2011年5月7日土曜日

1970,NewYork City「西97丁目」の思い出(11)・夜のセントメモリアル病院(その1)

夜のニューヨーク

真夜中にまたエセルの激しい咳の発作が

クリスマスも間もないある風の強い日の深夜、エセルがまた激しく咳き込んだ。

私がベッドに入って間もないときで、うつらうつらし始めた矢先のことである。

散発的な咳はほぼ毎日のようにあっても、新しい下宿人バーマがこの家にやってきた12月に入ってからは、不思議とその前のような強いものが無かっただけに、その夜の発作がことさら激しいものに聞こえた。

少しでもその音から逃れようと、毛布ですっぽりかぶって耳を覆いながら、しばらくすれば止まるだろうとひたすらその時を待ったが、30分ぐらいたっても一向に治まる気配がなく、むしろ一層激しくなっているようだった。

エセルはこの前の時のようにリビングの方へは行かず、いつまでもベッドの中で咳き込んでいた。

「すごく苦しそうだな」私はそう呟くと眠たい眼をこすりながらベッドから起き上がってエセルの部屋の方へ歩いていった。

ドアを3〜4回ノックすると、苦しい息づかいの中でエセルが「カムイン」と弱々しく返事した。

ドアを開けて中へ入ったとき、咳き込んで大量の息を空気の中に放ったせいか、少しいやな臭いが鼻をついた。

奥のベッドに、苦しくたたまらないというふうに顔をしかめたエセルが「ハーハー」と荒い息をしながら横たわっていた。

私が入っていった時、チラッと見てまばたきをしたが、その表情は少しも変わることは無かった。

苦しさで笑顔を作る余裕などなかったようだ。

エセルはよく聞き取れないほど弱々しい声で「そこの水をとって」と言った。

枕もとのサイドテーブルに水差しとコップが用意されているのに、手を伸ばして取る気力さえ失っていたのだ。

私はコップに水を注いで手渡そうとしたが、この状態だと起き上がるのもきつかろうと、彼女の首の下に手を入れて頭を持ち上げ口にコップをつけてやった。

後頭部は生温かく、ジトーと汗でぬれており、それが手のひらにつくのがわかった。

三口ほど飲んで、「もういい」とエセルは言った。

手を離してコップをテーブルに戻しながら「薬はのんだかい?」と聞くと、「寝る前にちゃんと飲んだわ」とかすれたか細い声で答えた。

それでも水を飲んだ後は一時の間咳は止まっていた。

それならばと私が立ち上がって2〜3歩ドアの方へ進んだところでまたエセルは激しく咳き込んだ。

「あーあ、この先いったいどうしてあげればいいのだ」

私は立ち止まって考えた。

バーマを起こして相談しようか?いや、彼女は朝から学校があるのでそれも気の毒だ。やはり止しておこう。

医者を呼ぼうにもこんな深夜ではきっと無理に違いない。

エセル、991で救急車をよぶ

私がそんなふうに自問自答を続けていたとき、背後でエセルの「電話を取ってちょうだい」という声が聞こえた。

電話をいったいどうするのかなあ?と思いながらも、部屋の隅からコードをのばしてそれを取って枕元に置いてあげた。

寝返りを打ってかろうじて横向きになったエセルはやっとダイアルを3回まわした。

相手が出てくると彼女は話し始めたが,声が小さくて弱々しく、そばに立っている私ですらよく聞き取れなかった。

それでも「苦しくてたまらないから来て欲しい」という意味のことを喋っているのがなんとなくわかった。
相手がなかなか言い分を聞いて呉れないらしく、エセルは執拗に同じセリフを繰り返していた。そして時おり咳に襲われ、受話器を口から放していたが、話をすすめるにつれて次第にその声は哀願調になり、やがてそれは泣き声へとかわっていった。

それでも十分間ぐらい話して、ようやく相手が納得してくれたらしくエセルは投げ出すように受話器を置いた。そして「救急車が来るわ」とひとこと言った。

「そうか、さっき彼女が電話した先は991の救急電話だったのか」その時になってようやく私は事情が飲み込めた。

エセルはやっとの思いでベッドに半身を起こした。でもどう見ても一人で立ち上がって身支度をするのは無理なようだ。

私はクロゼットを開けて、彼女が外出時にいつも着ていく茶色のワンピースを取ってベッドに持っていき、手を取って着せてあげた。

そして肩を貸して立ち上がらせた。

上背こそそれほど無いのだが、エセルはどちらかと言うと肥満型の老人で私の肩にズシリと体重がかかった。

よたよたしながらなんとか壁際の肘掛け椅子までつれていき、「コートはどこか?」と聞くと、「キッチンの椅子の上だ」と言うので、それを取ってきて乱れたベッドの上に置いた。

To be continued

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