帰りの地下鉄の車内でも、しきりと山崎からのバーティの誘いについて考えていた。バーマとはこれからいつでも話せるのだし、明晩はやはり行ってみることにするか、とここにきてようやく結論を出した。
夜遅く電話でその旨を山崎に伝えると、彼は非常に喜び「このパーティも今度で四回目なのですけど、出席する人がいつも常連はかりなので大野さんのようなフレッシュな方に出席していただけるとパーティはきっと盛り上がるでしょう」と、相変わらず如才のない返事をしていた。
その日は朝からバーマの姿を見ていなかった。 「寝る前にちょっと顔を合わせて話がしたいな」と思い、彼女の部屋のほう向かって歩きかけた。
丁度そのときエセルの部屋から「ゴホン、ゴホン」と例の咳の音がした。
それを聞くと、なぜか気後れを感じ足が止まってしまった。
そんなわけで結局その夜はバーマに会わずじまいであった。
翌日の夕方、修一は仕事を終えて山崎が指定したエールトンホテルのロビーで待っていた。五時をすこし回った頃山崎が小走りでやってきた。
「大野さん、待ちましたか?ぼくは五時ジャストに仕事を終え、すぐタクシーを飛ばしてここまで来たのですよ」山崎はすこし息を切りながら早口でそう言った。「そうそう大野さん、乗ってきたタクシーを玄関で待たせてあるんですよ。急がせてすいませんが早速出かけませんか?」山崎にそう促されて「ああいいですとも」と立ち上がった。それにしても手回しのいい男である。
山崎のアパートはブロードウェイの八一丁目だと言い、修一の下宿からそう遠くはなかった。これなら帰りも楽だ、と内心喜んだ。
車は夕闇の中をアップタウンに向かってスイスイと走って行き、十五分もたつともう彼のアパートの近くまで来ていた。山崎はブローでウェイ七九丁目でタクシーを止め、「ここからすぐ近くですから」と修一に告げると、前に立ってツカツカと歩き始めた。五十メートルほど歩いたところでふと足を止めた山崎は「大野さん、今夜の酒を買っていきますのでちょっとつき合っていただけませんか」と言った。
八0丁目のリカーショップに入り、そこで彼はスコッチ3本と上等なワイン2本を購入した。全部自分で持つという山崎から、修一はワイン2本を無理やり取り上げて彼の後に従い八一丁目のアパートへと向かった。
山崎のアパートはブロードウェイと八一丁目の角にあった。エレベーターが二基もついている玄関の広い大きなアパートで、九七丁目の修一の下宿のアパートのように古くなく、この辺りの建物特有の煤けた感じもなかった。
山崎の部屋は八階にあった。ここもやはりダブルロックである。
修一のところより十五ブロックほど下ったとはいえ、この辺りもまだウェストサイドの一画で、住人には黒人やペルトリコ人も多く、決して安全な住宅地とはいえないのだ。
山崎の部屋はリビングルームとベッドルームに分かれており、リビングルームだけとっても、修一の下宿の部屋より数段広い。ここにも待遇のいい商社マンの生活ぶりが伺えた。
パーティは六時半からということで、まだ料理の用意はされていなかった。
六時過ぎになると近くのスペインレストランから出前が運ばれてくるのだ」と、山崎が言った。しばらくして、丁度この夜の五人目の客が来た直後、二人のペルトリコ人がワゴン一杯に料理を積んで運んできて、リビングのテーブルにところ狭しと並べた。
修一はホテルマンであることもあって比較的料理を見る目は肥えていたので、一目見てその料理がかなりお金のかかったものだと分かった。
山崎はこの日の出席者は十人ぐらいだと言っていたが、実際に集まったのは八名で、彼を入れて総勢八名であった。
山崎と同じ職場に勤め、このアパートの別の部屋に住んでいるN商事の橋本、同じくN商事ニューヨーク支店勤務で現地採用の寺本、それに山崎の会社のメインバンクであるT銀行ニューヨーク支店の佐々木と黒田、そして山崎や橋本がこのアパートで知り合ったという北海道に本社を持つ製紙会社駐在員の渡瀬、それにもう一人は山崎が接待でよく使うニューヨークでも高級度では五本の指に入ると言われている日本レストラン「杉」のマネージャー森川であった。
(つづく)次回 7月2日(水)
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2014年6月 第3回~第14回
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