大阪で「EXPO’70」と銘打った「万国博覧会」が開かれた頃のことであるから、もうかれこれ40年ぐらいも前の話である。
万博といえば開催期間が半年にもわたる長くて規模の大きい催し物だけに、その展示場建設にも、また多くの人員と長い期間を要したものだ。
これは日本が高度成長真っ只中にある時期に、その万博建設現場で働く作業員が登場してくる話である。
高度成長期と言われた頃は、とにかく物がよく売れた時代である。それもそうだろう。黙っていても給料が毎年20%近くも上がっていく時代なのである。それを当て込んで人々はどんどん物を買うのである。
これから書くことは、はそんな「物がよく売れた時代」を象徴するような話である。
この話を聞いたのは書籍販売会社の大阪のある営業所の所長をしていた人からだ。彼の前職は百科事典のセールスマンであった。
その百科事典とは日本の物ではなく、アメリカの出版社によるかの有名な「B」というイニシャルで始まる世界一と言われていた百科事典である。
彼が言うにはその会社のセールスマンにはひとつの合言葉があり、それはイニシャルが「IHNT」というものであった。彼はまずこのイニシャルの説明の段階で笑わすのである。
彼いわく。「I HNT」というのはつまり「私はHでのろまなとんまです」という意味です。
これを聞いて笑わない人はいないだろう。私も聞いた瞬間大笑いした。
この会社のセールスマンはみな胸に「IHNT」と書かれた札をつけており、客から「それはなんという意味ですか」と聞かれると、即座に先ほどのとぼけた説明をするのだという。
これでその場の雰囲気が一気に明るくなり、その先の商談を有利に進めることができるのだというのだ。
ではそのイニシャルの真の意味は何かといえば「I hate nagative talk」なのだという。これを訳すと「私は決して否定的な言葉は使いません」というような意味だろう。
では話を冒頭の万博建設現場に戻そう。
何でもよく売れる時代の今では考えられないような話である。
話をしてくれた当人のことではないが、同じ営業所の同僚にSという腕利きセールスマンがいて、ある日そのSが嬉しそうに契約書を掲げながら言ったそうだ「おい売ってきたぞ。万博の工事現場で」
彼がそう言うので、きっと工事現場の所長かなにかの偉い人に売ってきたのだろうと思ったのだが、念のために「お客さんはどんな人?」と聞いてみたそうだ。
するとSは何食わぬ顔で答えた「どんな人って、普通の20代の工事をしている人だけど」「エッ、エライさんじゃなくて普通の工事作業の人?」彼は少し驚いて聞き直したがSは一言「うん」と答えるだけだった。
彼が驚くのも無理はない。その百科事典は英語版で、その頃の顧客ターゲットは主にインテリ層に絞っていたからである。
それもそうだろう英語の百科事典を普通の人が買うわけがない。しかも給料が今よりうんと安い時代なのに、この百科事典の価格は10万円以上したのである。
でもそのSはそんな常識を破ったのである。普通の人どころか、現場で力仕事の作業をしている人に売ってきたのである。
この話には後日談がある。そのSの話を聞いた他のセールスマン2人も、後日同じ工事現場で同じような人に1セットずつに売ってきたのである。
これははつまり、バブルの時代が今と違っていかにすごかったかを象徴するような話なのである。
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