2014年6月22日日曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第12回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第2章・予期せぬ下宿人(その2)



マンハッタン西97丁目 第2章「予期せぬ下宿人」(その2)

 その日午後四時に仕事を終え、早々と着替えをすませて街へ出た。 
 日暮れまでにはまだ一時間あまりある。地下鉄乗場へ向かって歩きながら、ふと二日前に行ったタイムズスクエアーのトップレスバーへでも行ってみようかと思ったが、慣れない早朝からの勤務で身体が疲れていたせいか、次第にそれも億劫に思えてきた。「これから二週間はずっとこの時間帯に帰れるのだし、あそこへはまたいつでも行けるではないか」そう思って、その暇まっすぐに九七丁目の下宿へ帰ることにした。

 地下鉄を降りてチャーリーの店に寄り、この前の鼻時のことを冷やかされながらビーフシチューと硬めのライスで夕食をすませ、エセルのアパートへ戻ったときは、それでも六時を少し回っており、辺りにはすっかり夜のとばりが下りていた。

 ダブルロックを開けて中に入ったとき、辺りになにかいつもとは違う雰囲気が漂っているのを感じた。普通は閉まっているキチンの隣の部屋のドアがなぜか開け放たれており、奥のほうからはエセル以外の別の人の声が聞こえてくる。怪訝に思いながらリビングルームへ入っていくと、エセルの前に見知らぬ若い女性が腰掛けていた。「誰だろう?」と思いながらも、とりあえずその人に向かって「ハロー」と
挨拶した。

 「サミー、この人がこの前話した新しい下宿人のミス・バーマ フォスターよ」と、エセルが言った。それを聞いてびっくりした。初雪の降った朝、十二月から新しい下宿人がやってくるとは聞いていたが、まさかそれが女性だとは思ってもみなかった。「二九歳のカナダ人よ」エセルからそう聞いたときは頭の中で、背の高い金髪の青い目をした男、と勝手に決め込んでいたのだ。

 エセルからは過去にこのアパートにいた多くの下宿人の話を聞いたが、その中に女性の下宿人の話など一度も出てこなかったし、背の高い金髪の男という想像も、それまでのいきさつからは自然なことなのである。

 目の前のその新しい下宿人ミス・バーマ フォスターは立ち上がって自己紹介した後で右手を差し出した。修一も慌てて手を出し握手に応じたものの、突然のことでドギマギしたせいか自分の紹介がずいぶんぎこちないものになってしまった。

 立ち上がったミス・バーマはどう見ても修一より二~三センチ背が高い。
 日本人の自分の体格も欧米人に比べると、女性にも劣るほどまだまだ貧弱なのだと、嘆かわしい思いだった。

 また腰を下ろし話を続ける女性2人に別れを告げ、自分の部屋に戻ったときの修一は、なんとなくソワソワして落ち着かなかった。

 飛びきり若いとは言えないが、これからは金髪の白人女性と同じ屋根の下で暮らすことになるのだ。そう思うと、先ほどのドギドキした気持ちは次第にワクワクとしたものへ変わっていった。


 部屋に戻ってしばらくの間はそんな浮ついた気分であったが、しばらくして少し落ち着きを取り戻した修一は、ふと、東京のオーシマホテルへ一ヶ月に一度レポートを提出しなけらばならないのだが、その時期が迫っていることに気がついた。

 こちらのホテルでの研修内容およびその感想。それにニューヨークの全般的なホテル事情などをレポート用紙十枚程度にまとめて毎月十日までに人事部長宛に送ることが義務付けられているのだ。

 来る前にそれについて聞いたときは「そんなの軽い」と高をくくっていた修一だが、いざこうして取り組まなければならない時となれば、レポート用紙十枚はズシリとこたえる。せめてこれが半分の枚数ならと、ここへきて修一はずいぶん虫の良いことを考えていた。

 それにこのレポートだけでなく、総務課で社内報を編集している河野嬢からは「社内報の記事としてニューヨークでの生活ぶりをぜひ書いて送ってください」と頼まれているのだ。この方は期限はないものの、そうかと言って余り間をおくと、待っている相手は気が抜けてよくないだろう。

 「あーあ、レポート二題の作成か」そう思うと修一は先ほどのワクワクした気持ちも次第に失せていき、重たい気分になってきた。

 それでも、まだ八時か、と時計を見て意外に早いことに気付いてから、とりあえずレポートだけは今夜中にまとめてしまおうと心に決め、引き出しから日本から持参してまだ一度も使っていない新しいレポート用紙を取り出し、それにエールトンホテルでの仕事内容などをメモした小さいノートも取り出した。

 机の前に座った修一は先ほどとは違って大分落ち着いてきてはいたが、引っ越してきたミス・バーマのことがまだ時々チラチラと頭をかすめていたた。

 来たばかりで今日は疲れただろうから、早く眠るかもしれない。もうバスには入ったのだろうか? バスルームは修一の部屋を出てすぐ右手のリビングルームの前にある。エセルがそこへ入るときは、いつもドアをバタンと閉めるのですぐ分かる。

 ペンを握り、レポート養子に向かってはいたものの、気持ちはあらぬ方向にそれていて少しも集中できなかった。再度時計に目をやり「いかん、いかん」と大きく呟いた。そして相撲の取り組み前の力士がよくやるように、両手で顔をバシッと叩き、今度は真剣にペンを走らせていった。

 ようやくレポートを書き終えてペンを置いたとき、時計はすでに十二時を差していた。三時間の予定が一時間近くもオーバーしている。こちらへ来て一ヶ月あまり、絵葉書と散発的に書く日記以外には日本語を使っておらず、文章感覚が少し鈍っているようであった。

 隣の部屋からまたエセルが咳をしているのが聞こえたが、それは長くは続かず、気になるというほどのものでもなかった。

 ベッドに入る前にシャワーを浴びることにしてリビングのほうへ出て行った。
 そこからキチンの隣のミス・バーマの部屋のほうを伺ったが、静かで何の物音も聞こえなかった。どうやらもう眠ったみたいだ。そう思いながらバスルームに入り、ものの五分もシャワーを浴びたかと思うとすぐ浴室を出てきて、あたふたとベッドへもぐり込み、やがて深い眠りへと落ちていった。


(つづく)次回6月25日(水)


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