「かっこいい」より「知的」と言われたい
誉め言葉で好きなものを一つ上げよ、と言われたら、躊躇なく真っ先に挙げるのは「知的」という言葉です。
知的、つまり賢そうとか、頭が良さそう、ということです。
誉め言葉の代表的なものに「カッコいい」があります。でも個人的には高齢者に分類される今となっては「かっこいい」と言われることなど期待していません。
というか、そんな言葉とは、とっくに無縁になっている、と言った方が良いかもしれません。
ところが、こと「知的」に関しては、無縁どころか、いまだに強い執着があります。要するに人にそう思われ、そう呼ばれたい気持ちが強いのです。
外見で望むのはカッコよさより知性的
若いころは誰でもカッコよさに憧れるものです。つまり映画スターのような外見の良いルックスに魅力を感じ、あんなふうになりたいと憧れるのです。
したがってこの頃は外見をよくするために服装やアクセサリー、あるいは化粧に気を使い、そのためにお金を消費することが多くなります。
それだけではおさまらず、中には大金を使って、容姿をよくするための整形手術に頼る人もいます。
そうした人たちは自分をカッコよくするためには大金の出費も惜しまないのです。
でも心ある人たちは、歳を取るにしたがって、カッコよさより知性的なルックスを重視し始めます。
つまり、見た目の派手なカッコよさより、渋い知性的な風貌に魅力を感じるようになるのです。こうした思いは年を経るごとに強くなっていきます。
人の顔はどのように形成されるのか
「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」というのは、元アメリカ大統領リンカーンの有名な言葉です。
この言葉は、良くも悪くも、40歳を過ぎた自分の顔は、すべて自分自身が作ったもの、という意味ではないのでしょうか。
つまりそれまでの自分の行いがすべて顔に現れるということを意味しているのです。
もっと平たく言えば、過去の善い行いや、悪い行いはすべて40歳以後の自分の顔に現れる、ということなのです。
この場合の善い行い、悪い行いというのは、行動が知的であったかどうかという点です。
つまり教養を積むための努力を惜しまなかったか、それとも本能に負けて遊興にばかり走ったか、の2点です。この2点が顔の形成に大きな影響を与えるのです。
この場合どちらがどうであるかは言うまでもないでしょう。
本をたくさん読んで勉強に励めば知性的になるか?
上では知的な面での良い行動、悪い行動について書きました。
良い行動については「教養を積むための努力」。悪い行動には「本能に負けて遊びばかりに走る」の2点を挙げています。
でもこれは果たして正しいでしょうか。つまり、教養を積むために努力をすれば知的な顔をつくることができるのでしょうか。
反対に本能に負けて遊びにばかり走れば、バカ面になってしまうのでしょうか。
これについては一概に断定することはできませんが、周りの人をよく観察すれば概ね当たっていると言ってもいいのではないでしょうか。
知的な顔という点では、一般的に教養を積んでいると思われる人たち、たとえば大学教授、医師、弁護士、などに知的な風貌の人が多いのは事実です。
では教養を積むための努力がなぜ知的な風貌を作るのでしょうか。
それは読書にみるように、本を読めば考える習慣が身につきます。書かれていることに対して、なぜ?と反問するからです。
その結果思索することが多くなり、その度重なる経験が知的な風貌の形成に役立つのではないでしょうか。
でもこの問題は単純ではなく、ネットで調べても該当する答えはあまり見つかりません。
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