2014年6月25日水曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第13回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第2章・予期せぬ下宿人(その3)



マンハッタン西97丁目 第2章「予期せぬ下宿人」(その3) 


 翌日も午後四時に仕事を終え、この日も寄り道をせずまっすぐ下宿へ戻ることにした。昨日のようにタイムズスクエアーのトップレスバーへ行ってみようか、などとは少しも思わなかった。それよりも一時も早くアパートへ戻って、昨日やってきた新しい下宿人のミス・バーマ フォスターと話してみたかったのだ。

 夕食は一旦帰ってその後出かければよい。そう考えながらその日はチャーリーの店も素通りした。
 帰ったときエセルは留守だった。多分いつも午後から出かけて行く病院からまだ戻っていないのだろう。

 キチンの隣の部屋からはズーズーという何か物でも引きずって動かしているような音が聞こえていた。

 「ははーん、ミス・バーマが家具を動かして部屋の整頓をしているのだな」
 修一はそんなふうにに想像した。リビングルームに座って帰りに買ってきたタブロイド版の夕刊紙に目を通していると、奥からバーマがやってきて「いつもこんな時間に帰ってくるの?」と、澄んだ声で聞いた。「いや、今日は特別に」と、言いかけたが、そんなふうに言うと、何か下心を見すかれそうな気がして「四時で仕事を終えたときは、まあ大体こんな時間だよ」と応えた。

 「わたしもここへ座っていいかしら?」バーマはそうことわりながら斜め前のソファに腰を下ろした。ジーンズに包まれたスラーとした長い足が修一の目をまぶしく捕らえた。

 いったい何から話せばよいものか、と戸惑っていると「昨日の自己紹介の続きをするわ」と、バーマが話を切り出した。

 彼女はドイツ系のカナダ人だそうで、このニューヨークへは商業美術の学校へ入るためにやった来たのだと言う。 「父はトロントのハイスクールの数学の教師をしているんだけど、わたしがこちらに来ることを相当反対したわ」バーマはそんなことも話した。父親が高校の数学教師か。それじゃあこの女性の性格はどちらかと言えばお硬いほうなのかもしれない。そのとき修一はそんなふうに思ったりもした。

 バーマが一呼吸置いたとき、今度は修一が口を開き、自分自身について話した。そして、話の最後に「今度暇を見つけて職場のエールトンホテルに遊びに来るように」と付け加えた。

 それに対してバーマは「チャンスがあったらぜひそうするわ」と、素直に頷いた。

 彼女の髪の毛はブロンドではあったが、ピカピカと輝くような色ではなく、光沢はそれほどなく、どちらかと言えば茶色に近く、見た感じでは比較的地味な色であった。鼻は先がツンと尖っており、顔立ちも整っていたが、化粧をしてないせいか、二九歳の年齢よりすこし老けて見えた。決して飛び切りの美人とは言えないが、胸が大きく盛り上がっていて、長い足とよく調和しており、それなりに魅力的だと修一は思った。

 リビングルームで二人がとりとめのない話を続けているところにエセルが戻ってきた。入るなり「サミー、今日は帰りが早いのね」と言うので、修一は一瞬胸がドキッとした。でも別に下心があって言ったようでもなかった。

 予想どおりエセルは病院へ出かけていたらしく、ダイニングに入るなり持ち帰った分厚い袋からテーブルの上にあれこれとたくさんの薬を広げていた。

 壁にかかった年代物の柱時計が七時を差しているのを見て、少し空腹感覚えてきた修一は思い切ってバーマを食事に誘ってみた。エセルの手前すこし気後れを感じないでもなかったが、こんな時間だと彼女とてきっと空腹に違いない。そう思って勇気を出して誘ってみたのだ。それが見事功を奏して、バーマはすこしも躊躇せず「オーケー」と明るく返事した。

 エセルに断って二人で外へ出た。長時間部屋のスチームに当たって身体が温まっていたせいか、夜風もさほど冷たいとは思わなかった。通りへ出るや否やバーマが「わたしこの街並み好きだわ」と言った。来て早々こういうことが言える彼女の感性に多少驚きはしたが、そういえば修一自身も近頃では次第にそう感じるようになっていた。通りに面して両側にきっちりと並ぶ建物は全般的に煤けていて、ムードとしては暗いが、それはそれで煤けた古い建物ゆえの趣と味わいがある。

 心配していた犯罪にしても聞くほどのこともなく、これまでのところまだ一度も危ない目に遭ったことはない。

「僕もこの街は好きだよ」修一はバーマにそう応えた。

 大通りへ入る手前でチャーリーの店へ行こうかと一瞬思ったが、今日は止めておこうと、すぐ思い直した。昨日鼻血のことで冷やかされたばかりだし、今日女性連れで行ったりして、また続けて冷やかされるのが嫌だった。 

 バーマに「中華料理は好き?」と聞くと「大好き」と彼女は答えた。
 それなら決まったとばかり、何度か行ったことのあるアムステル街95丁目の中華レストランへと向かって行った。

 店に入って料理を注文するとき、修一はなぜだか、この際何でもいい、というような気がしてメニュー選択はすべてバーマの好みに合わせた。

 テーブルに所狭しと五~六品の料理の皿が並び、それを二人が両側から取って食べた。どのお皿にも出来立ての料理が山ほど盛られており、バーマが「朝までかかっても食べきれないわ」とジョークを飛ばすほどのものすごいボリュームである。

「わたしニューヨークに居られるのは半年だけなのよ」
食べるのが一段落したところでバーマがボソリと言った。

「そうか、たった半年しか居ないのか、じゃあアッという間だね」
「そうでしょうね。わたしとしてはもっと長い間居たいのだけど、それ以上は奨学金が出ないのよ。もともとこちらに来るのに反対だった父からの送金は望めないし、だからと言ってまだ自分で生活費を稼ぐ自信もないし、やはり半年たったらカナダへ帰るより仕方がないわ」
 
 そういいながら彼女はやや憂いを含んだ目で修一を見た。
 わずか五0センチほど先にあるバーマのそんな表情の彫りの深い顔を美しいと思った。バーマが半年しかニューヨークに居ないと聞いてすこし残念に思ったが、それにも増して二九歳になってでもまだ奨学金の貰えるカナダ人が羨ましく思えた。

 食事が終わってキャッシャーへ立ったとき、バーマが十ドル札を渡そうとした。
「いいよ。これは僕が払うから」と、それを引っ込めさせようとすると彼女はなんとなく怪訝な顔をした。さすがに日本女性とは違うなと思いながらも、「僕の国の日本ではレストランでの支払いはどんな場合でも男性がやることになっているんだ」と、ややはったりじみたことを言った。そう聞いてバーマもなんとなく納得した顔になり、十ドル札を財布に戻した。それを見ながら修一は、習慣の違う国の人を説得するのに、これはいい方法だ。我ながらとっさにうまいことを言ったものだと、ささやかながらも自己満足していた。

 二人は七時に出てから二時間後の九時に下宿に戻ってきた。

 バーマは「素敵な夕食をありがとう。とてもおいしかったわ」といって自室に引き上げて行った。
 部屋に戻ってドカッと椅子に座ると、満腹感からか、しばらくするとものすごい睡魔が襲ってきた。


(つづく)次回6月28日(土)

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