2014年7月30日水曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第28回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第3章・夜のセントメモリアル病院(その10)



マンハッタン西97丁目 第3章「夜のセントメモリアル病院」(その10) 

 それから十五分ほどしてからであろうか、入口のドアが激しくノックされたので修一は急いで戸口に走った。念のためドアスコープを覗くと、なぜか二人のポリスが立っていた。

 救急車と聞いて、てっきり白い服を着た人が来るとばかり思っていたのでドアの前の二人を修一は不思議に思った。

 ドアを開けると二人のポリスはそこに立っている修一を見て一瞬怪訝な表情をしたが、「ミセス・ウインストンの家か?」とだけ聞くと、ズカズカと中へ入ってきた。

 一人の方は修一が首を後方に曲げなければその顔が見えないほどの大男であり、もう一人はガッチリ型で背は修一よりやや高い程度で、どちらかと言うとずんぐりした男であった。大男の方のポリスがエセルに二言、三言喋った後、今度は修一に向かって身分を聞き、その後で「一緒に付き添ってほしい」と言った。

 修一はとっさのその申し出に戸惑った。するとポリスは「病院での手続がすんだら帰っていいから、とにかくついてきてくれ」と念を押した。

 何の手続か知らないが仕方ない、と思い「OK]と応え、部屋へ戻って急いで身支度を整えた。二人のポリスが両側からエセルを抱えて外へ出た。

 身を切るような寒さに歯がガチガチと鳴った。

 大型セダンのパトカーが玄関の前に横付けされており、修一とエセルは後部シートに乗せられ、小さい方のポリスが運転席に座り車は走り出した。

 車はアベニューを何本も横切り、イーストリバーの方へ向かって走っていった。もう深夜の三時に近く、辺りは森閑と静まり返っていた。

 それでもところどころの路地で飲んだくれの黒人がほっつき歩いているのが見えた。車を運転しているほうののポリスが修一に「どこから来たのだ?」と聞くので「ジャパンのトウキョウだ」と答えると、 「自分も兵隊でヨコスカに居たことがあり、そこでエミーという日本の女性と知り合ったんだ」と人なつっこく話した。

 発音がエールトンの同僚アーリーに似ていて、この男も多分スペイン系だな、と修一は思った。

 車は深夜のマンハッタンを滑るように走っていき十分も経たないうちにイーストサイドの大きな病院の前に着いた。暗闇の中にうっすらと玄関の上のセントメモリアル病院と言う文字が見えていた。


 車が止まると大男の方が先に降りて病院の中に入っていき、 しばらくすると彼はタンカを持った白い服の二人の男性を引き連れて戻ってきた。

 間もなくエセルはタンカに乗せられて運ばれていった。それを見届けた二人のポリスは修一だけを残して去っていった。

 修一はタンカを追って玄関の方へ歩いていった。真夜中とはいえ、この巨大都市の緊急病院のロビーには多くの人の数があった。エセルが診察室に入った後、玄関のすぐ右手にある受付に呼ばれ付添者としての署名をさせられた。その後で受付の三十年配の痩せた男性事務員にエセルのことについて事情を聞かれたが、修一が日本から来て間もない単なる下宿人だと知ると、あまり突っ込んだ質問はせず、「患者の状態がわかるまで、しばらく待合室で待つように」と指示した。

 そう言われた以上修一としてもすぐ帰るわけにはいかず、仕方なく教えられた待合室へ入っていった。ベンチが四脚並べただけの殺風景なその部屋には子供を抱いた若い黒人女性が腕を揺すりながら子供を寝かしつけていた。

 そして一つ前のベンチには、いかにも眠たそうな顔をしたエセルより少しだけ若いと思える白人の男が所在無さげに座っていた。

 修一はその老人の横に座り「ハロー」と声をかけたが相手は目で少し笑っただけで口を動かさなかった。

 エセルはいったいどうなんだろう? まさかこのまま入院するのではないだろうな。そんなことを考えているうちに、ふいにドッと睡魔が押し寄せてきて、そのまま知らないうちにうつらうつらと眠ってしまった。

 どれくらい経ってか、誰かが肩を叩くのにハッと気付いて目を開けた。 すぐ前に若い黒人看護婦が立っており、エセルが修一の横に腰掛けていた。

 看護婦は修一に言った。「今日のところはなんとか発作も止まりました。よい注射を打ったのでしばらくは咳も出ないと思います。今回はとりあえず連れて帰ってください。でもこの次同じようなことがあったら、しばらく入院しなければならないでしょう。どうぞお気をつけて」 眠気眼の修一の目に黒い肌と見事なコントラストをなした白衣がまぶしかった。

 看護婦に礼を言った後、エセルに「だいじょうかい?」と聞くと、彼女は来る前とは違って今度はにっこりと笑顔を見せながらゆっくりと頷いた。

 エセルはなんとか歩けるようになっていたので、手だけ引いて出口の方へ向かった。外には病院が手配してくれたタクシーが待っていた。 二人とも何も喋らずその車に乗り込んだ。
 
アパートについたころには辺りは微かに白み始めとおり、マンハッタンの夜明けがボツボツ始まっていた。 (第3章 おわり)

(つづく)次回  8月2日(土)


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2014年7月27日日曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第27回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第3章・夜のセントメモリアル病院(その9)



マンハッタン西97丁目 第3章「夜のセントメモリアル病院」(その9) 

 クリスマスも間もないある風の強い日の深夜、エセルがまた激しく咳き込んだ。

 修一がベッドに入って間もないときで、ウツラウツラし始めた矢先のことである。
 散発的なものはほぼ毎日のようにあっても、バーマがこの家に来た十二月に入ってからは不思議と前のような激しいものがなかっただけに、その日の発作がことさら強いものに聞こえた。

 少しでもその音から逃れようと毛布ですっぽり耳を覆いながら、しばらくすれば止まるだろうと、ひたすらそのときを待ったが、三十分ぐらい経っても一向におさまる気配はなく、むしろ前より次第に激しくなっているようだった。

 エセルはこの前のようにリビングの方へは立って行かず、いつまでもベッドの中で咳き込んでいた。

 「すごく苦しそうだな」そう思った修一は眠たい目をこすりながらベッドから起き上がってエセルの部屋の方へ歩いていった。ドアを三~四回ノックすると、苦しい息遣いの中でエセルが「カムイン」と弱々しく返事した。

 ドアを開けて中へ入ったとき、咳き込んで大量の息を空気の中へ放ったせいか少し嫌な臭いが鼻をついた。奥のベッドに苦しくてたまらないというふうに顔をしかめたエセルがハーハー言いながら横たわっていた。修一が入っていったとき、チラッと見て瞬きをしたが、その表情は少しも変わることはなかった。

 苦しさで笑顔をつくる余裕などなかったようだ。

 エセルはよく聞き取れないほど弱々しい声で「そこの水を取って」と言った。

 枕元のサイドテーブルに水差しとコップが用意されているのに、それを取る気力さえ失っていたのだ。

 修一はコップに水を注いで手渡そうとしたが、この状態だと起き上がるのもきつかろうと、彼女の首に下から手を入れて頭を持ち上げ、口にコップをつけてやった。後頭部は生温かくジトーとした汗が出ていて、それが手のひらに付くのが分かった。三口ほど飲んで「もういい」とエセルは言った。

 手を離してコップをテーブルに戻しながら「薬は飲んだかい?」と聞くと、
「寝る前にちゃんと飲んだわ」とかすれた細い声で答えた。それでも水を飲んだ後は一時咳が止まっていた。それならばと、修一が立ち去ろうとして二~三歩ドアの方へ進んだところでまた激しく咳き込んだ。「あーあ、この先いったいどうしてやればいいんだ」修一は立ち止まって考えた バーマを起こして相談しようか?

 いや、彼女は朝から学校があるのでそれも気の毒だ。やはり止そう。医者を呼ぼうにもこんな深夜ではきっと無理に違いない。そんなふうに修一が自問自答しているとき、背後でエセルの「電話を取ってちょうだい」という声が聞こえた。

 電話をどうするのかな?とは思ったが、とりあえず部屋の隅からコードを延ばして枕元においてやった。寝返りを打ってかろうじて横向きになったエセルは、焦点の定まらない手つきで何度も失敗しながら、やっとダイヤルを三度回し終えた。

 やがて相手が出てきたらしく彼女はおもむろに話し始めたが、声が小さくて弱々しく、側に立っている修一にでさえよく聞き取れないほどであった。それでも「苦しくて仕方ないから来てほしい」という意味のことを喋っているのがなんとか分かった。

 相手がなかなか言い分を聞いてくれないらしく、エセルは執拗に同じせりふを繰り返していた。そして時おり咳に襲われて受話器を口から離していたが、話を進めるにつれて次第に哀願調になり、やがてそれは泣き声へと変わっていった。

 それでも十分ぐらい話して、ようやく相手が納得したらしく、エセルは投げ出すように受話器を置いた。そして「救急車が来るわ」とひとこと言った。

 「そうか、さっき彼女が電話した先は991の救急電話だったのか」そのときになってようやく修一は事情を飲み込んだ。

 エセルはやっとの思いでベッドに半身を起こした。でもどう見ても一人で立って身支度をするのは無理なようだ。

 修一はクロゼットを開けて彼女がいつも外へ行くとき着ている茶色のワンピースを取ってベッドへ持って行き、手を取って着せてやった。そして肩を貸して立ち上がらせた。

 背丈こそそれほどないが、エセルはどちらかと言うと肥満型の老人で、修一の肩にズシリと体重がかかった。よたよたしながらなんとか壁際の肘掛け椅子までつれて行き、コートはどこか?と聞くと、キチンの椅子の上だ、と言うので、それを取ってきて乱れたベッドの上に置いた。

(つづく)次回  7月30日(水)


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2014年7月26日土曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第26回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第3章・夜のセントメモリアル病院(その8)



マンハッタン西97丁目 第3章「夜のセントメモリアル病院」(その8)

 下宿に帰ったときには、久しぶりに口にした日本酒のせいか、少し酔っているのを感じた。そのせいか、リビングに座って雑誌のグラビアを見ていたバーマに向かってなんのはずみでか「バーマ、今日の君はとてもセクシーだよ」などとあらぬことを口走っていた。

 それを聞いた彼女は、赤ら顔をしてそんなことを言う修一のことををまともに相手にせず、「あらあらサミー、どうしたっていうの今夜は?そんなに酔っちゃったりして、速くベッドへ行って休んだ方がいいわ」と笑いながら軽くいなすのであった。

 でも彼女が言うようにそんなに酔っているのか、とバスルームに入って鏡を覗いてみた。いつもと違う赤い顔が目の前にあった。

 バーマとは話がしたかったのだけど、酔っていると言われたし、また妙なことを口走ってこれ以上彼女に軽蔑されたくない。ひとまず酔いを醒まそう。そう思ってリビングには向かわず自分の部屋へ戻った。

 九時を少し回っただけでまだ眠るには早すぎる。コートだけ脱ぐとドカッとソファに腰を下ろしてしばらくはボサッと窓の方を眺めていた。

 疲れと酔いが入り混じった心地よいけだるさの中で、いつのまにか修一はウトウトしてしまっていた。

 肘掛からガクッと右手がはずれ、ハッと気がついたとき時計はすでに十一時を過ぎていた。静寂の中で微かにシャワーの流れる音がしていた。

「バーマがシャワーを浴びている」まだ幾分すっきりしない意識の中で修一はそう確信した。そしてなぜか反射的にサッと腰が上がり足は自然とドアの方に向かっていた。それからクロゼットの横の、バスルームから一番近い位置にあたるところの硬くて冷たい壁に耳をくっつけた。

 シャーシャーという音は心なしか先ほどより大きく聞こえた。

 修一は壁の向こうのバーマの豊満な裸体を想像した。はち切れんばかりの豊かな両の胸、急角度にくびれたしなやかな腰、そして後方に大きく盛り上がった丸いヒップ、それらのものは次第に想像を超えて、あたかも目の前で見ているようにくっきりと瞼に浮かんできた。

 そして数日前、彼女の部屋でベッドの上の下着を掴んだときの手のひらの感触を思い出しながら、汗ばんだ両の手のひらをグッと握りしめた。修一はクロゼットを前の方に動かした。そして今度はそれがあった位置の壁に耳を写した。たぶんそこのほうがシャワーに近くなるはずだ、と思ったからだ。
 するとさっきより幾分音は大きくなった。

 シャーシャーとお湯が流れる音の合間に時折バシャバシャという音も聞こえてくる。バーマは髪を洗っているのであろうか? 修一はバーマの本物の裸体が見たくてたまらなくなった。ふと、この壁に穴を開ければバスルームは見えるだろうか?というとんでもない考えが頭を掠めた。

 壁に穴は開かないだろうか? 机のところまで歩いて、引き出しを開けて道具を探した。使えそうなものといえば先の尖ったハサミぐらいである。

 それを摘み再び壁のところへ戻った。

 そしてさっき耳を当てた部分にハサミの先を強く押し付けて左右にグルグル回した。壁はあんのじょう硬く、はさみの先が折れるかと思った。

 それでもグルグル回しているうちに、表面から二センチぐらいなんとかは入った。

 だがそれからが駄目だった。ハサミの先がガチッと鳴り、恐ろしく硬いものにぶつかった。おそらくそこからがコンクリートになっているのだろう。それから先はいくら回しても少しも中へ入らなかった。表面の壁が少しだがバラバラと音を立てて床に落ちたとき、エセルに気付かれたらまずい、と思いそこで手を止めた。

 そして、この道具ではとうてい駄目だ、と思い、それを抜いてクロゼットを元の位置に戻した。ちょうどそのときバスルームのドアがバタンと閉まる音がした。

バーマがバスルームを出てしまったのだ。

 そう思い、落胆して椅子に腰を下ろしたときの修一はもうすっかり酔いも醒めていた。

 それから椅子の背で大きく背を伸ばしながら「あーあ、この自分はいったいなんという馬鹿なことをしているのだろう」と呟いて、つい今しがたの行動がすごく滑稽に思えてきて、なんとも絞まりのない照れ笑いを壁に向かって投げかけていた。

 そして冴えない表情で「仕方ない。この上はバーマの入った後のバスルームで彼女の体臭の余韻でも嗅ぎ取ろう」などと、またしても情けないことを考えながら、修一はゆっくり椅子から立ち上がった。

(つづく)次回  7月27日(日)


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2014年7月23日水曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第25回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第3章・夜のセントメモリアル病院(その7)



マンハッタン西97丁目 第3章「夜のセントメモリアル病院」(その7) 

 日本クラブを出ると、修一は五番街のほうへ向かった歩いていた。

 前々から機会があれば一度訪ねてみよう、と思っていた森川がマネージャーをしている日本レストラン「杉」へ行ってみることにしたのだ。

 はっきり言って、午前中の日本クラブで聞いた「寿司」とか「天ぷら」とかの和食の名前はすごく刺激的であり、突然行く気になったのも、完全にそれに触発されてのことだった。ニューヨークに来て、それまでに日本レストランへは三度行ったことがあった。

 そのいずれもがブロードウェイの百十四丁目にある「サト」という店である。この店はさすがに「黒人居住地区ハーレム」にもそれほど遠くないアップタウンにあるだけに、お世辞にも高級とは言えず、日本で言えばさしずめ大衆食堂とでも呼ばれるような、まったく飾り気のない実質本位の店であった。

 それだけに値段も安く、ちょっと場所のいい他の店だと十ドル近くする修一の好きな「天どん」が、この店だ五ドル五十セントですむのである。そこでは過去三回すべてその「天どん」を注文したが、上に乗せたエビの天ぷらがびっくりするくらい大きく、味も日本で食べる物と比べて遜色ないと、行く度に修一は大満足であった。

 あえて難を言えば、日本だとドンブリの蓋の上に載せられて付いてくるあの「たくあん」が無いことだろうか。

 そのことを店主に聞いてみると「こちらではあの臭いがどうもねえ、だからと言ってピクルスでは様にならないし」と、少し恐縮した表情で言っていた。
 
 日本レストラン「杉」は五番街に面した瀟洒なビルの一階にあった。

 入口には明朝の漢字で店の名を書いた大きな赤い提灯が二つ吊り下げられており、オフィスビルの多い周りのシンプルで冷たい風景の中でそれはひときわ暖かな東洋ムードを醸し出していた。中へ入るとき、突然やってきて森川に悪いかな、と一瞬思ったが、客としてきたのだからそれはないだろう、と思い直して応対に出てきたウェイトレスに連絡を頼んだ。

 中へ入ると中央に円形の寿司カウンターがあり、その周辺をゆったりとしたスペースのテーブル席が囲んでいる。床には鮮やかな色の分厚いじゅうたんが敷いてあり、その上の何ヶ所かには、まるで平安絵巻を思わせるようなあでやかな図柄の屏風が立ててあった。

 内部を一見した修一は、この店はかなりの高級店である、と思い、次にきっと料理の値段も高いだろうな、と思った。

 いつも行く百十四丁目の「サト」には悪いが、同じ日本レストランでもまさに天と地の開きである。
 奥の方から森川が急ぎ足でやってきた。

 長身をビシッとした黒のスーツで包み、髪の毛はきっちり七三に分け、りりしさの中にもにこやかな表情を作って修一のほうへ近づいてきた。その姿はいかにもこの高級な店のマネージャーにふさわしく見えた。

 彼は大きな声で「大野さん、ようこそ」と言いながら満面に笑みを浮かべて右手を差し出した。修一は「この前はどうも」と言い、会釈しながらその手を握った。

 山崎のアパートで会った五人の中で、なぜかこの森川には特別な親近感を感じていた。

 なぜだろう? その理由について考えてみたのだが、彼の明るい人柄もさることながら、レストランのマネージャーという仕事が同じサービス業としてのホテルマンという修一の仕事の似通った点が多く、そうした職業上の類似点が親近感を持たせるのではないか、と以前から思っていた。

 「大野さん、今日は良い魚がたくさん入っていますから」と、森川は修一を寿司カウンターの方へ誘った。修一に依存はなかった。日本を離れて二ヶ月、この間寿司は一度も口にしていなかった。

 百十四丁目の「サト」には刺身はあっても寿司はなかったのだ。カウンターの中にはハッピ姿で、キリリとねじり鉢巻をした板前さんが四人いた。彼らはカウンターの丸い円の中で、きっちり四等分した位置に一人づつ立っていた。五時を少し回っただけで、夕食にはやや早く、客はまだまばらであった。

 「大野さん、今はまだこういう状態ですが、もう一時間もするとこの六0もあるカウンター席が満員になるのですよ。その客も七割は白人で、日本人を含めて東洋人のお客は二~三割です」 七割が白人客であると聞いて、やはり今の日本食ブームは本物であり、しかも相当強く根を下ろしてきているのだ、と修一は思った。

 一緒にカウンター席に座った森川は、「何でも好きなものをどんどん注文してください」と言った。そして「大野さん、こういう条件はどうですか?今日のお寿司は全部ぼくのおごりにして、いつかこの次の大野さんのホテルエールトンのレストランでフランス料理をごちそうになる。いかがですか、このアイデアは?

 修一はこの男の考えはスマートだと思った。本当は交換条件など出さずに「今日はすべて僕のおごりだ」と言いたかった似違いない。でもそれでは修一のプライドを損ねる。そう思ったうえでのとっさの判断であり、フランス料理は単なる口実であろう。修一にはそんなふうに思えた。

 「ではお言葉に甘えて」修一がそう言うと、森川はなぜか以前にも増して喜んだ。
 そして板前に指示して、トロだとかウニだとかの値段の高そうなものばかりを握らせて出させた。
 森川から指示を受けたときの板前の態度はすごくうやうやしかった。ハキハキとした素直な返事はいかにも上司を立てているというふうであり、そんなところにもなんとなくこの店での彼の力が伺えた。

 目の前で寿司を握っている板前は去年京都から来たのだと言った。来る前にどこで調べたのか、この店宛に長い文面の手紙をつけた履歴書送ってきたのだという。その手紙には「今は京都のすし屋で働いているが、ニューヨークに行って修行し、将来はそちらで自分の店を持ちたい。経験はまだ三年しかないけれど熱意だけは誰にも負けないつもりなのでぜひそちらで雇ってほしい」そういう内容の手紙だったという。
 
 森川はこれまでにたくさんの日本人を雇ってきたが、それらの多くはみな現地採用で、来る前にこうしてわざわざ日本から手紙を出してきた者は他にいなかった。

 手紙の文面にはしっかりとした目的意識と人間としての信頼性がにじみ出ていた。

 そのとき別段人に困っていたわけではなかったのだが、森川は採用する旨の手紙を送ったのだという。その半年後に彼は喜び勇んでやってきたのだ。

 年齢は二四歳。高校を出てしばらくは家業の織物屋を手伝っていたが、どうも性に合わず、二十歳で板前修業に入ったのだそうだ。できたら三十までに小さくてもいいからここニューヨークで店を持ちたいのだ、と彼は力強く修一に語った。

 彼の髪の毛は食べ物商売に携わるのにふさわしく短くカットされており、キリリと巻いたねじり鉢巻が清潔感を盛り上げ、昼間日本クラブであった五人の長髪の若者に比べて格段の相違があるように見え、意識の差というのは大きいものだ、と修一に思わせた。

 次々と出された寿司と、久しぶりに口にした熱かんの日本酒とで修一がすっかりいい気持ちになった頃、森川が言ってたように、にわかに店は混みはじめてきた。ついさっきまで空いていた隣の席にも、いつの間に来たのか中年の上品な白人紳士が座っていた。

 カウンターをグルッと見渡して見てももう空いている席はボツボツとしかなかった。そうなるとマネージャーとしての森川もゆっくり座って要られなくなったのか、修一に「ちょっと失礼します。ゆっくりしていてくださいね」と言うと席を立って、反対側のカウンター席に陣取った常連らしいお客たちに挨拶して回っていた。

 それが一段落してまた横に戻ってきた森川に修一は言った。
 「森川さん、お店もだいぶ立て込んできたようだし、今日はこれでおいとまします。おいしいお寿司を本当にありがとうございました」。

 森川は少しびっくりした表情で「オヤッ大野さん、もう帰るのですか?もっとお話したいなあ。立て込んでいるのもここ一時間あまりだろうし、僕は時々立つかもしれませんが、ビールでも飲みながらもうしばらく居てくれませんか」。

 森川はそう言って修一を引きとめようとした。でも修一は突然やってきた手前、大野の仕事の邪魔になりたくなかった。

「僕もまだまだ森川さんとお話したいのですが、この続きは近々エールトンのレストランででも」

修一はそう言ってなおも名残惜しそうにする森川に丁寧に挨拶して店を出た。                                          
 外へ出て地下鉄の方へ向かって歩いていきながら、修一は「それにしてもあのトロはうまかった」と、いかにも満足そうな表情で独り言を呟いていた。

(つづく)次回  7月26日(土)


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2014年7月20日日曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第24回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第3章・夜のセントメモリアル病院(その6)



マンハッタン西97丁目 第3章「夜のセントメモリアル病院」(その6)
 
 修一が二度目に日本クラブに行ったのは、あの雪の積もった日から三日目のことであった。その日は仕事が休みということもあって前回読み残したものをできるだけ多く読んでやろう、と朝十時過ぎにはもう地下鉄に乗っていた。

 五七丁目で降りて、もう半ブロックも歩けば日本クラブへ着くという所で、反対から歩いてきた金縁メガネの痩せた白人の老女が突然修一の前に立ちはだかった。

 なんだろうこの老女は?と、怪訝に思っていると、やおら「地下鉄乗場はここからまだ遠いの?」と聞くのである。

 修一は一瞬妙な気がした。れっきとした白人がなぜまだこちらへ着て間もない日本人に道を訊かなければいけないのだろう? そう思ったからなのだ。

 「いいえ遠くないですよ。次の角を右に曲がればすぐ入口の階段が見えます」
 修一は自分が来た方向を指差して教えたあげはしたが、なにか解せない気持ちがしばらく残った。

 十一時前のその時間だと、この前のときと比べて人は少ないに違いない、と思いながら日本クラブのドアを押した修一は、間もなく自分の予想が大きく外れたことに気がついた。ロビーの新聞・雑誌閲覧室にはすでに十人近い先客があったのだ。

 その日館内は前のときと違ってずいぶんざわめいていた。ロビーを見渡すと窓側のソファに陣取った五人連れの日本の若者が賑やかに談笑していた。

 年のころなら二十歳前後であろうか、一人を除いて他はみな肩までかかるかと思うほど髪を長く伸ばしていた。五人とも古びたジーンズ姿で、上はジャンパーかセーターといういでたちであった。親しそうに話し合っているその様子から、彼らが仲間同士ということが分かった。でも何者なのだろう?
 
 修一はなおも観察の目を向けていた。外見からしてビジネスマンには見えない。その長い髪の毛からロックかなにかの音楽をやっているグループに見えなくもなかったし、あるいはソーホー辺りに住んでいる芸術家志望の若者だろうか?
 
 大声で笑ったかと思うと、次にはスッ頓狂な声を発したりして閲覧室にいるにしてはずいぶん騒々しい連中であった。

 その彼らから少し離れたところへ座って新聞を目にしていた修一の耳に、ふいに彼らが話していた「寿司」とか「天ぷら」という日本食の名前が飛び込んできた。続けて「昨夜の黒人客はどうのこうの」と言っているのも聞こえてきた。

「ハハーン、日本レストランで働いているのか」と、そのときになって初めて彼らが何者なのかが分かったような気がした。

 その後でも「この頃は天ぷらよりも刺身の方がよく売れる」と言うのを聞き、もう間違いないと思った。そう言えばここからあまり遠くない六番街四九丁目に「バンコー」という安ホテルがあって、そこにはたいした目的もなしに日本からやってきて、日本レストランでバスボーイ(皿洗い)をやっている若者がたくさん泊まっているのだ、と、この前山崎のアパートで帝京銀行の栗田が話していた。

 観光ビザでやってきた彼らは、もちろんワーキングパーミット(労働許可証)は持っておらず、いつもイミグレーション(出入国管理局)を恐れながらビクビクして生活しているのに、職場が職場だけに食べることには事欠かず、そのせいかお金だけはよく貯めるらしい。今や日本食ブームの真っ只中にあるここニューヨークでは、新たに続々と新しい日本レストランができており、こうした若者にとっては働く場所には事欠かないようなのだ。

 それに経営者にしても違法だとはわかっていても、ついついこの安上がりの労働力に頼ってしまうのである。

 ときおり同業者による密告などがあったりして、イミグレーションの手入れを受け、高い罰金を払わされたりするのだ、とそんなことも栗田は話していた。

 修一はその後もロビーの五人連れの若者の賑やかな声を耳にしながら「なにもニューヨークくんだりまでやって来て日本人同士でじゃれあうこともなかろうに、とその騒々しさをいささか不服に思っていた。

 でも昼前になって彼らは去っていった。先ほどまでの喧騒がウソのように辺りは本来の静けさを取り戻した。これでいい。この静けさこそが活字を読むのにふさわしいのだ、とホッとした思いがした。

 それからは修一の目も次第に集中力を帯びてきて、しばらくは貪るように紙面を追っていた。

 五時間ぐらい経ったであろうか、時計はすでに夕方に四時を差していた。
 いつもなら遅出勤務の仕事が始まる時間である。

 それにしてもよく読んだものだ。十日分づつファイルされた新聞三紙、それに月刊誌二冊と週刊誌四冊。もちろんすべての記事が読めたわけではないが、少なくともタイトルと大体の内容にはずべて目を通した。

 活字から目を離した修一はなんとも言いようのない満足感を覚えていた。

 これで日本語の活字に対する空腹感は解消されたとも思った。そしてこうしたものを揃えて自由に読ませてくれる日本クラブに心の中で深く感謝した。

(つづく)次回  7月23日(水)


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2014年7月19日土曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第23回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第3章・夜のセントメモリアル病院(その5)



マンハッタン西97丁目 第3章「夜のセントメモリアル病院」(その5) 

 エールトンの仕事はその日も十二時ジャストに終わった。いつものように隣のブロックにあるペンステーションまで歩いて行き、そこからアップタウンに向かう電車に乗った。ここマンハッタンには不夜城と呼ばれるタイムズスクエアーをはじめ多くの歓楽街があちこちにあるためか、すでに十二時を過ぎていると言うのに地下鉄の乗客数は昼間とさして変わらない。

 でも数こそそうであれ、その客層は、というと、さすがに昼間とは趣を異にしており、白人は数えるほどで、そのほとんどを黒人とペルトリコ人が占めていた。

 もちろん昼間のように上品ぶった客ばかりではなく、飲んだくれてわめき散らす黒人男とか、獲物を探して鋭い目を車内のあちこちに向けてるスペイン人だとかが混じっていたことは言うまでもない。

 そうした乗客も七二丁目ぐらいからのアッパーウエストと呼ばれるエリアでまずペルトリコ人が、そして百二十五丁目のハーレムでは黒人のほとんどが降りて行き、その先はガラガラになるに違いない。

 空席がなかったので修一はドアのそばに立っていた。
 ちょうど修一と反対側のドアの側に黒人の太った男が立っていた。
 その男は修一と目が合ったとき人なつっこそうにニコッとした。つられて修一も笑顔を返した。

 でもそれがいけなかったらしい。男はその後ずっと修一から視線を離さないのだ。「ハハーン、この男なにか勘違いしているな」修一はそう思ってなるべく男の方を見ないようにした。

 ニューヨークは世界中の都市の中で一番と言われるほどホモのメッカなのである。

 かの有名なグリニッッチビレッジの一角にはゲイボーイたちの集まる通称「ゲイストリート」と呼ばれる地域もあるくらいなのだ。

 普段はそこでたむろしているゲイたちも、時には地下鉄などに乗って移動し、新しい獲物を求めているのである。いま目の前に立っている男も多分その種の奴に違いない。そう修一は思った。こちらへ来てまで一週間ぐらいしかたたない頃、同じように地下鉄構内でこの手の男につけ回されて苦労したことがあった。

 でもそのときは昼間であったので雑踏へ紛れこんでうまく相手をかわすことができた。しかし今回は夜である。つけて来られて暗闇で腕でも掴まれたらやばい。

 なにぶん相手は百キロ以上もあろうかというほどの大男である。
 そうなれば六二キロの修一の力では容易に振りほどくことはできないだろう。

 そう思うとだんだん不安になってきた。なんとかして早くこの男の前から逃れなくては。でも下手に動けば着いてくるだけだろう。

 そこで修一は一策を弄した。電車が七二丁目の駅に止まったら一旦そこで降りよう。そしてそこでこの男を巻こう。そう決めて電車がホームへ入る前からタイミングを計っていた。電車が止まりドアが開き、数人が降り数人が乗り込んできた。

 そこで降りるはずの修一はそれでもまだ動かなかった。発車を告げる五秒ほどの短いブザー鳴り止んでドアがガタッと閉まりかけたとき、修一はサッと身をかわしてホームへ下りた。背中をかするようにしてドアが閉まった。

「やった。成功!」と思い、振り返ってドアのガラス越しに男を見た。
 その男の表情からは、もはや先ほどの笑みは消え、いかにも忌々しげにこちらを見ていた。         
 そんなことがあったおかげで、その日修一が下宿に帰ったのはいつもより三十分以上も遅く、時計は午前一時を大きく回っていた。部屋に入るなり、なんだか一気に疲れを感じ、服の脱ぐのも億劫な気がして、そのままゴロッとベッドへ横たわった。

 この日はいろいろありすぎた。朝起きてまず積もった雪に驚かされ、留守中のバーマの部屋へ忍び込んでの人に言えないあの恥ずかしい行動。

 そして日本クラブで日本の新聞に熱中。さらに、つい先ほどの地下鉄での出来事。 

 このめまぐるしい一日の流れは修一の気持ちを高ぶらせ、かつ緊張させていた。

 大の字にベッドに横たわって天井を向いて二~三度大きく息をした。

 ニューヨークへ来てあと五日もすれば二ヶ月になる。仕事にも慣れた。生活にも慣れた。山崎をはじめ、こちらでの友人も増えて。そしてすぐ側にはいつも心ときめかすバーマがいる。こうした環境の中でまだ十ヶ月も残っているここでの生活は今後どのように変化していくのであろうか?
 
 修一は胸の中で想像をめぐらせた。 バーマとのことは決してこのままで終わらせたくない。男と女が話をして終わるだけではつまらないことこの上ない

 早く二人の関係をもっとそれらしいものに発展させなければいけない。

 脳裏に昼間見たベッドの上のバーマの下着が浮かんできた。
 あの下着を着けた彼女の姿を早くこの目で見たい。その夜修一はずっとそのことばかりを考えていた。

(つづく)次回  7月20日(日)

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2014年7月16日水曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第22回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第3章・夜のセントメモリアル病院(その4)



マンハッタン西97丁目 第3章「夜のセントメモリアル病院」(その4) 

 その日は珍しく正午を少し回ってからチャーリーの店へ行った。
 外は曇っていて寒かった。歩道の雪はかき集められている所と積もったままの所が半々だった。

 それでもさすがにチャーリーの店のある大通りともなると軒並みにきれいにかき集められていた。ところどころに大きな雪の山ができており、その中の一つにはてっぺんに雪かきに使った柄の長いスコップが無造作に突っ込んである。


 昼時だというのにチャーリーの店は空いていた。

 「雪のせいでいつも来る年寄り連中が今日は来ないんだよ」
 チャーリーは仏頂面で修一にぼやいた。そう言えばいつも座席の半分ぐらいを占領している彼らの姿が見えなかった。

 「お互いに年をとっても足腰が衰えないように今から鍛えておきたいね」と、修一はチャーリーに言った。大きくうなづきながら「まったくその通りだよ」と応えた彼は続けて「この頃Youの英語はずいぶんうまくなったな」と、お世辞を言った。 

 日本からこのニューヨークへ来てすでに五0日弱、チャーリーの言うように来た頃に比べると、このところの修一の英語も格段に進歩していた。でもまだ微妙なニュアンスの説明を要する事柄だとかユーモアを含んだ話題とかでは戸惑うことも多く、自分自身としては内心まだまだであると思っていた。でもチャーリーに褒められてちょっぴり自信がわいてきた。

 チャーリーの店へは職場に向かう身支度を整えてきていたので店を出た修一はそのまま地下鉄乗場へと向かって行った。でもまだエールトンへ行くのではなかった。

 チャーリーの店で食事をしていて、なぜか急に日本の新聞が読みたくなり、食事が終わったらこの足で日本クラブまで行き、そこで新聞を読もう、と思ったのだ。

 時計はまだ一時を少し回ったばかりで四時からの仕事までに時間はじゅうぶんあった。
 日本クラブへ着いたのはそれから三十分後の午後二時前であった。

 その日本クラブというのは、日本人の民間団体によって設立されたもので、ニューヨーク在住の日本人が親睦のための各種の行事を開いたりする場所なのである。

 四階建ての建物の一階部分はいつも自由に開放されており、日本から送られてきた日刊紙数紙のほか、月遅れではあったが、月刊誌や週刊誌が数々取り揃えてあり、誰でも自由に閲覧できるのである。

 この日の閲覧室にはすでの先客が五~六名あり、それらの人のほとんどが新聞を読んでいたためにラックには僅か一紙だけしか残っていなかった。

 人に取られないようにと、修一は慌ててそれを掴み、空いたソファに座るや否や、目をカッと開いて貪るように紙面の活字を追っていった。

 約五十日ぶりに目にした日本の新聞である。
 修一は英語上達のため、アメリカ滞在中はなるべく日本語に接することを避けようと考えていた。そのため日本からは何の本も持参しなかった。

 来る前は一年ぐらい日本語を読まなくたってどういうこともないだろうと思っていたのだが、その予想は見事に外れて、そのときの修一は完全に日本語の活字に飢えていた。

 およそ、食べ物に飢えるとか、女性に飢えるとか、そういうことはまあ一般的であり、よくありがちなことで想像もつき易いが、こと活字に飢えるということに関しては過去にも経験がなかったし、それがいったいどういう状態であるのか想像もつかなかった。でも修一はそのとき実際にそれを体験したのだ。

 そのときの修一には記事を選んで読むなどという余裕はまったくなく、その新聞に書かれているすべての記事に興味が沸いた。

 日本に居るときのように面白そうな記事だけ拾い読みするということはまったくないのである。一ページずつ丹念に隅から隅まですべての記事に目を通した。

 二時間あまりがアッという間に過ぎて行き、一息入れて時計を見たときはすでに三時を回っていた。それでもまだ一紙たりとも完全には読み終えておらず、できることならこのままずっと新聞を読み続けていたい、と思ったが、仕事へ行く時間が迫ってきたため、仕方なくそれをラックへ戻した。

 そして次の休みの日には朝から来て続きを読もう、と考えながら外へ出て地下鉄乗場へ急いだ。

 その日は昼間でもさして気温は上がらず、積もった雪はまだほとんど溶けていなかった。 


(つづく)次回  7月19日(土)

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