2010年11月12日金曜日
日 本 を な め る な!!
最近の領土問題におけるロシア、中国を初めとして、このところの日本は近隣諸国からずっと「なめられっぱなし」と言ってもいいような状態が続いている。
なぜなんだろう。
「先進七カ国」にも入っていて、このところ多くのノーベル賞受賞者も出したりして、国際的な観点から眺めても、ある程度の国力を示しているとも思われるのに、そうした思いとは裏腹に、国家として少しも重んじられることはなく、いつも軽んじられてばかりいるのである。
なぜいつまでもこうした状態が続くのであろうか。
また他国に「なめられる」原因はいったいどこにあるのであろうか。
およそ二者間の関係において、相手に「なめられる」ということは碌なことではない。
そしてどんな関係に於いても相手になめられたらすべてが「終り」であるとも言えるのである。
このことは国際関係に限らず、世の中のあらゆる関係についても同じである。
つまり親と子供、教師と生徒、上司と部下、客と営業マンなどの関係においてもなのである。
では相手に「なめられる」ということが、その後の関係にどのような悪影響を及ぼしていくのであろうか。
最も悪いことは、相手が言うことを聞かなくなるということである。
それは当然ではないか、「なめる」ということは言い換えれば「軽く見る」ということで、そんなふうに見た相手の言うことなど誰も聞くはずがないからである。
このことは学校を例にとって見ればよくわかる。
ある学校のあるクラスで雑談や邪魔が多く授業が成立しにくいという場合を考えてみよう。
おそらくこのクラスも始めの頃はそうではなかっただろう。しかし先生の様子を伺っていくうちに、相手が甘そうだと生徒が気づき「この先生だと騒いでも大丈夫だろう」と計算ずくで授業の妨害を始めていくのである。
つまり生徒たちは先生のことをうやまったり、言うことを聞いたりする理由を見いだせなかったのではないのだろうか。
その結果失望感から、「こんな先生の言うことなんか聞かなくてもいいや」という反抗心が子供たちに芽生え、その気持が、授業妨害という行動の原因になったのではないだろうか。
いずれにしても生徒を惹きつける能力のない教師が生徒になめられた結果起ったことなのである。
こうしたことは親と子供、上司と部下、客と営業マンなどの関係においてもまったく同じである。
要は優位に立つべき人が相手になめられたのでは物事は決して建設的には運ばず、むしろすべてが「ぶち壊し」の悪い方向へとしか進んでいかないのである。
悲しいかな、人間社会ではこの「なめる」「なめられる」という関係がずっと続いており、その関係を基準にして優劣とか序列だとかが決められてきているのである。
こうした視点に立てば「なめられる側」は「なめる側」より劣等であって、力関係での順位も下位になるのは自然なことなのである。
そしてこれを、「国の勢い」という観点から眺めてみると、日本はなめる国の側の中国、ロシア、北朝鮮、より劣っていると言えるのではないだろうか。
したがってこういう状況を脱するためには、日本としては早急に国としての「勢い」をつけなければならないのである。
国際関係において、いつまでも「お人好し日本」であってはならないのである。
どうか「国民の親」としても、はっきりと自己主張のできるしっかりした存在であって欲しい。
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