とある街角で大学生と思しき男性二人づれに観光客らしい白人の外国人が駅への道筋をたずねていた。
「おい、お前しゃべれるか」
「うーん、でもお前がしゃべれよ」
とかなんとか譲りあいながらも、そのうちの一人が仕方なくしゃべり始めた。
「ストレイトゴー、ゼアリズ ステーション レフトサイド・・・」
ざっとこんな調子です。
果たして通じたかどうかは定かではなかったが、アメリカ人らしきその中年の男性は微笑みながら去っていった。
外国人に道をたずねられる。
ますます進む国際化社会において、今では誰もがいたるところでこうした場面に出くわすものと思われる。
でも悲しいかな、大学生である先ほどの彼ですら、この程度の英語力しかないのである。
これまでに少なくとも7〜8間年も英語を学んできたにもかかわらずである。
果たしてこれを嘆かわしいと言わずに何と言えるであろうか。
いや、嘆かわしいを通り越してむしろ腹立たしいと言ったほうがいいかもしれない。
でもこれは決して彼ら大学生だけの問題ではない。
今ではほとんどの人が中学、高校を通じて6年間も英語を学んでいる現在の日本で、こうした場面ですらすらと答えられる人はわずか数%しかいないというのが現実の姿である。
日本人の英語べた。このことはいまや国際社会にも広く知れ渡っている事実である。
その証拠に国際会議などに出席した日本人が「ジャパニーズ」のスリーエスなどと言われて外国人からよく冷やかされるそうだ。
「スリーS」
つまりだんまりを決め込むsilence(サイレンス)。
タヌキ寝入りのsleep(スリープ)。
照れ隠しでやる愛想笑いのsmile(スマイル)。
この三つを称して「日本人のスリーS」と言うそうである。
非常のよく出来ているとはいえ、当事者にとっては誠にしまらない話ではないか。
こんな屈辱的なことはない。
「ノーモアージャパニーズスリーS」
そのためにも国際社会で通じる確かな英語力育成は急務であり、また避けられない課題でもある。
「おい、お前しゃべれるか」
「うーん、でもお前がしゃべれよ」
とかなんとか譲りあいながらも、そのうちの一人が仕方なくしゃべり始めた。
「ストレイトゴー、ゼアリズ ステーション レフトサイド・・・」
ざっとこんな調子です。
果たして通じたかどうかは定かではなかったが、アメリカ人らしきその中年の男性は微笑みながら去っていった。
外国人に道をたずねられる。
ますます進む国際化社会において、今では誰もがいたるところでこうした場面に出くわすものと思われる。
でも悲しいかな、大学生である先ほどの彼ですら、この程度の英語力しかないのである。
これまでに少なくとも7〜8間年も英語を学んできたにもかかわらずである。
果たしてこれを嘆かわしいと言わずに何と言えるであろうか。
いや、嘆かわしいを通り越してむしろ腹立たしいと言ったほうがいいかもしれない。
でもこれは決して彼ら大学生だけの問題ではない。
今ではほとんどの人が中学、高校を通じて6年間も英語を学んでいる現在の日本で、こうした場面ですらすらと答えられる人はわずか数%しかいないというのが現実の姿である。
日本人の英語べた。このことはいまや国際社会にも広く知れ渡っている事実である。
その証拠に国際会議などに出席した日本人が「ジャパニーズ」のスリーエスなどと言われて外国人からよく冷やかされるそうだ。
「スリーS」
つまりだんまりを決め込むsilence(サイレンス)。
タヌキ寝入りのsleep(スリープ)。
照れ隠しでやる愛想笑いのsmile(スマイル)。
この三つを称して「日本人のスリーS」と言うそうである。
非常のよく出来ているとはいえ、当事者にとっては誠にしまらない話ではないか。
こんな屈辱的なことはない。
「ノーモアージャパニーズスリーS」
そのためにも国際社会で通じる確かな英語力育成は急務であり、また避けられない課題でもある。
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