今さら言うまでもないが資本主義社会というのは好む、好まざるに関わらず多かれ少なかれ勝ち負けの世界である。
要は強いものが勝ち弱いものは負けるのである。
そしてこの勝ち負けの割合は決して平等ではなく、概して「勝つものはいつも勝ち、そして負けるものはいつも負ける」のである。
厳しい言葉ではあるが、これが弱肉強食とも言われる資本主義の原理である。
ではこの競争社会でいつも勝つ側に立つ人とはいったい相手に対してどういうふうに臨んでいるのであろうか。
手っ取り早く言えば彼らはものごとを進めるに当たって、すべて自分のペースで展開することをモットーとしていて、常にそれを実行し続けているのである。
先月のこのブログにも取り上げたが「営業マンのバイブル」とも言われている日本を代表する広告会社「電通」の「鬼の十訓」という訓示の第5番目には次のような一節がある。
「周囲を引きずりまわせ,引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地の開きができる」
今の時代にこれを読むとやや過激な印象を抱くのは否めないが、これが作られた当時は世の中に勢いがあり、ビジネス戦士には大いに共感を持って迎えられたのであろう。
ではこれを少しソフトな語調になおしてみると、
「相手をじゅうぶん引きつけて自分のペースにもっていきなさい。まちがっても相手のペースに乗ってはいけません。もしそうであると決していい結果は招きませんよ」
というような意味あいではないだろうか。
二者間の関係と言えば何も営業マンと客に限らず、人と人のこの世の中にはいろんな種類の人間関係がある。
例えば親と子・夫と妻・上司と部下・先生と生徒・スポーツチームの監督と選手。などなど。
さてこれら各種の人間関係においては、当然のことながら2者間にはおのずと力関係というものが生じてくる。
この力関係が正常であれば世の中のものごとは良い方向に進み、不正常であれば悪い方向に進むのが常である。
では正常な力関係とはどのようなものなのだろうか。
上に並べた関係のうち、「夫と妻」だけはやや微妙であるが、あとはいずれも前者の方が力関係において上位にくるのが「正常」で、これが逆転すれば「不正常」なのである。
もしそういう状態になれば子は親の言うことを聞かなくなり、学校では授業がスムーズに進まず、スポーツのチームは連戦連敗で少しも強くなれず、また営業マンは成績が上がらずと、まるで良いことはなく悪いことずくめなのである。
であるが故になにはともあれ前者が力関係の上位にくるのは絶対的なことなのである。
さて「力」と一言で言ってもその力にもいろいろな種類がある。
ここではその力のうち、「人をひきつける力」に焦点を絞って話を展開していくことにする。
まず「先生と生徒」「営業マンと客」の二つの関係を例にとって考えてみることにする。
今学校現場で、生徒が授業中に勝手な行動をとって授業がうまく成立しにくくなっている。というようなことをよく耳にする。
端的に言えばこうしたことが起るのは先生に生徒を引きつける力が不足しているからである。
つまり、いかに知識がある先生でも、授業に入る前や授業中での生徒の「引きつけ」がうまくできていなければ授業がスムーズに運ばないのは当然ではないだろうか。
なぜなら一般的に言って生徒はあまり勉強が好きではないからである。
でも要所要所であえて授業内容から離れてでも生徒を引きつける努力を怠らない先生は、勉強嫌いな生徒相手でも何とか授業を成立にこぎつけることができるのである。
だからこそ教師には知識力のまえに生徒を「引きつける力」が要求されているのである。
では次に「営業マンと客」を例にとってみよう。
よく営業の世界では「モノを売るより人を売れ」ということが言われる。
一昔前に比べて人々の物質欲がうんと少なくなってモノ離れが進んでいる今、人に物を買ってもらうのは大変なことなのである。
そんな中にあって、商品はあまり欲しくないが、あなたが勧めるのなら買ってもいいよ。というようなケースがあるが、これはまさに客はモノではなくヒトを買っているわけで、これこそ営業マンの究極の「客の引きつけ」が成す技なのではないだろうか。
客を立ててはいても、常に優位な立場に自分を置いて,モノではなく徹底的に人となりを売り込んで客を引きつけているのである。
授業の進め方の上手な先生しかり、成績のよい営業マンしかり。まさにこれこそ「引きつけなんぼ」の世界なのである。
さてあなたは引きつける側にまわるか、引きつけられる側にまわるか?
人を引きつけるための五つの要素
・対面のときは必ず笑顔で接する。
・アイコンタクトを忘れない。
・常に相手に関心をもち、ほめ言葉を随所で使う。
・相手の発言に応答するときは必ず「そうですね」「おっしゃるとおりですね」から始める。
・電話では相手の息づかいで状況を察知する。
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