そもそもこのタイトルでブログを書こうと思ったのは、最近、五木寛之著「僕が出会った作家と作品」という本を読んだからである。
この本はここ40年間ぐらいにわたっての「直木賞」をはじめ、名だたる「文学新人賞」を受けた作者紹介と、その作品の選評集なのである。
その中には「小説現代」「小説すばる」の歴代の新人賞受賞者名も載っており、これには載っていない
「オール読物」を含めて、メジャーといわれる三賞すべてに過去において応募した経験のある私としては、40代終りからから50代はじめのその当時のことが懐かしく思い出され、本日のブログタイトルにしたわけなのである。
これらのメジャーな出版社による新人賞の審査員といえば、今をときめく実力派の有名作家ばかりである。
でも、皆さんはご存知だろうか。
そうした審査員が実際に目を通すのは「最終予選」を通過した僅か数点の作品だけだということを。
それもそうだろう。
これらのメジャーな文学賞には毎回一千点を超える作品が応募されてくるのだから、それらの多くの作品を僅か数人の審査員が目を通すということは物理的にもとうてい不可能なのである。
では一体誰が予選段階での作品を読んで審査するのであろうか。
それは「下読みさん」と呼ばれる主にフリーの編集者・評論家・ライター、といった業界の人間を主力にする、いわゆる「下読みのプロ」が担当しているのである。
それらの人による下読みで1次予選・2次予選・3次予選と上がっていき、そして最終候補作品数点が選ばれるわけなのである。
その数点のみが審査員の作家によって読まれ、審査員間で協議され、最終的に入賞作品が決定されるのである。
だいたいこうした方式が多くの出版社における新人賞応募作品審査のプロセスである。
まあこれはこれでいいとしよう。
実は私が今回のブログのサブタイトルにしている「かくも冷酷で厳しい世界」ということについてであるが、その理由のひとつは応募原稿に対する出版社の対応のことについてなのである。
一般的に考えて応募者にとって「原稿」というモノは非常に大切なものである。
それはそうだろう。
応募する作品を仕上げるのには多くの日時とエネルギーを費やしてきているのである。
人によって違いはあると思うが、数十日、あるいは数ヶ月、中には数年のものもあるかもしれない。
頭脳とエネルギーを使い、それだけ日数をかけて完成させたモノが大切でないわけがない。
その大切な原稿がである。
出版社に送付したあと、例外はあるが一般的には受け取り通知の一つもこないのが普通なのである。
まあ大方の応募者は安全を帰すため、郵送に当たっては普通郵便を使わず、配達証明付きかあるいは書留で送っているとは思うが、受取通知も送らない出版社の大柄な態度はどうかと思う。
私自身のことを言えば、40代後半から50代はじめにかけて、たて続けに三つの出版社の新人賞を応募したことがある。
その出版社というのは「オール読物」の文芸春秋社・「小説現代」の講談社・「小説すばる」の集英社であった。
その結果文芸春秋社と講談社は「なしのつぶて」で、僅か集英社だけがハガキの受け取り通知を送ってきた。
集英社だけが丁寧だったのは、それが第一回目の新人賞公募であったので、たぶん慎重をきすための従来からの出版界の常識を超えた例外的な扱いであったのに違いない。
私は小説新人賞に応募したのは始めてであり、文芸春秋社と講談社が大切な原稿送付に対して受けとりも何もこないことについて「どうして通知がないのだろうか、本当に担当者のもとに確実に着いているのだろうか」と随分不安に思ったものだ。
つぎに「冷酷で厳しい」という二つ目の理由を述べてみる。
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それは審査結果通知に関してである。
だいたい小説新人賞は直木賞、芥川賞などの半年に一回というのを除いて、大方のものは年に一回の募集である。
それらのいずれの賞には当然のごとく締切日があるが、ほとんどの人は締め切りの一ヶ月前ぐらいまでには原稿を送るであろう。
そしてその締切日から入賞作品発表までが長く、通常四〜五ヶ月ぐらい先なのである。
したがって応募者は今か今かと発表を首を長くして待つことになる。
そしてやっとやって来た発表であるが、またもや審査結果通知などはまったくこなくて、予選通過作品が載る月の発売された雑誌を見て確認するしかないのである。
応募者としては期待と不安の入り混じったドキドキする胸を抑えながらその雑誌を見るのである。
そして応募作品のわずか1割にも満たない予選通過作品の中から自分の作品名を探すのだが、その中に自分の作品を見出せなかったときの気持はいったいどんなものだろう。
数ヶ月かけた「汗と知恵の結晶」とも言える大切な原稿の束が一瞬にして「もくずと消えて」しまったときの気持は。
そうした応募者の気持などまったく察することがないように、出版社側は個々にはなんの結果通知も送らず、「勝手に発表された雑誌を見ればいい」というその態度が応募者にはいかにも冷酷に感じるのである。
私個人としては応募した作品3点がいずれも厳しい予選を通過したのであったが、落ちた9割にも及ぶ多くの作品の応募者ことを考えて、自分自身、応募原稿に苦労してきたがゆえに決して他人ごととは思えず、そうした出版社の冷酷で厳しい態度について、その当時は切実に考えたものであった。
いずれにしても「文学新人賞応募」という世界も、また厳しいものである
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