今からもう20年近くも前、それほど長い期間ではなかったと思うが、一時期、日本に多数の「ボクシング世界チャンピオン」が誕生したことがあった。
それは幾つもの階級にまたがった日本ボクシング界始まって以来の多くのチャンピオンの数であった。
ボクシングと言えばその練習の想像を絶するほどの激しさに普通の神経の持ち主では到底ついてくことができず、唯一ハングリー精神の旺盛な者のみがそれに耐えることができ成功への鍵を掴むことができるのだと、当時よく言われていたものだ。
しかしそうした傾向も今ではすっかり陰をひそめ、チャンピオンどころか、このスポーツに参加する若者自体が自体大幅に減ってきているようだ。
その最大の理由は何かといえば、今の若者にはハングリー精神を持つ者など、まったくと言っていいほどいなくなったからなのではないだろうか。
ではそのハングリー精神とはいったいどういうものなのであろうか。
英語では「hungry spirits」というのだが、つまり「満たされた気持」でいるのではなく、常に「欠乏感」を抱いていて、その感情を埋めるために目標に向かって日々努力する精神のことを言うではないだろうか。
こうした観点に立って考えれば、ハングリー精神がなくなったがゆえに増えたものが「フリーター」とか「ニート」なのであると言えるのではないだろうか。
なぜならば、彼らはハングリー精神どころか、子供時代から経済的に恵まれた環境で育ったせいか、「苦労せず楽をして金儲けしたい」という意識が強く、苦しいことに耐えていくことのない言わば「努力不足」の状態を長い間続けており、それが今の不幸な結果を招いていると考えられるからである。
私自身のことを振り返ってみても、自分の子供を持ってからその成長過程でよく思ったものだ。
「高度急成長期の物質文明のさなかにある今、子どもたちが望むものはほとんど買い与えられ、まるで我慢をすることを知らない今のこの子供たちは、大人になったらきっと苦労するに違いない」というふうに。
そしてそれはほぼ現実の姿になった。
ほしい物があると親に頼む、そうすれば望むものはほとんど買い与えてくれる。
したがって我慢しなくてもいい。
そしてそれを得る為のたいした努力もしなくていい。
その結果無くしたのは我慢するという精神であり、そして、欲しい物を得る為の強いモチベーションになる「ハングリー精神」の欠如という状態になったのである。
今日本は不景気の真っ只中にある。
円高も止まることを知らないほど進行している。
天文学的とも言える額の「財政赤字」も抱えている。
果たしてこれらの悪条件から脱出するための、その力となるものはいったい何なのであろうか。
それは決して補正予算を組んでの目先の経済対策だけでなく、日本人の精神改革、つまり日本再生の為には今再び「ハングリー精神」を取り戻すことが必要なのではないだろうか。
しきりとそういうふうに思う今日この頃なのである。
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