2014年6月21日土曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第11回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第2章・予期せぬ下宿人(その1)



マンハッタン西97丁目 第2章「予期せぬ下宿人」(その1)

 外は相当寒いのか通りに面した部屋の窓はすっかり白く曇っている。早朝のしじまを破ってゴミ収集車の忙しげな音が聞こえてくる。

 このアパートへきて初めて聞く音である。これがウェストサイドの朝の音なのか? そんなことを思いながら修一はベッドを抜け出してすばやく出勤の支度にとりかかった。十二月に入り、エールトンホテルでの修一の勤務は、それまで四週間続いていた午後四時出勤のシフトBから朝八時出勤のシフトAへと変わっていた。

 二日間の休日を挟んでの変更であったが、まだ前の週までの朝寝の習慣が残っており、七時前の起床はつらかった。 さすがにこの時間だとエセルはまだ起きていない。

 風こそなかったが、外は身の縮むような寒さである。コートの襟を耳まで立て、両手をポケットに深々と突っ込み、修一は小走りに地下鉄へと向かった。

 それまでの午後の出勤ではずっと各駅停車のローカルを利用していたが、さすがにこの日は八六丁目までくるとエキスプレスに乗り換えた。なんと言っても朝の十五分は貴重である。


 午前八時、この日初めて早朝出勤の職場について驚いた。二000室の客室をもつこのホテルの朝はまるで戦場のようにけたたましい。

 大きな荷物と一緒に各フロアから宿泊客が出発のためにいっせいに一階ロビーに下りてくる。何百人の客があちこちで輪を作り談笑する声がワーンというひとつの塊になって広いロビー全体を包んでいる。

 そんな喧騒の中で、フロントデスクのカウンターに立った修一は、前から、左右からと間断なしに渡される膨大な量の部屋のキーを、必死になってキーボックスへ収める作業を繰り返していた。このめまぐるしいだけの単調な仕事が、その朝修一に与えられた任務であった。

 それでも十時を回る頃になるとさすがに出発客も減り始め、それまで怒涛のごとく押し寄せていたキーの波も少しずつ途切れるようになっていた。

 この日職場に就いたのは仕事の始まる八時ぎりぎりで、その前にモーニングコーヒー一杯すら飲む余裕がなかった。鍵の収納が一段落したとこで、チーフクラークのマックにことわりコーヒーブレイクをとることにした。

 この職場では昼の五0分の休み以外に午前と午後に各二0分ずつのこービーブレイクが認められていて、各々が仕事の状態を見ながら適当な時間にとることになっていた。コーヒーブレイクと言っても、別に皆がコーヒーを飲むわけではなく、その過ごし方もいろいろあって、ロッカールームのソファで休む者、しばしの間外へ散歩に出かける者、そしてコーヒーショップで遅い朝食をとる者と、皆それぞれである。

 この日朝から何も口にしていなかった修一は、ロビーの隅にあるコーヒーショップは行き、好物のチーズバーガーとコーヒーを注文した。

 楕円形の長いカウンター席には修一と同じように遅い朝食をとっている宿泊客らしき人々がまだ十数人も残っていた。隅のほうへ座って中をグルッと見渡すと、カウンターが大きくカーブした左斜めの席の二人の日本人の姿が目に入った。

 そのうち一人は確か一時間ほど前にフロントにやってきて、東京から来ている近藤誠二と言う人のルームナンバーを教えてほしいと尋ねた男だ。とすると、隣の人がその近藤誠二さんなのか?

 そう思いながらぼんやりと二人のほうを見ていると、先方も修一のことに気付いたらしく、先ほどの男がニコッとして会釈した。つられて修一も頭を下げた。

 修一がまだチーズバーバーをかじっているとき、二人は席を立って出口に向かって歩いて来た。一人がキャッシャーで支払いをしている間に、会釈したほうの男がツカツカと寄って来たと思うと「先ほどはありがとうございました」と丁寧に頭を下げた。

「どういたしまして」修一がそう言い終わるか終わらないうちに、その男は「こちらにはいつからお勤めになっているのですか? わたしは今日のように日本から来た人を迎えにちょこちょここのホテルへ来るのですが、お目にかかるのは初めてですね」と言った。「日本からやってきて、こちらへ勤め始めたまだ一ヶ月です」

 修一がそう応えると、男はポケットから名刺を取り出して渡した。
 N商社ニューヨーク支店 山崎憲一とある。
 「こちらへ来てもうすぐ二年になります。仕事でよくあちこち行きますので今ではニューヨークのことはかなりよく分かっているつもりです。何かこちらのことで分からない事がありましたら、いつでもわたしのオフィスへお電話ください」

 山崎はにこやかな表情でそう結んだ。さすがは一流商社マンで如才がない。年齢は修一より五~六歳上の、多分三0を少し超えたぐらいに違いない。頭髪は七三にキチッとわけ、メタルフレームのメガネをかけて、キリッと口元の締まったその表情からは、いかにもやり手商社マンということが伺えた。
 この日の出会いをきっかけにして修一と山崎のニューヨークでの楽しい交友が始まったのだ。

(つづく)次回6月22日(日)


2014年5月 第1回~第2回
2014年6月 第3回~第10回  

0 件のコメント: