販売機のジュースを飲んだ。それから洗面所へ行き、、ネクタイをキリリと結びなおし、大きく深呼吸をしてから部長室へと向かった。
部屋へ入って顔を合わせた時の山下部長の満面の笑顔を見て、修一はすべてを理解した。
やった!ついにやったのだ! 頭のてっぺんから足のつま先までしびれるような戦慄が一気に駆け抜けた。
山下は修一のほうへ手を差し伸べて「大野君、おめでとう。内定したよ」 入ってきたときの笑顔のまま、山下は修一に向かってそう言った。
差し出された手を握り、「ありがとうございました」と言おうとしたが、感激でそれは声にならなかった、かたわらでは木内さんがこちらに向かって微笑みながら立っている。きっと彼女も心から喜んでくれているに違いない。修一はそう確信した。
内定通知のこの日より一週間後の八月十日、七階の社長室において、六人の全役員立会いのもとに、社長の木谷によって正式な辞令が手渡された。こうして修一は晴れてニューヨークのホテルエールトンへの派遣第一期生に選ばれたのである。
山下部長や秘書の木内さん、その他職場の多くの人々の見送りを受けて、成田空港を発ったのは、秋も深まった十月の終りであった。
(つづく)次回6月14日(土)
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