マンハッタン西97丁目 第1章「眠られぬ夜」(その5)
大野修一はこの年二十四歳、二年前東京六大学のひとつ、R大の観光学科を卒業して、ホテル業界では名門の赤坂にあるオーシマホテルへ入社した。
ホテルマンの修行はまずボーイから、こんなこの業界の不文律から、修一とても例外ではなく、最初に与えられた職種は主に客を部屋に案内したりするベルボーイ(ページボーイともいう)であった。
その後は四~五ヶ月おきにドアボーイ、ルームサービス係、客室係と転属させられ、一年半たってようやく当初希望したフロントオフィス勤務となったのだ。
同期の他の社員と比べて、なぜか修一の配置転換は倍ぐらい多かった。でもこれに対しては別段不服にも思っていなかった。 何故ならこのホテルには配置転換の多い社員ほど出世が早いという伝統があると聞いていて、多少の煩わしさはともかく、転属の辞令が出るたびに不服どころか、内心シメシメとほくそ笑んだものだ。
オーシマホテルがニューヨークのホテルエールトンとの間に社員交換研修システムの契約を結んだのは、社長の木谷が渡米した一年前のことであった。契約の内容はオーシマホテルから毎年一名の研修生を送り、カールトンからは料理のシェフを招くというものである。
何故ならこのオーシマホテルには1000名近い社員がおり、400名の女子社員はとりあえず除くとしても、男性社員だけで600名もいるのだ。この中から毎年一名だから十年でも十名でしかない。
接客に関係のない裏方部門の社員約200名を除くとしても、派遣研修生として選ばれる確率はなんと四百分の一なのである。修一は転属が多いことで上司の覚えはめでたい方だと、日頃から自負しているものの、なにぶん確率が確率だけに研修生として選ばれる自信などまったくなかった。
それに所属しているセクションがフロアに詰める客室係であり、地味でなんとなく目立たない。ホテルでよく目立つ華やかなセクションといえば、最も多く客に接するフロントオフィスであるとか、各種のパーティを取り仕切る宴会関係の職場であり、当面の候補者は多分その辺から出るに違いない。そう思いながら修一はフウッと、ため息をついていた。
(つづく) 次回予定6月8日(日)
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(第3回) 2014年6月 1日
(第4回) 2014年6月 4日
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