2025年9月27日土曜日

アメリカで電気やガスを止められる家庭が増えている

 

以前このブログで「アメリカ人の80%がその日暮らしを強いられている」という記事を紹介したことがある。

《アメリカ人の80%が貯金ができず、毎月ギリギリの生活を送っている》というのは本当か


これを読んで「世界一の経済大国のアメリカでそんなことが」、と驚かれた方は多いと思うが、その後、これに関連するいろいろな記事を読んで、どうやらこれは本当の事らしく思えてきた。そのいろいろな記事の一つがbloombergが紹介する下の記事である。


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米で6分の1の世帯が公共料金を滞納-電気代高騰で過去最悪の危機か

Bloomberg 2022/08 


エネルギー価格の高騰は国民生活を窮地に追い込んでいる


 昨年1月から10月にかけて30州とワシントンDCでは、料金滞納による電力会社の断電措置回数が前年比29%増の150万回超えとなった。ガス供給が途絶えた件数も前年に比べて76%も増加した(1月30日付ブルームバーグ)。


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アメリカで電気やガスを止められる家庭が増えている


AI による概要


アメリカでは、電気・ガス料金の値上げやインフレ、また一部地域での供給能力の逼迫などにより、家庭の光熱費負担が増加し、支払いが困難になるケースが増えています。特に、データセンターの電力消費増大や、化石燃料への依存による国際的な価格変動の影響が、家庭の電気料金に影響を与えています。

背景

  • 電気料金の値上げ:2022年以降、電力小売価格が上昇し、インフレが進んでいます。

  • データセンターの電力需要:データセンターが電力網に大きな負荷をかけており、地域によっては電力供給能力が圧迫されています。

  • 化石燃料への依存:アメリカは依然として化石燃料に大きく依存しており、国際的な燃料価格の変動が電気料金に直接影響を与えています。

  • 物価上昇:インフレにより、エネルギー関連費用だけでなく、食料品やその他の生活必需品も高騰し、家計を圧迫しています。

家庭への影響

  • 光熱費の負担増:電気・ガスの料金が高騰し、多くの家庭で支払い負担が増えています。

  • 支払い困難な家庭の増加:収入が上がらない一方で支出が増えるため、光熱費が払えない家庭が増加しています。

  • 公益機関への相談:各地で、光熱費を払えない家庭向けの相談窓口や支援プログラムが設置されています。

関連する問題点

  • AIと電力需要:AI技術の発展とデータセンターの拡大が電力需要をさらに押し上げ、電気料金のさらなる高騰を招く可能性があります。

これらの要因が複合的に影響し、アメリカでは家庭での電気・ガス供給が停止されるケースが増加しています。


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(関連記関)


ヒートドーム再到来の米国、夏の電気代最高に 2000万世帯支払い遅延

日本経済新聞 2025年8月19日

【ニューヨーク=吉田圭織】米国で熱波より影響が大きい「ヒートドーム」現象が今年も発生し夏の暑さを厳しいものにしている。冷房が欠かせないなか問題となっているのが電気代の高騰だ。夏場(6〜9月)の代金は2025年に世帯平均784ドル(約11万円)と過去最高となる見通しで、2000万世帯で支払いが遅れているとの試算がある。



2025年9月25日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈3〉ナイトボーイの愉楽(11)

 

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                                         11


 その夜、道夫は館内巡回の当番で、一時過ぎには客室フロアーを回っていた。

 まだ五月に入ったばかりだというのに、歩いていると首筋あたりがじっと汗ばんでくるほどの暖かい夜だった。


 最上階の十八階からスタートして、中ほどの十階まではどのフロア―も深閑としているだけで、べつだん巡回者を驚かすようなことは何もなかった。


 客室は五階からで、チェックを要するフロア―があと六つ残っていたものの、この様子だと今夜も何事もなさそうだ。

 〈全館異常なし〉 報告書に記入するいつもの文句を思い出しながら、道夫はまた一階下へとエレベーターを動かした。


 九階で降りて、エレベーターロビーの前から左右にわかれた左半分を歩いてチェックを終え、もう一方のフロア―の中ほどに差しかかったときだった。不意に道夫の耳に、女の人のすすり泣くような声が入ってきた。 おやっ、あの声いったいなんだろう? 

     

そら耳かもしれないと思って、道夫はいったん足を止めてから、耳の後ろで手のひらを広げて聞いてみた。

 泣いているような声は確かに聞こえている。気のせいか、さっきより大きくなっている。


 さらに耳をすませてよく聞くと、すすり泣きの声の間に、「ああっ」といううめき声も入っていた。 その声はフロア突き当たりのダブルルームのほうから聞こえてきていたのだ。


 道夫が、その声を、きっとあれに違いない。と思ったとき、なんだか、急に恥ずかしい気がしてきて、このまま、踵を返してすぐその場から立ち去ろうと一瞬思ったが、意に反して足は前に進んでいた。


 だんだんその声に近づいて、突きあたり左の非常ドアの二~三歩手前でまた足を止めた。 すすり泣きとうめき声は間断なく続いている。 九二〇号室、その声は間違いなくそのダブルルームから聞こえてきていた。その部屋のドアの前で立ちどまった道夫は、まるでその場所に吸いつけられたかのように静止して動かなかった。


 そして、一週間前、中崎街のマンションの、ベッドの中での十一番さんを思い出していた。

 うめき声はよく似ている。でも、このすすり泣きのような声はいったい何だ。 ふーん、こんな声もだすのか。女の人ってさまざまなんだ。


 ズボンの中心部がみるみる張りつめて、痛いような感触をもてあましながら、道夫はまだそこを動こうとはしなかった。


 一階に下りてきたときには何故かぐったりしていて、疲労感さえ覚えていた。

 巡回して歩いた.その労働で疲れたのではなく、道夫を疲れさせたのは九階で聞いたあの声なのだ。 


体中の血をこの上なくたぎらされ、思い切り想像力をかきたたされたあの声なのだ。 体中の血をこの上なくたぎらされ、思いきり想像力をかきたたされ、そしてただそれだけで終わらされ、若い肉体のとって疲れることこの上ない。

  

 道夫は人気のないロビーにヘターと座り込んで、しばらくの間は動くものいやだ。というような疲労感が体中に残っていた。


 あーあ、たまらないな。早くまた十一番さんと会って、それから・・・・

 その夜、仮眠につく四時までの間、道夫はそのコトばかり考えていた。

 

やっと十一番さんとエレベーターの中で会えたのは、それからさらに二日たってからの夜だった。彼女のマンションへ行った日から、かれこれ十日ぐらい過ぎている。


 その夜十一時からのエレベーター当番で、十階に行くという彼女を乗せたとき、その時間としては珍しく同乗者はひとりもいなかった。

 「先日はどうも」 エレベーターのハンドルを動かして、その後すぐ道夫は言った。

 「こちらこそ。あのときはごめんなさいね。いやな思いさせて」


 あの日蒲団をかぶって以来初めて、彼女がそのことに触れて言った。

 「いいえ、別になんとも思っていませんから」 決してそうではなかったのに、道夫は平静をつくろってそう答えた。


 「ねえもう一度、こんどは外で会わない?」 十階で止まって、ドアが開く寸前に彼女が言った。 「ええ、もちろん僕はいいですけど、でもいつですか、それ?」


 「あしたどう?」 「あしたどこで?」 「上六って知ってる?」 「ええ知ってます。百貨店のあるところでしょう?」 「そう。そのデパートの正面玄関の前で五時に」


 「は、はいわかりました。五時ですね」

 

それだけ言うと十一番さんは「じゃあね」という言葉とともに流し目を送ってから十階の薄暗いフロア―の中に姿を消した。

 

翌日、また久しぶりに胸をときめかせながら、四時半に地下鉄を降りて、そのデパートの前には五時十五分前に着いていた。


 十一番さんはまだ来ていなだろうと思いつつも、入念に辺りを見まわしてみたが、やはり彼女の姿はなかった。待ち遠しくてたまらない十五分間、道夫は時計を見ては辺りを見廻すという動作をずっと繰り返していた。


 五時になってもまだ彼女は現れなかった。 確かにこの場所だったんだろうな。と道夫がそう思って少し首をかしげていたとき、十一番さんがやってきた。


 「ごめんなさい。電車を一つ乗り遅れてしまって、待った?」

 「はいすこし。四十五分頃にここへ着いたものですから」 道夫は正直に答えた。


 「ねえ、いま五時すぎでしょう。あなたのお仕事は十時からだし、これから三時間ぐらいはいいんでしょう?」 「はい。ここからだと一時間もあれば十分だし、九時前ぐらい前まではいいです」 「じゃあまずお食事しましょうか。いい?」

 

「はい。僕もそのつもりでした。あのう失礼ですが、今日は僕にごちそうさせて下さい。この前のお礼の意味で」 「お礼だなんて、いいのよ無理しないで」

 「だいじょうぶです。給料まだもらったばかりですし」

 「そう、じゃあお言葉に甘えてそうするかな。さあ行きましょう」

 二人はすぐ横にある階段を下りて地下街のちょっとこぎれいな中華レストランへ入った。


 奥まったところのテーブルに十一番さんと差し向かいですわり、普段より少し高級な料理を食べながら道夫はしきりに考えていた。


 ここを三十分で出たとして、九時までだと二時間あまりか。この近くにいいとこあるかな。頭の隅にラブホテルの赤いネオンがチラチラと浮かんだ。


 レストランを出てから道夫は行き先にも道順にも少しも気を使うことはなかった。

 それらすべてを十一番さんがリードしてくれたのだ。



つづく


次回 10月2日


2025年9月22日月曜日

遠藤周作がエッセイに書いた世にも珍しいケチ老人の話

遠藤周作のエッセイ集「人生を抱きしめる」(写真下))に「病院生活」という作品があり、それになんとも不思議で驚くような話が載っている。

それは著者が入院していた病室の近くにいた老人のことを書いたものである。

この老人は想像を絶するような吝嗇家(ケチのこと)で、なんと自分の病気のために処方された薬をまったく服用せず、すべてを腹巻の中に隠していたというのだ。

下がその様子を書いた本文である。




    老人はハラマキの中に大量の薬を溜めこんでいた

一人の爺さまが死んだ時は一寸、悲惨だった。この爺さまは、自分が病気なのにもかかわらず、ものすごい吝嗇のために医師からまわされる薬を飲むのが惜しく、外で売りさばこうとそのまま溜めているうちに死んでしまったのである。身寄りのないこの爺さまが死んだあと遺品を看護婦たちが整理してみると貯金帳のほかはハラマキの中まで彼が毎日、もらっていた薬が一つも服用されずにズッシリかくされていたのである。なんだかバルザックの小説にでも出てきそうな話である

出典:遠藤周作初期エッセイ「人生を抱きしめる」河出書房新社 151ページ


 

おそらくこれを読んで驚かない人は少ないだろう。老人が薬を溜めこむ事もそうだが、今から何十年も前、こうしたもの買ってくれるところがあるというのも驚きだ。

でも生い先が長くない事を知っているはずの老人がなぜそれほどまでにケチを通さなければいけなかったのであろうか。その点も不思議だ。


ちなみに今は、飲み残した薬を買ってくれるところがあるのだろうか。興味のある方は一度ネット検索してみてはいかがですか。

私が検索してみたところ、一つだけ「飲み残し薬品買取サイト」が存在していました。


2025年9月20日土曜日

書く人は読む人 ・ 世の中で最も本を多く読むのは小説家 《再掲載シリーズ No.13》

 

初出:2018年4月9日月曜日

更新:2025年9月20日



小説家はなぜ本をよく読むのか?

おそらく小説家ほどよく本を読む人種は他にいないでしょう。

もちろん小説家でなくても本をよく読む人はいくらでもいます。世の中には本の虫と呼ばれるような本好きな人もおり、そうした人の中には月に数十冊の本を読破している人は珍しくありません。

しかしそうした本好きの人と比べても小説家の方が読書量は勝っているのです。

でも小説家はなぜ本をよく読むのでしょうか。

理由は大きく言って二つあります。一つは本が好きだからです。好きこそものの上手なれ、と言う言葉があるように、人は好きなことに対しては時間を費やすのを惜しまないものです。

小説家はなにより本を読むのが好きです。それゆえに普通の人が驚くほどの数の本を読むのです。

二つ目の理由は本を読まないと小説が書けないからです。

小説を書くにはテーマが必要になります。もちろん小説家になるぐらいですから、小説のテーマはある程度は事前に用意できているでしょう。

したがってデビューして2~3作程度は、用意したテーマと持ち前の想像力だけで作り出すことができるに違いありません。

しかし、小説家は2~3の作品だけ世に出せば良いのではなく、小説家であり続けるためには、コンスタントに作品を生み出さなければなりません。

でもいかに小説家だといえ、用意できるテーマには限度があります。したがって、ある程度書いたら種が尽きてしまいます。

そうなれば新たなテーマを探さなければならないのです。そのために必要なのがたゆまぬ読書なのです。

これによってあらたな小説のテーマを見つけたり、その糸口をつかむのです。そのために読書が必要なのです。

ちなみに人気小説家(故)有吉佐和子は124時間を3等分し睡眠時間の8時間を除いて、執筆と読書にそれぞれ8時間づつを充てていました。

つまり毎日8時間を読書に費やしていたのです。


小説家にとって読書は仕事のうち

私たちにとって読書は楽しみの一つです。もちろん難しい学術書や経済書などは頭をひねりながら読むこともありますが、多くの場合、読書は楽しいゆったりとした気分をもたらしてくれます。

それは仕事時間ではなく余暇にするものだからです。

そんな読書も小説家になるとまったく事情が異なります。小説家の読書は必ずしも余暇にするものではなく仕事時間にもなされます。

つまり1日10時間が仕事時間なら、その10時間の中にも読書が組み込まれるのです。

これは一般に人には考えられないことです。もし普通の人が仕事中に読書をすれば、それはサボタージュと見なされ、ペナルティを課されてしまいます。

ところが小説家はそうではありません。もちろん自由業であるということもありますが、もっと大きな理由は読書も仕事のうち、と見なされるからです。

なぜ読書が仕事のうちかと言えば、それが本業である小説のネタ探しになるからです。

世の中で小説家が最も本をよく読む人種であるのは、こうした理由があるからです。


浅田次郎は子どもの頃から1日1冊を死守している

多くのベストセラーを生み出している人気作家浅田次郎は本をよく読む人としても有名です。

氏は子どもの頃から1日に1冊の本を読むことを日課にしており、65歳を超えた今でもそれを実行しています。

つまり50年間以上も1日1冊の本を読み続けてきたことになりますから、これまでに読んだ本は十数万冊という膨大な数になります。

ひとことで十数万冊といっても、これは地方都市の図書館の蔵書数にも及ぶほどのすごい量です。

このすごい読書をこなすために氏は毎日午前中に執筆を終え、昼過ぎから夕方までの4~5時間を読書に充てています。

もちろんこの時間は仕事と見なしていますから、その態度は執筆時間と変わらないほど真剣そのもので、真摯な態度で本と対峙しているのです。

この真剣さあってこそ、ベストセラーになり得るようなすばらしいテーマを見つけ出すことができるのではないでしょうか。

小説家の蔵書は地方都市の図書館並み

浅田次郎のように子供のころから1日に1冊を読み続けている例のごとく、小説家の読書量は半端なものではありません。

と言うことは、当然のごとく所有する蔵書の数も膨大な数であるに違いありません。

いったい小説家はどれくらい本を所有しているのでしょうか。

小説家の中で最も蔵書が多いと言われているのが、今は故人となった井上ひさしで、その蔵書は驚くなかれ20万冊にも及びます。

これがどれほどの量かと言えば、町の本屋さんは到底及ばず、地方都市の図書館の書棚と同じくらい、と思っていただければ良いのではないでしょうか。

つまり、氏の自宅には図書館並みの書庫が備えられているのです。

井上ひさしの蔵書の量には及びませんが、評論家・立花隆の蔵書も相当なもので、仕事場としているビル3階の書庫には7万冊の蔵書が並んでいるといいます。

これは7~8年前のことですから、おそらく今では10万冊を越しているのではないでしょうか。

これほど多くの本を揃えるとなれば、費用の方もまた大変な額になるはずですが、その額たるや毎月の本代はコンスタントに15万円ぐらいと言いますから驚きです。

立花隆だけではありません。女性では珍しい経済評論家の勝間和代も同様に毎月15万円ぐらいを本代に充てていると言います。

2025年9月18日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈3〉ナイトボーイの愉楽(10)

    

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 サイドテーブルの煙草を取ろうと道夫がぐっと体を伸ばしたとき、ベッドのきしむ音で目を覚ましたのか、十一番さんが「うーん」という小さな声を出しながら、道夫の方へくるっと寝返ってきた。

 

「起きてたの。ねえ今何時ごろ?」

 「ええっと、九時二十五分です」 「あら、もう九時過ぎてるの。よく寝たわ。ああ気持ちよかった。あなたいつ起きたの?」 「ほんのすこし前です。ちょうど今、寝覚めの煙草をすおうとしたところです」 


「九時半か、そろそろ起きなくちゃ。ねえ朝ごはん食べるでしょう」

「はいできたら、少しおなかがへったみたいだし」 道夫はやや遠慮がちに答えた。


 「よしと、じゃあ起きて支度するわ」 彼女はそう言いながら、ゆっくりと体を回転させ、うつ伏せになり枕の上にあごを乗せた。

 

 「でもそんなに急がなくてもいいですよ。僕、今日は学校休みました、夜の仕事までたっぷり時間ありますから」 


「あらそうなの。じゃあ私もっと寝ようかしら」

 

 「えっ、まだ寝るんですか?」 「じょうだんよ。睡眠はもうじゅうぶん足りたわ。でも何かまだベッドを抜け出したくない気持ち」


 そう言った彼女は道夫の方をふり向き、なんとなく意味ありげな流し目をおくっていた。すっかり化粧を落としたすべすべしたほっぺたが微かに光っており、目尻のしわもいつもより鮮明に見えて、この顔もまたいいもんだ。と、うっとりして眺めていた。 


それよりさっき彼女が言った「まだベッドから抜け出したくない気持ち」というセリフが妙に気になって、また下半身にただならぬけはいを感じていた。 これをどう処理しようかと考えながら、また横向きになって彼女の顔をじっと見た。 それにつられて十一番さんも視線を合わせてきた。


 道夫はそっと肩に手をかけると彼女をぐっと手元に引き寄せ、顔を重ねてキスしようとしたちょうどその時だった。 辺りの静寂を一気に破るように、入り口のドアがドン、ドンと激しくノックされたのは。 その音に驚いて、道夫は引き寄せた彼女の体から手を離した。 


「誰か来たようですよ」 それには答えず、十一番さんは人差指を縦にして口にあて、「シー」と、息で言った。


 またさっきより激しくドアがノックされた。

 十一番さんはそれでも立とうとせず、前より少し表情を曇らせ、掛け布団を大きく持ち上げ、道夫をその中にもぐらせると自分も体を縮めて中に入ってきた。


 「ねえ返事をしちゃだめよ。ぜったいに」 急にそう言われて、何がなんだかよくわからなかったが、少し怖いような気もしてきて、言われるまま黙って息を殺していた。


 それから激しいノックは数回続いて、なん回目かのその後には、男のだみ声が響いた。


 「おい、いるんだろう。開けろよ。開けないとドアを破って入るぞ」 


その声を聞いて、道夫はさっきよりもっと恐ろしくなってきた。 十一番さんはそれでも黙って声を殺しており、ただ一言も発しなかった。


 十分くらいだったであろうか。 やっと激しいノックの音も、男のだみ声も聞こえなくなった。 でも十一番さんは 「まだよ」と囁くように言いながら、掛け布団はまだはがそうとしなかった。


 二人がはいた熱い息が中にこもり、暑苦しくなって息がつまりそうな気がした。  

 「もういいわ」 彼女がやっとそう言って、掛け布団をはがしたのはそれからさらに十五分ほどもたってからだった。


 ようやく息苦しさから開放された道夫に十一番さんが「まだ声は出さないように」と、そっと耳打ちした。 


それからもう五分ぐらいたって、やっと彼女はベッドを抜け出し、忍び足でドアの方へ歩いていった。 ドアスコープを覗いて、辺りを入念に観察した後、やっと声を出して言った。


 「もうだいじょうぶ。どうやら行ったみたいだわ」 

でも、この出来事に対して彼女が言ったことはたったそれだけで、昼前に道夫と別れるまで、何故だか、その後一言も触れなかった。


 道夫としては、突然のその異様な出来事に対して、たずねてみたい気持ちはじゅうぶんあったが、でもあえて質問はしなかった。


 ふとんの中にもぐらされた時、道夫は考えていた。  

 ひょっとして外の人、彼女の情夫かも。もしそうだとすれば、この場面を目撃されるとただではすまないだろう。殺されるか、いや殺されはしまい。たぶんうんと殴られるだろう。


 それともお金をゆすられるだろうか? そんなふうに考えていて、二度目のだみ声が響いたときには体が小刻みに震えるのがわかった。


 でも十一番さんはドアを開けなかった。そして何事もなかったのだ。

 そのことについて彼女が何も言おうとしないのは、何か深い訳があるのだろう。こちらからあえて聞くこともないだろう。そう思って、昼前になって作ってくれた熱い味噌汁のついた食事の時にも何も聞かなかった。


でも彼女はずっときまり悪そうな顔をしていて、口数もうんと少なかった。


 そんなことがあって、彼女のマンションを昼過ぎに去り、次の日から四~五日ぐらいはエレベーターの中でも彼女と話す機会はなかった。でもしばらくの間は、彼女のマンションでドアが激しくノックされた時のことが思い出され、あのときドアを激しくノックした男の人、いったい彼女の何なんだろう。という思いが頭を離れず、しつこくつきまとっていたが、日がたつにつれてそうした思いも薄らいでいき、その後はまた彼女に会っていろいろ話したいな、という思いだけが募ってきた。


つづく


次回 9月25日