12月が近くなると必ず目にするものの一つに、ベートーベン第九のコンサート案内ポスターがある。
今年も11月中旬頃から図書館の掲示板に貼ってあるそのポスターを見た。
毎年目にするこのポスターだが、実は去年の暮れから、これを目にするたびに思わず首をひねるようになっているのだ。
それも、首をひねるだけでは済まず、「ウーン、まだこんなナンセンスなことを続けている」と、呟き声さえ伴っているのである。
"ナンセンスなこと" もし人がこれを聞いたらきっと不審に思うだろう。ベートーベンといわずとも、クラシック音楽ファンならなおさらである。
だが、私が首をひねって愚痴をこぼすのには理由がある。
このことについては、去年12月のこのブログにも書いた。そのときのタイトルは「年末にはなぜベートーベンの第九を聴くのだろうか]という、12月6日の記事である。
実はそれを書く少し前まではその理由などまったく知らなかった。ただ12月に決まって開催されるものだから、このコンサートには、きっと何か重大なわけがあるのだと思っていた。
その理由が何かは分からないが、きっと由緒正しい理由だろうと信じていた。
その後のある日のこと、なぜ年末にこの曲を聴くのか、その理由が知りたくなって、ネット検索で調べてみた。
すると驚くなかれ、次のような答えがかえってきた。
「年末になるとあちこちでベートーベンの「交響曲第九番」の演奏会がひらかれるのは、実は日本だけの習慣なのです。
第二次世界大戦後、まだ日本人の生活が苦しかったときに、日本交響楽団が(いまのNHK交響楽団)が、昭和27年の暮れに東京で楽団員のお正月のおもち代を稼ぐために「第九」のコンサートをひらいた。
つまり、年末だとみな懐があたたかく、チケットを買ってくれる親戚や友人の数も多くなり、多くの収入が得られるというわけである。
これがきっかけとなり、日本には「年末といえば『第九』」という習慣がついたのである」
これを読んで、これまで私が抱いていた「由緒正しいわけがある」という思いはあっさり裏切られたのである。
まさか、こんな平凡で単純なちっぽけな理由で、この演奏会が毎年開催されていたとは夢にも思わなかった。
コンサートには行かないまでも、毎年年末になると第九のCDを取り出してきて、大音響で熱心に聴いていたことが、急に馬鹿らしく思えてきた。
そして昨年はCDを聴くのを止めたのである。
だが、これだけでは終わらない。この話には、後日談がある。
それからしばらくして、図書館で借りた黒柳徹子さんが書いた「徹子ザベスト」と言う本を読んだのだが、その中で彼女は「私の父はN饗(NHK交響楽団)のコンサートマスターで、その父たちのアイデアで12月に団員のボーナスを得るために、ベートーベン第九の演奏会を始め、それが毎年12月に行われるコンサートの発端になったのです」と書いてあるのだ。
図らずも数ヶ月の間に、年末に第九が演奏される理由について、2度も教えられたのである。
それ以来私は第九のCDを一度も聴いていない。別にベートーベンに何の罪があるわけでも無いのだが・・・。
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