初版は今から12年前の2000年に出版された本であるが、なぜか図書館の新刊コーナーに並べてあった。
利用者のリクエストでもあって最近買い足されたのだろうか。
まあそれはさておき、タイトルのユニークさに魅せられ思わず手に取った。
内容を少し読んでみると、なかなか面白そうなので借りて読んでみた。
著者の野口健氏はこれを執筆した当時はまだ若干25歳の若者であった。
そんな若者が書いた本ではあるが、まず惹かれたのは、父親が外国の大使を勤める外交官という超エリート家庭の出身にもかかわらず高等学校の勉学にすらついていけず、落ちこぼれ生徒になってしまったということである。
そのことに対して、ミスマッチというか、ギャップというか、うまく表現できないのだが、いわゆる世間一般のエリートに対する評価基準とは何か違ったものを感じたのだ。
つまり、遺伝子的にも恵まれていて、頭がいいはずの著者が高等学校で"落ちこぼれ生徒"になったということに対して不可解な気持を感じると同時に、そのことに対しての強い関心もわいてきたのである。
勉強には落ちこぼれた著者ではあるが人生そのものには失敗しなかった。
イギリスの学校(英国立教学院)を停学処分になったとき、いったん日本帰り、旅行先の大阪の本屋でたまたま冒険家の(故)植村直美氏が書いた本(青春を山に賭けて)に出会った。
そしてその本に大きな影響を受け、植村氏を称えるとともに、彼が一生をかけた登山という冒険に魅了されたのだ。
ここから彼の登山家としての活動は始まる。まず手始めのモンブラン登頂の成功を機に、次々と世界の名峰を目指し、19歳でマッキンレー、21歳で南極大陸最高峰ビンソン・マッシーフに登頂成功、そして最終目標であるエベレストに3回目の挑戦で登頂成功し、歴代最年少で世界の7大高峰を征服したのである。
16歳で登山を始めて10年間、常に死と隣り合わせの危険をも顧みず、幾度ともない失敗にもめげず、成功に向けて果敢に挑戦した著者の勇気は実に見上げたものである。
この間に著者は若者らしく、私生活の面でいろいろな失敗も積み重ねていく。
例えばネパールでシェルパの娘に一目ぼれして、後先も考えず結婚してしまい親族から総すかんをくらったことなどはまさに若気の至りでの失敗といえる。
だが、後にその行為を深く反省して、過去を清算してやり直しているのは、やはり著者に人間性の優れているところである。
また豊かな人間性とともに持ちあわせたその優れた根性は登山そのものだけでなく、その前のスポンサー探しにもよく表れている。
たとえば、最後のエベレスト登山に際しては、高額な登山費用を負担してくれるオーナーを探すため、実に140社と驚くほど多くの数の会社を訪問しているのである。その根性たるや実に見上げたものだ。
著者は外交官というエリートを父親に持つのだが、母親は父親が赴任先で知りあったごく普通の市井のエジプト人であり、そうした両親の血をうけた混血児であるが故に、たくましい雑草魂が育まれたのであろうか。
この作品は人々に勇気と希望を与える名著である。これから世の中を目指す若者をはじめ、多くの人に読んでもらいたいものだ。
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著者、野口健氏について
元外交官の野口雅昭とエジプト人の母との間に次男として生まれ幼少期を海外で過ごす。
カイロ日本人学校の小学部から、イギリスの立教英国学院小学部に6年時に転校。同学院の高等学校在学中、本人の言葉によれば"落ちこぼれ"の不良生徒であり、学校の先輩と喧嘩をして一ヶ月の停学処分を受ける。
停学中の一人旅で植村直己の著書と出会い登山を始める。卒業後、亜細亜大学へ一芸入試で合格する。
七大陸最高峰の最年少登頂達成
亜細亜大学入学後から、世界の名立たる山々へ挑戦を挑み、各地で最年少登頂記録を樹立する。
大学と並行して登山を続け、卒業前の1999年、25歳の時に世界最高峰エベレスト(ネパール名サガルマータ)にネパール側から登頂し3度目の挑戦で登頂。当時の七大陸最高峰の世界最年少登頂記録を更新。大学には8年間在籍した。
南極最高峰ビンソン・マシフ挑戦を前に、かつて植村直己のドキュメンタリーを多数製作していた大阪の毎日放送の取材が始まり、以後、野口のドキュメンタリー番組が立て続けに放送される。
それらの番組において、危険な仕事を強いられるネパールの山岳民族シェルパ族の命が先進国の登山隊によって軽んじられている実態を告発している。
清掃登山の開始 [編集]1997年に初めてエベレスト(チベット名チョモランマ)にチベット側から挑戦した際、標高6500m地点で積極的にごみ拾いを行うヨーロッパ登山隊のそばで、日本隊が捨てたごみをテレビスタッフと共に見つけ衝撃を受ける。
その映像は「汚された最高峰」として、毎日放送の同行記者榛葉健が「筑紫哲也ニュース23」やJNNなどの報道番組で問題提起を行った。
これはチョモランマ(エベレスト)に多くの登山家がごみを放置している実態をテレビで告発した世界初[要出典]の報道となった。ごみ回収の活動について、日本隊の投棄していたごみが一番多かったという発言をしている。
野口はこの経験を皮切りに環境問題への意識を強く持つようになり、その後もエベレスト、マナスル、富士山などの清掃登山を精力的に行うようになった。
また同時期に、シェルパの遺族を救うシェルパ基金を設立。現在は、日本の国立公園や各地の山、講演会、自然教室などで「富士山から日本を変える」をスローガンに、環境問題の普及を提唱している。
また、野口の活動を全面支援するNPO富士山クラブ理事。東京都レンジャー、富士山レンジャーの提案者であり、現在は名誉隊長を務める。
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