2011年12月15日木曜日

今年からはじまった小学校の英語授業 ・ 教師はネイティブの外国人がいいのか、それとも日本人か?



今年から始まった公立小学校での英語教育だが、試行錯誤を重ねながらも授業はそれなりに進展を見せているようである。

今後は時間が経過するにしたがって、その学習効果について人々の関心が強まり、その評価について議論がなされていくに違いない。

そこで、まず取り上げられるのが教える側の教師の問題である。


・熱しやすくさめやすいのが子供の特性

その第一にあげられるのが、担当する教師はネイティブの外国人がいいのか、それとも日本人か?という問題ではないだろうか。

過去17年間にわたり児童英語教室の運営に携わっった経験があるだけに、わたし自身、よく考えさせらるテーマである。

一般的に言えば、発音という点からも、ネイティブが望ましいと思うのが自然である。

しかしそれはあくまで対象が英語学習に強い目的意識を持って、しっかりとした動機づけが出来ている対象を相手にする場合である。

つまり英語の必要性に迫られた大人の一般人であるとか、学生だと、将来留学を目指しているような高等学校以上の生徒である。

だが、いま英語を習い始めたばかりの小学生にはこの目的意識は無く、また動機づけも弱い。
したがってこうした相手に英語という未知の分野の知識を教え込むには、教える側の力量が大いにものを言う。

力量と言ってもそれは英語力を指して言うのではなく、教え方の力量である。

一般的に考えて、目的意識が無かったり、動機づけが出来ないものごとに対して、年端にいかない

小学生は飽きて興味を失うのがはやい。

そして、そうなったら最後、二度と見向きもしなくなるのは時間の問題である。そうなったらもはや教えるための処方箋は無い。

したがって、動機付けが出来るようになるまでに、教師は徹底的に相手をひきつけていかなければならない。

英語学習ということに対して、児童をにひきつけて、ひきつけて、まずこれに興味を持たせ、好きにさせるように仕向けなければならない。

したがって、最初に必要なのは、子供をひきつける力なのである。


・まず大切なのはひきつける力

だとすればこの段階で必要なのは、英語力よりむしろ日本語の力である。子供をひきつける日本語を、言葉として自由に操れる力である。

こう考えると、必ずしもネイティブの外国人がいいとは言えなくなってくるのである。

もちろん、その外国人教師が日本語に堪能で、子供をひきつける力も日本人教師に劣らないほどの力の持ち主であれば、その限りではない。

しかし、それほど日本語力を持った教師はまずいない。

もちろん外国人教師でも、日本語の劣る部分を演技力などで補うこともできる。

しかしそれにも限界がある。目的意識が弱く、あきやすい子供をひきつけるのは並大抵のことではなく、継続的に長い間児童をひきつけていけるとは思えない。

・日本人教師と外国人教師、二者の役割分担のウェイトが大切

いまたいていの学校では日本人のメイン教師にネイティブの外国人教師がついた、2名体制で指導に当たるケースが多いと思われる。

だが、この体制で成功裏に授業を成功させるには、お互いの役割分担のウェイトが非常に大切である。

つまり、立場上は日本人教師が上位であるのだが、子供たちの好奇心はともすれば助手のネイティブに向かいがちである。

そういう状況下では、ともすればメインである日本人教師の遠慮が入り、ついつい役割分担のウェイトを忘れてしまう。

その結果、主従の関係が逆転したりすることもありえ、それが結果としてマイナスに作用するのである。

先ほども述べたが、最初の段階では子供たちに英語に興味を持たせなければならない。

そのためには英語学習についておもしろおかしく、じゅうぶんに日本語で説明出来る日本人教師が主体になるのが望ましい。

そして、生徒の英語への興味の進捗度にあわせて、少しづつネイティブの出番を多くしていくのがいいのではないだろうか。

そして最終的にはネイティブ主体で十分にレッスンが成立できるように持っていくのが理想的な形である。

最初に最も気遣わなければいけないのが、この二人の教師の授業受け持ち役割と分担量の取り決めである。

これを間違えれば、せっかくの授業も子供たちに英語に興味を持たせることができず、逆に興味を失わせて効果をあげるどころか、

せっかくの授業が失敗に終わってしまう可能性もあるのだ。

「日本人教師と外国人助手、二者の役割分担のウェイト」 このことは、英語指導初期の段階で十分に気をつけなければならない大切な留意点である。

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