マンハッタン西97丁目 第1章「眠られぬ夜」(その6)
修一に入社以来五回目の転属辞令が下りたのは、ニュースが発表されてから三ヶ月後のことであった。
〈右の者、四月一日をもって接客課フロントオフィス勤務を命ずる〉
人事部長小谷発信のこの転属辞令を手渡されたときは、やっと待望の職場へつけたと、何にも増して嬉しかった。後で思えばたわいないが、そのころの修一にとってフロントオフィス勤務は長年の夢であったのだ。
学生時代はことのほか英語が好きで、ただそれだけの理由でホテルマンになったと言っても過言ではなく、その英語をもっと練磨するためにも外国人とより多く接する部署に行かなければならない。
それにはなんと言ってもフロントオフィスが一番である。
それに客室係のように目立たない、いわば裏方の仕事と違って、そこには華やかさとスマートさがある。その頃の修一はそうしたことへの憧れを強くもっていた。
新しい部署の仕事にも次第に慣れてきたそれから二ヶ月ほど後のある日のこと、突然、直属の上司である山下部長に呼ばれた。山下輝彦は全社五名の部長のうち最若手である。
この年四十一歳で二年前に修一が入社した年に、都内のあるホテルからスカウトされてやって来た人である。語学がすこぶる堪能な辣腕家で、近い将来きっとこのオーシマホテルを背負って立つ人だと周囲で噂されていた。
だからといって、こうした出世コースを歩む人によくありがちなある種の冷酷さはなく、退社後を過ごす居酒屋と休日に読む本とをこよなく愛する部下思いの人間味あふれた人物である。
来た当時はまだ課長であった山下だが、そのわずか二年後には次長の小坂を追い抜いて一気に部長へと昇格したのである。外資系ホテル出身のせいか、彼の外国人客獲得に対する熱意には並々ならぬものがあった。競合する都内のどのホテルよりも外国人宿泊客が高くなければ我慢できない様子であり、またその宿泊率高めることこそ自分に与えられた使命だと思っているふしがあった。
彼は日頃から〈ホテルのステータスは外国人客数の宿泊率で決まる〉という持論を持っていた。そのおかげもあって、このところオーシマホテルの外国人宿泊率は群を抜いて高くなってきた。
そんな山下を目の当たりにして、この人こそ、自分目標にする人物であると、修一は日頃から深い尊敬の念を抱いていた。
一階のロビーの東隅にある部長室をノックして中に入ったとき、いつもはドアのすぐ右手の席で英文タイプを打っている秘書の木内さんの姿が見えなかった。修一との話のため、山下部長があえて席を外させたのであろうか。
この部長室には月に二~三度しか来ることがない。できることなら社内で美人の誉れ高い木内さんの清楚な顔が見たいと思っていたが、居ないとわかって軽い落胆を覚えた。でもそんな胸の内を山下部長に見破られないようにと、平静を装って部長の方へと進んでいった。
業務日誌に目を通していた山下は、修一が入って行き、深々とお辞儀すると、「やー大野君」とにこやかに手を上げて応えてくれ、すぐ側のソファに座るようにと促した。
「どうだい。フロントオフィスの仕事にはもう慣れたかい?」
この一ヶ月ぐらいの間に彼からもう三~四度受けている質問である。 「はい。おかげ様でなんとか」修一は丁寧にこたえた。
それは決して儀礼的な返事ではなく、修一自身も、このごろすっかりフロントオフィスの仕事にも慣れてきた。と自らも思っていたのだ。
少し間をおいた後、「実は君にとってもとてもいい話だと思うんだが」と切り出した山下の話を聞いて、修は一瞬、まさか!と思った。そして話を聞き続けていくうちにこの〈まさか〉という気持は、思わずその場で飛び上がりたいほどの喜びとなって胸を包んだ。
修一が「第一期米国派遣研修生」の三名の候補者一人に選ばれたというのだ。
客室係の頃はまるで他人事のように思っていたことだが、タイミングよくフロントオフィスへ転属したことで、あるいは、という淡い期待も抱いていたのだ。
でも、この部署だけでも約50名の男性社員がおり、その中には有名大学出身で将来を嘱望されている人物もかなり含まれていた。やはり自分が選ばれる可能性は少ないだろう。そう思っていた矢先のこの知らせである。これが喜ばずにいられようか。選ばれた三名の候補者は、この日から数えて四十日後の七月十五日までに、定められたテーマによる論文を提出し、その優劣により最終的に派遣研修生一名が選ばれるというのだ。
この思いも及ばない吉報に接した修一は、嬉しくてワクワクするする胸をかろうじて抑えながら気になるあと二名の候補者の名前を山下に尋ねた。
そのうちの一人は二年先輩で、多くの一流ホテルマンを輩出している関西の名門私大出身の三木という男であった。彼は入社時より、企画課とか広報課だとかの、いわば会社のブレーンともいうべき部署を歩んできている文句なしのエリート社員である。
その彼は、なんとフロントオフィスのすぐ隣にあって、いつも課員同士が顔をあわせる客室予約課で働いているではないか。なんともやりにくいことになったものだ。一瞬そうは思ったが、関心はすぐ別のもう一人の候補者の方へ移っていった。もう一人はベバリッジ部門の係長、町田であった。
ベバリッジというのは、ホテルで扱う飲料のすべてを取り仕切るセクションであるが、修一はこの町田という男についてほとんど知らなかった。
ホテルの職場は大きく分けると宿泊部と料飲部とになるが、入社以来一貫して宿泊畑を歩んできた修一にとって、料飲部に属するベバリッジ部門は仕事に関連性がないということもあって、全社合同会議などでもこの町田という男と一緒になったことは過去一度もなかった。
係長だから、年齢は三〇を超えているはずで、修一や三木よりかなり歳上である。時々社員食堂などで見かけることはあるが、これまでまだ一度も口をきいたことがない。一メートル七十二センチの修一よりはるかに背が高く、しかも端整な顔立ちをした中々の好男子である。まだ独身ということもあって、女子社員の間では評判が高いのだ、といつか部長秘書の木内さんから聞いたことがある。
「でも私はああいうタイプ好きじゃない」木内さんの最後にいったこのセリフを聞いて、なぜかそれまで以上に彼女のことを好ましく思うようになっていた。
まだその段階では三名の候補者の中の一人に過ぎず、選ばれる確率は三分の一なのだが、最終選考が論文だと聞き、修一は意を強くした。本を読むことが大好きで、そのせいか文章を書くことも嫌いではなかった。
あれはまだ大学生の時だった。ある大手出版社の催した論文コンクールで応募した作品が見事佳作に選ばれたのだ。そのときのタイトルは「日本のサービス業とノーチップ制について」というものであった。
その時出版社の社長名の入った賞状と賞金五万円を貰ったのだ。今回の論文がもし英作文とでもなるとエリートの三木あたりにはかなわないかもしれないが、日本語によるものだとすれば話は別だ。 こちらにもじゅうぶん勝算あり。
そんなふうに思いながら修一は次第に大きく胸をふくらませていった。
(つづく)次回予定6月11日(水)
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