2017年12月15日金曜日

ブログのネタは読んだ本から ・ ブログは読書欲を促す絶好のツール



マイブログは読書のおかげでネタが続き7年間継続できた

マイブログ「生涯現役日記」は2010年のスタートから丸7年が過ぎました。

今でこそ更新回数が少なくなっていますが、最初の3年間ぐらいはほぼ毎日新しい記事を載せていました。

そのおかげもあって今ではコンテンツの数は1300を超えています。

では肝心のアクセスはどうかというと、こちらは累計が40万を超え、8年目に入った今も毎日コンスタントに120以上あります。

この程度のアクセスがあると、マンネリでともすれば下がりがちになるモチベーションも何とか維持することができます。


ブログを長くやっているとネタ不足に陥る

継続は力なりと言いいますが、ブログを長くやっていると、アクセス数が増えるなど、それなりのメリットはあります。

とはいえ長くやっているゆえのデメリットもあります。その第一はネタ不足に陥ることです。

一般的に長く続いているブログは年数がたつに従って更新が少なくなるのが普通です。

当方のブログも最初の3年間ぐらいはほぼ毎日新しい記事に更新していました。

ところが4年目ぐらいからはそれが2日に1回になり3日に1回になり、次第に記事の数が減ってきました。

これはモチベーションの低下もありますが、それより大きな原因はネタ不足が生じるからです。

書こうと思ってもテーマが見つからないのです。

仮に見つかったとしてもそれが2日にひとつ、3日に一つというふうに、次第に数が減ってくるのです。



ブログのネタはマスメディアやネットより本からの方が多い

今ほど情報媒体が多い時代はありません。新聞、テレビ、インターネット、と身の周りには情報を提供してくれるソースが溢れています。

ましてやインターネットはグローバルなツールですから居ながらにして世界中の情報を集めることができます。

これだけの情報ツールが身の回りにあれば、ブログのネタなどいくらでも見つけることができるのでは、と、人は思うかもしれません。

ところが長年ブログを続けていると、過去に書いたテーマが多くなり、新規に選ぶ範囲が少なくなってくるのです。

原則として過去に一度書いたテーマは避けるようにしていますから、ニュースでも追わない限り選べるテリトリーが次第に狭くなってくるからです。

それに新聞、テレビ、ネット情報はブログを書いている人の多くが利用していますから、これらばかりに頼っていると、内容的に類似した記事が生まれてきます。

そうなれば希少性が乏しくなり、読者の獲得が難しくなります。

では新たなネタ探しは何に頼れば良いのでしょうか。

こう考えて出てきたのが本です。今はスマホ全盛時代で人々の本離れが進んでいます。

それ故に人々には本の情報はネット情報に比べて知らないことが多く新鮮に映ります。

その結果ブログの記事で大切な希少性、ユニーク性を保つことができるのです。

こう考えて、今では新聞、テレビ、ネット情報などに比べて、本からネタを探すことが圧倒的に多くなっています。


ブログのおかげで読書量がうんと増えた

読書はブログのためだけにやっているわけではありません。

ブログを始める前から本はよく読んでいました。でも、たまに途切れることがあり、気がつくと1ヶ月ぐらい読んでいないこともあります。

でもブログを始めてからはそうしたことはあまりなくなり、コンスタントに読んでいます。

新鮮なテーマを探すため本はなくてはならないツールだからです。

はっきり言ってブログを始めてから読書量は大幅に増えています。それも年を経るごとに多くなっています。

これはブログを長く継続すればするほど、ネタ探しに苦労し、最終的に本に頼ることが多くなるからです。

そのおかげで読書量が飛躍的に増えました。

ブログを継続すると、こんな効用もあるのです。

2017年12月12日火曜日

この本がめちゃおもしろい! ・ 書評 イギリス毒舌日記 



こんな面白い本を読んだ人は超ラッキー


とにかく面白い本で、読んでいる間じゅう顔の筋肉がが緩みっぱなしでした。

なにが面白いのかと言えば、第一に挙げられるのは当意即妙なパンチのきいた大阪弁です。

大阪弁に含まれる独特なユーモアをこれほどよく表している文章は他に例を見ません。

それに慣れないイギリス生活で言葉の壁やカルチャーショックと闘いながら日々成長していく著者のたくましさは感動ものです。

こんな人が海外へ出れば日本人のステータスが上がること請け合いです。

分厚い本ですが、ページをめくるのが楽しみで、愉快なだけでなく、イギリス人のものの考え方と文化を知るうえでとてもためになる一冊でした。

なおこの本の元になったブログは今もアメブロで継続中です。

下記がサイトのURLです。

http://ameblo.jp/wiltomo/



著者ウイルトモについて

1975年大阪生まれ。三十路を過ぎるまで日本で働いていたが、国際結婚をきっかけに渡英。現在はイギリス人の旦那、5歳の娘、3歳の息子とともにカンブリア州カーライルに住む。

2007年より始めたブログ「イギリス毒舌日記」が、独自の視点で綴る海外生活のエピソードと、毒舌ながらも人情味溢れる文章で人気に。『イギリス毒舌日記』が初の著書となる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


書 名  イギリス毒舌日記
著 者  ウイルトモ
出版社  ワニブックス
発 行  20166
価 格  1,296(税込)


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(ネットの書評・抜粋)


図書館本。アメブロの公式トップブロガーの著者、トピックに時々載っているのをポチって読んでおり、面白いな~とは思ってました。それを改めてまとめて読んでみると、だんだん毒舌っぷりがパワーアップしている。
イギリスに限らず、日本にもオカシナ家族や変な人はそこいらにフツーに居ます。が、毎日大変だな~と思えることも、すごく深刻なこともオチつきで読ませるのはさすが関西。 笑いすぎて腹筋が痛い。。。書くことで発散できるならドンドン書いて元気に過ごしてほしいと思いました、これからも高みの見物さしてもらいます


ブログがおもしろかったので本も借りて読んでみた。ブログが時系列なのに対し、こちらはテーマごとにまとめてある。改めて…いろいろ衝撃的すぎる。他人事だから笑って済ませるけど…これは大変だわ〜。
すべて笑いとネタに変換できるパワーがないと無理だわ。日本生まれの日本人でよかった…。でもこうやって海外で揉まれた人はきっとどこででも生きていけるだろなあ。私達ももっと図太く、たくましくならないと…そりゃ外国勢に迫力負けするわけだ。


イギリスに住む普通の人たちというのは、何やらとんでもなくトンでもない人ばかりのようです。私なら、毎日バトルになってしまい、ひたすらストレスの生活になってしまいます。
イギリスで暮らすというのは、私にはとうてい不可能だということがよく分かりました。まあ、この本を読んだだけで、イギリス人はこんな人たちと決めつけることもできないわけだけど、それにしても生々しいイギリス人の生態でした。


めっちゃおもろい。英語の関西弁訳が絶妙。現地人と結婚して移住できるとかラクでいいよなぁと思っていたけど、たくさん苦労があるのだなということがわかってよかった。
英語が下手でも気にしないで開き直るのが大事ということもわかった。イギリス人(というか田舎の人?)の生態おもしろい。強く生きねば。









2017年12月9日土曜日

当世男女金遣い事情 ・ カフェでもランチでもお金をよく使うのは圧倒的に女性の方



カフェで男性客はコーヒーだけ、女性客はケーキやロールサンドも

毎日カフェに通っている私が言うことですから間違いありません。

何のことかといえば、カフェでは男性より女性の方がお金をよく使うということを言っています。

これに関しては注文する品物を見れば歴然としています。

男性客はコーヒーを中心に飲み物一点だけの注文が多いようです。

ところが女性はそうではなく、飲み物の他に必ずと言っていいほどケーキなどのスイーツや、小腹を満たすためのロールサンドなどを一緒に注文することが多いのです。

これだと値段の上で男性を大きく上回ります。つまり男性はコーヒー代だけで済むのに、女性はケーキやロールサンドの代金が加わるからです。

金額を具体的に言いますと、男性の二百数十円に対して女性は七百円ぐらいと3倍近くにもなるのです。

それもそうでしょう。飲み物だけだと三百円ぐらいで済みますが、ケーキやロールサンドなどの値段がそれ以上かかるからです。


金づかいが良くなった最近の女性

カフェで女性が男性の3倍近くもお金を使うとは凄いではありませんか。

でもそれだけではありません。近頃ではランチでもお金をよく使うのは圧倒的に女性の方です。

最近のランチはレパートリーが豊富で、安いものでは牛ドンのように300400円程度で済ませることもできます。

そうでなくてもワンコイン(500円)だと、定食を出す店は珍しくありません。

一般的にこうした安いランチを利用するのは、どちらかと言えば女性より男性の方が多いようです。


男性は夜の飲代のためにランチ代をケチるのか?

理由はいろいろですが、男性は夜の「ちょっと一杯」のためにお金を残しておく傾向があるからではないでしょうか。

それに対して女性はアフターファイブの飲み代にそれほどお金を使いません。

その分をお昼に回せますから男性より豪華なランチになるわけです。

かくしてワンコインランチの男性を尻目に、女性陣は1000円以上をランチ代に使っているのです。


高級レストランでもランチ時の8割が女性客

女性が男性に比べて豪華なランチをとることは今でははっきりした事実です。

わたしがよく前を通る駅前のショッピングビルの地下にしゃれた店ばかり集まったレストラン街があります。

どちらかと言えば高級レストランの部類で、やや価格の高い店ばかり揃っています。

その中に一軒にすべてのランチメニューが10001500円というところがあります。

その店の前を通りかかるとシースルーの窓から中がうかがえます。

その様子ば、いつ見てもお客のほとんどが若い女性で占められ、男性客は1割も見当たりません。

店のショウウィンドーにすべての料理サンプルがが陳列されていますが、値段は1000円を下回るものは一つもありません。

つまりワンコインはおろか、ランチとして手ごろな700800円のメニューは皆無なのです。

ということは店にいるすべての女性が1000円以上のランチを食べていることになります。

この店にいるすべての女性、という点がすごいのです。

なぜなら、この状態こそ、女性のランチ代は高い、ということをよく証明していることになるからです。

ところであなたの今日のランチ代はいくらでしたか?


2017年12月6日水曜日

奨学金を延滞するとブラックリストに ・ 奨学金返済が深刻な問題になっている


2017年、やっと始まった給付型奨学金だが、その枠は極めて小さい

日本の奨学金は欧米諸国などに比べると不備や遅れが目立ち、本来の奨学金の役目をはたしていない、という声が高いようです。

こうした声に応えてか、国はやっと改革に乗り出し2017年度から返済義務のない給付型奨学金を創設しました。

それとともに、これまで貸与枠が少ないと批判の的であった無利子の第1種奨学金の枠を拡大しました。

とはいえ対象になるのは非課税世帯だけで、ターゲットになる当面の人数は最大で2万人程度でしかありません。

これだと、現在大学生の2.6人に1人が利用している奨学金利用者数に比べると微々たる数でしかなく真の改革とは言えません。




  奨学金の何が問題なのか

奨学金はかつては日本育英会という組織が運営しており、無利子のものもあるため、利用する学生が借金というイメージを持ちにくい面があります。

しかし実際には無利子のものの割合は低く,利用者の多くは有利子のものを利用しているのが現状です。

その結果卒業時には数百万円という大きな借金を抱えて社会に出る場合もあります。

ましてや、運営が日本育英からから日本学生支援機構という別の組織が変わった今では、消費者金融などの一般の金融商品の一つとして扱われるようになったため支払いを3ヶ月延滞するとブラックリストに載せられることになります。

その結果上のグラフに見るように、このところ奨学金をめぐる訴訟はjうなぎのぼりで増えています。

でも、奨学金という、いわば聖域と言ってもいい領域になぜ消費者金融まがいのブラックリストが入り込んできたのでしょうか。

ズバリ、それは第2種の奨学金は民間の資金が利用されており、利息で運用する金融商品として扱われるようになったからです。

金融商品である以上、扱いは消費者金融などと同等になるのです。

このようになったのも、もとをただせば奨学金に次のような問題があるからです。


第1種(無利子)奨学金の枠が小さすぎる

奨学金には第1種(無利子)と第2種(有利子)があります。

当然の如く利用希望者の多くは第1種を望みます。ところが申し込み基準が厳しく、申請しても親の所得制限や本人の学業成績などで通るのは4人に1人しかいないと言われています。

なぜこれほど厳しいかと言えば、第1種の予算が限られているからです。

つまり第1種の無利子奨学金は第2種(有利子)に比べて予算枠が極めて小さいからなのです。


窓口になるのが高校の先生ということに無理がある

はっきり言って奨学金は借金です。普通、借金は銀行や消費者金融などの窓口で行います。

ところが奨学金はどうでしょう。同じ借金でも窓口はまったく異なり、通っている高校の良く知っている教師が相談窓口になるのです。

ここに奨学金に対する誤解や申し込みに甘さが生まれる決定的な原因があるのではないでしょうか。

なぜなら、学校の先生が勧めるのだから安心して利用できる、という考えが強く働き、単に学資を融通してもらうだけ、と捉え、借金をする、という認識が生まれないからです。

それも無理からぬことです。教師としては、生徒を進学させたい一心でしょうから、たとえ卒業後に何百万円の負債を抱えるのが現実であっても

そうした負の部分については教師自身がはっきりしたイメージを抱けないため、生徒に説明することは不可能に近いのです。

教師にできるのはせいぜい奨学金の利用限度額と申込手順程度でしかなく、奨学金の危険性などの説明に及ぶことはないのが普通なのです。





 奨学金は借金、という認識が足らない

 奨学金を受けようとする学生はまだ高校3年生の17~18歳でしかありません。

はっきり言えば社会のことを全く知らない子どもなのです。

そんな子どもに奨学金の現実がわかるわけがありません。

いかに卒業時に数百万円の負債を抱えることになるとはいえ、社会経験のない彼等にはそうした実感は到底持つことができないのです。

したがって将来奨学金トラブルに陥らないためには、なんとしても「奨学金は借金である」と教え、借金というものがどういうものであるかを認識できるように、教え込まなければいけません。


審査が甘く、延滞が増えるはあたりまえ?

人が金融機関でお金を借りるときのことを考えてみてください。

お金を借りるには、まず審査を当らなければなりません。

審査では、勤務先、勤続年数、年収、住居の種類、借金総額、などを問われます。

それら融資基準にパスしたとき融資が行われ、基準に合わなければ融資は断られます。

ところが奨学金はどいうでしょうか。

卒業時までに数百万という大きな額の借金にもかかわらず、一般人が金融機関で融資を申し込む時のような審査はなく

保証人こそ要求されますが、当然のこととはいえ、本人にについての審査は何もないのです。

融資には返済リスクがj伴いますが、そのの歯止めになる融資前の審査なのですが、学生にはそれが成り立たないからです。

ということは無審査で融資しているのと同じですから、延滞が多くなるのはなんのい不思議もありません。


奨学金だから、という甘えもある

人はともすれば甘えに傾き安いものです。それ故に奨学金という名の審査の甘い借金に対しては、容易に甘え心が生じます。

つまり学業のために厳しい審査もなく融通してもらった奨学金だから、少しぐらい支払いが滞ってもどうってことないだろう、という甘い考えが生じるのです。

奨学金だから、という考えは、お金の問題とはいえ教育に関わることだからビジネス関連の融資のような厳しい取り立てはないだろう、という考えに繋がるのです。

でも以前はともかく、今ではこの考えは通用しません。

例え奨学金とはいえ、利子のつく第2種奨学金は消費者金融などと同じように金融商品と見なされるのです。

ですから扱いも一般の金融と同じになり延滞が続くとブラックリスに載せられることになるのです。


参考文献 : 奨学金地獄   岩重佳治著  小学館新書


2017年12月3日日曜日

おもしろくなくては小説ではない! ・ 私の小説作法(その1)




タイトルも大事だが、出だしの1~2ページはもっと大事

面白くなくては小説ではない、これはわたしの小説に対する至上命題と言っても良いでしょう。

ということは自分が読むものは面白くなければ小説と認めませんし、反対に自分が著者になる小説は読者に面白いと認められるものしか書きません。

そのためには、読む小説を決める際はまず中身をよく吟味することが必要になります。

つまり読むに足る面白い小説であるかどうかを事前によく確かめるのです。

どうして確かめると言えば、まず出だしの部分である最初の1~2ページぐらいを注意深く読んでみるのです。

おもしろい小説は最初の出だしからエキサイティングな要素を含んでおり、「これは面白そうだ」と、読者を惹きつける力をじゅうぶん持っているものです。

なぜなら作者が「おもしろい小説だから最後まで読んでほしい」というメッセージを読者に送るために、精魂を傾けて書いているのが書き出しの部分だからです。

逆にこの部分に面白くて惹きつけられる要素のない小説は、いくら読み続けてもクライマックスに到達せず、「最後まで読んだが、面白くなかった」という結論に達することが多いのです。

おもしろい小説は最初の12ページにインパクトがある。これは間違いない事実です。


私の中編小説5編の最初のページを紹介します

一時期、作家を目指して小説新人賞に応募を続けていました。

応募する以上は良い結果を出したい。そう思って、面白くて魅力ある作品づくりに励みました。

その甲斐あって最初に応募した3つの作品がすべて難関といわれる有力新人賞の一次予選を突破しました。

ここに紹介する5編の中編小説のうち2編がそれに該当する作品です。

なお、その他の3編は応募外の作品です。



 『編む女』  (小説現代新人賞 1次、2次予選通過作品)

 「くそっ、あのカップルめ、うまくしけ込んだもんだ」

 前方わずか4~5メートル先を歩いていたすごく身なりのいい男女が、スッとラブホテルの入り口の高い植木の陰に隠れた時、亮介はさも羨ましそうにつぶやいて舌打ちした。

 「あーあ、こちらがこんなに苦労しているというのに、まったくいい気なもんだ」と、今度はずいぶん勝手な愚痴をこぼしながら、なおも辺りに目を凝らして歩き続けた。

 亮介は、これで三日間、この夜の十三の街を歩き続けていた。

 はじめの日こそ、あの女め、見てろ、その内に必ず見つけ出してやるから、と意気込んでいたものの、さすがに三日目ともなると、最初の決意もいささかぐらつき始めていた。

 時計は既に十一時をさしており、辺りの人影も数えるほどまばらになっていた。
 この夜だけでも、もう三時間近くも、この街のあちこちを歩きまわっていたのだ。

 「少し疲れたし、どこかで少し休んで、それからまた始めようか、それとも今夜はこれで止めようか」

亮介は迷いながら一ブロック東へ折れて、すぐ側を流れている淀川の土手へ出た。 道路から三メートルほど階段を上がって、人気のないコンクリートの堤防に立つと、川面から吹くひんやりとした夜風が汗ばんだ両の頬を心地よくなでた。

 「山岸恵美」といったな、あの女。城南デパートに勤めていると言ってたけど、あんなこと、どうせ嘘っぱちだろう。でも待てよ、それにしてはあの女デパートのことについて、いろいろ詳しく話していた。

とすると、今はもういないとしても、以前に勤めたことがあるのかもしれない。それとも、そこに知り合いがいるとか。ものは試し、無駄かもしれないけど、一度行ってみようか。

そうだ、そうしてみよう。なにしろあの悔しさを晴らすためだ。これきしのことで諦めるわけにはいかないのだ。

川風に吹かれて、少しだけ気を取り戻した亮介は、辺りの鮮やかなネオンサインを川面に映してゆったりと流れる淀川に背を向けると、また大通りの方へと歩いて行った。

 それにしてもあの女、いい女だったなあ。少なくともあの朝までは。

 駅に向かって歩きながら、亮介は、またあの夜のことを思い出していた。

 とびきり美人とは言えないが、あれほど男好きのする顔の女も珍しい。それに、やや甘え口調のしっとりとしたあの声、しかもああいう場所では珍しいあの行動。あれだと、自分に限らず男だったら誰だって信じ込むに違いない。

 すでに十一時をまわっているというのに、北の繁華街から川ひとつ隔てただけの、この十三の盛り場には人影は多く、まだかなりの賑わいを見せている。

それもそうだろう。六月の終わりと言えば、官公庁や大手企業ではすでに夏のボーナスが支給されていて、みな懐が暖かいのだ。 「ボーナスか、あーあ、あの三十八万円があったらなあ」

 大通りを右折して阪急電車の駅が目の前に見えてきた所で、亮介はそうつぶやくと、また大きなため息をついた。



『ナイトボーイの愉楽』  (オール読物新人賞1次予選通過作品)

いつもなら道夫は梅田のガード下でバスを降りて、そこから職場のある中島まで歩いて行く。でもその夜は阪神百貨店の前で南へ向かう路面電車に乗ることにした。

 始業まであと十二~三分しかなく、歩いてではとうてい間に合わないと思ったからだ。

 商都大阪にもその頃ではまだトロリーバスとかチンチン電車が走っており、今と比べて高層ビルもうんと少なく、街にはまだいくばくかの、のどけさが残っていた。

 これは道夫がちょうど二十になった時の昭和三十七年頃の話である。

 電車は時々ギイギイと車輪をきしませながら夜の街を随分ゆっくりと走っているようであったが、それでも五分足らずで大江橋の停留所へ着いており、歩くより三倍位は速かった。

電車を降りて、暗いオフィス街を少し北に戻って最初の角を右に曲がると二つ目のビルに地下ガレージ用の通路があって、それを通るとNホテルの社員通用口には近道だ。

 始業まであと三分しかない。ロッカールームで制服に着替える時間を考えると、どのみち間に合わないとは思ったものの、この際たとえ一分でもと、そのガレージの斜面を小走りに下って行った。

そのせいか、タイムカードに打たれて時間は九時五十九分であやうくセーフ。でも地下二階のロッカールームで制服に着替えて職場のある一階ロビーまで上がって来た時は、十時を七分も過ぎていて

ちょうど昼間のボーイとの引継ぎを終え、まるで高校野球の試合開始前の挨拶よろしく、向かい合った二組のボーイ達が背を丸めて挨拶している時だった。

 まずいなこりゃあ 引継ぎにも間に合わなくて。今月はこれで三度目か。リーダーの森下さん怒るだろうな。 道夫はそう思ってびくびくしながら森下が向かったフロアの隅にあるクロークの方へ急いだ。

 森下はクロークの棚に向かって、その日預かったままになっている荷物をチェックしていた。

 「浜田です。すみません、また遅刻して」 道夫は森下の背後からおそるおそる切り出した」

 「浜田か。おまえ今日で何度目か分かっているのだろうな」

 「はい。確か三度目だと思いますが」

 「そうか。じゃあこれもわかっているだろうな。約束どおり明朝から一週間の新聞くばり」

 「ええ、でも一週間もですか? そりゃあちょっと」

 「この場になってつべこべ言わないの。約束なのだから」

 道夫はつい一週間前も二日連続で遅刻して、罰として三日間、朝の新聞くばりをさせられたばかりだ。

そしてもし今月もう一回遅刻したら翌朝から一週間それをやらせると、この森下に言われていたのだ。

 あーあ、また一週間新聞くばりか。 想像するだけで気持ちがめいり、そう呟くと森下の背後でおおきなため息をついた。



下津さんの失敗ナイトボーイの愉楽(part2)  

浜田道夫が二十一歳になったその年の七月は何年に一度かというような、すこぶる涼しい夏で、月の終りになっても熱帯夜だとかいう、あのむせかえるような寝苦しい夜はまだ一度もやってきていなかった。

 もっとも週のうち六日間を快適な全館冷房のホテルで過ごす道夫にとっては、その熱帯夜とかもさして気になる代物でもなかったのだが。

 とにかく涼しい夏で、巷ではビアガーデンの客入りがさっぱりだと囁かれていた。

 そんな夏のある夜のこと、道夫は例のごとくまたエレベーター当番にあたっていて、切れ目なくやってくる客を乗せては、せわしげにフロアを上下していた。

 あと十分もすればその当番も終りになる十一時少し前になって、それまで間断なく続いていた客足がやっと途切れ、ロビーに立ってホッと一息ついた。

 エレベーター前から広いロビーを見渡すと、人影はもうまばらでフロント係がボーイを呼ぶチーンというベルの音だけがやけに周りに響きわたっていた。

 十一時か、チェックインあとどれぐらい残っているんだろう。今夜はしょっぱなからエレベーター当番で、まだ一度もあたっていないんだ。

十二時まであと一時間の勝負か。たっぷりチップをはずんでくれるいい客に当たるといいんだけど 

所在なさそうにロビーを見渡しながら胸の中でそうつぶやいた。

 二~三度連続して気前のいい新婚客にでも当たらないかなあ。

 またそんな虫のいいことを考えながらさらに二回エレベーターを上下させ、一階に下りてきたときは十一時を三分ほどまわっていた。

待っているはずの次の当番、下津の姿はまだなかった。

 「チェッ、下津さんまだ来てない。二~三分前に来て待っているのが普通なのにほんとにあの人はルーズなんだから、来たら文句のひとことふたこと言ってやらなければ」



 『直線コースは長かった』

桜も散り青葉が目にしみる五月に入ったばかりの月曜日のその日、
外には爽やかでこの上なく心地よい春風がふいているというのに、久夫は退社時の夕方になっても、まだむしゃくしゃした気分をもてあましていた。
   
「ちくしょう、あのパンチパーマの野郎め!」

事務所を出て、いつものように駅前のバス停に向かって歩きながらまたこみ上げてくる新たな悔しさから、腹の底から呻くような声でそう呟いた。

ついこの前までは丸裸だった歩道のイチョウの木には、いつの間にかまた青々とした葉が生い茂っており、いつもなら延々とつづくそのイチョウの並木を感慨深く眺めて歩く久夫だが、その日だけはそれもとんと目に入らなかった。

 それにしてもうまく引っ掛かったもんだ。どうだろう、あの見事な騙されぐあいは、いったいあんなことってあるのだろうか?

バス停へ向かう道を半分くらいあるいたところで、昨日の競馬場での出来事をまた苦々しく思い出していた。

その日曜日も空は澄みわたっており、風は爽やかだった。

駅前から北へ向かい、街並みが少しだけとぎれて、自衛隊の駐屯所があり、そのちょっと手前に競馬場はある。

久夫がそこへ着いたのは昼少し前で、ちょうど場内アナウンスが第二レースの発走まであと五分だと伝えていたときだった。

去年本社のある大阪からこの町の支店に赴任してきて、ここへ足を運ぶのは二度目のことだった。

久夫は競馬にかぎらずギャンブルはあまり好きなほうではない。

それなのに日曜日のこの日、昼前からここへやってきたのは、朝起きてベランダへ出たとき、空があまりにも青く澄みわたっており、吹く風がこの上なく爽やかだったからだ。

つまり、心地よい春の風に誘われてというわけなのだ。

でも、正直いうとそれだけが理由ではない。

三ヶ月ほど前、職場の同僚に誘われて、さして気の進まないままここへやってきて、よくわからないまま当てずっぽうで買った第七レースの穴馬券が見事的中して、千円券一枚が九万四千円にもなったのだ。

その後のレースで一万円ほど負けたが、その日の儲けは八万円以上あった。

空の青さと風の爽やかさに誘われてやってきたと言えば聞こえはいいが、実のところ、あの日の甘い汁の味も忘れられなかったからなのだ。



『紳士と編集長』

 その初老の紳士が話しかけてきたのは、僕が駅前バス停前の、地下街入り口のコンクリートの囲いにもたれて、その月発刊されたばかりの雑誌の目次に目を通している時だった。

おおかたの月刊雑誌と同じサイズでA5版のその雑誌は、厚みこそ週刊誌並ではあったが、〈リベーラ〉という名前にどことなく知的な雰囲気を漂わせていて、目次を読む段階ですでに僕をすっかり魅了していた。

「あのすいませんが」

その紳士はセリフこそ月並みであったが、すこぶるトーンのいい上品な声でそう話しかけながら僕のすぐ横に立っていた。

「はい。なんでしょうか」

クリーム色の薄手のスーツを粋に着こなしたその身なりのいい紳士にチラッと目をやって、わずかな警戒心を抱きながら、僕もまた月並みの返事をした。

「今お読みのその雑誌、今月発刊されたばかりのリベーラですね」

「ええそうですが、それがどうか」

警戒心は少ないものの、見ず知らずの人からの思わぬ質問に、やや当惑気味にそう答え、あらためてその紳士に視線を送った。

六十を少し超えているだろうか、頭髪はほば半分くらい白く染まっているが、黒とまだらになったその髪が妙に顔立ちとあっていて、それがこの人の風貌をより魅力的に見せていた。

「いかがですかその雑誌。おもしろいですか?」

さっきより少し表情をくずして紳士がまた聞いた。

「ええまあ。中身はこれからですが目次を読んだかぎりではなかなかおもしろそうですね。それにこの表紙とか装丁とかもこれまでのものにないユニークさもっていて」

何者かはわからなかったが、そこはかとなく上品さを漂わせているその紳士に、僕はもうすっかり警戒心を解いていて、思ったまま正直に感想を述べていた。




2017年12月1日金曜日

出版業界の知られざる現実 ・ ビジネス書の10冊のうち9冊はゴーストライターが書いている


人気ビジネス書200冊のうち著者本人が書いたものはたったの20冊?

下にある○印のついたタイトルは、最近東洋経済オンラインに掲載された記事です。

でも今回はこの記事の内容を紹介するものではありません。

実は驚くべきことですが、こうしたビジネス書のうち90%は著者本人ではなく、ゴーストライターと呼ばれる無名の作者によって書かれているというのです。

これが事実だとすれば、この記事で取り上げられた200冊の本のうち、著者自身が書いたものはわずか20冊でしかないということになります。

信じられないようなことですが、これは事実なのです。

この恐るべき事実について、さらに詳しく知りたい方は、青弓社が出版した

ビジネス書の9割はゴーストライター(吉田典史著)

という本を読んでみてください。

この本にはビジネス書とゴーストライターをめぐる様々な事情が余すことなく書かれています。


アマゾン「ビジネス・経済書ランキング(東洋経済オンライン)201711/21


あの本もこの本もゴーストライターの手で世に出されている

現在日本で発行されているビジネス書は年間5000点以上に達しています。

つまり1年間にタイトルの異なる5000種類ものビジネス書が発行されているのです。

でもここで言いたいことは発行点数ではありません。

問題にしたいのは5000点のうち、9割にも及ぶ4500点が、著者本人ではなくゴーストライターによって書かれているという恐るべき事実です。

まさに「あの本もこの本もゴーストライターが書いている」と言っても良いような状態なのです。

言い換えれば今の出版界ではゴーストライターなしではビジネス書を世に出すことができないのです。


名前が有名なら、たとえ本が書けなくても著者になれる

でもなぜ9割ものビジネス書がゴーストライターによって書かれているのでしょうか。

これは誰もが抱くもっともな疑問です。

この疑問に一言で答えるとすれれば、それは本を執筆できる人が少ないからです。

ビジネス書は出版社の経営方針にそって計画的に出されています。

まず年間の売り上げ目標あり、それに沿って発行点数が決められます。

その後本のテーマが考えられ、それに合う著者が選択されます。

この場合、著者はなるべくよく知られたネームバリューのある人が選ばれます。

その方が本を販売するのに有利だからです。

なお著者として選ぶ人が、本が書けるかどうかは問題にしません。

なぜなら書けなければコースとライターが執筆するという前提があるからです。

かくして、特定の分野で名前が売れてさえいれば、たとえ本が書けなくても、簡単にビジネス書の著者になることが可能になるのです。


本を書かない人が著者になっても良いのか?

上で述べたように書く力がない人でもビジネス書の著者になれます。

こういうと、何も書いていない人が著者になるのはおかしいではないか、と誰もが思います。

これはもっともなことで、そう思うのが普通の人間です。

でも出版界では長い間こんなおかしなことがまかり通っているのです。

つまり何も書かない人が著者になることが、おかしなことではなく常識になっているのです。

要するにこのことに関しては出版界の常識は世間の非常識なのです。

かくして「ビジネス書の9割はゴーストライター」という構図が成立するのです。


出版されるビジネス書の9割は何も書かない著者によって

ビジネス書は1日に50冊売れれば採算ペースに乗る、と言われています。

スタート時から1日に50冊づつ売れれば、合計3万冊~5万冊の販売ラインに到達でき採算ぺースに乗せることができるのです。

そのために大事なのが出版する本の企画と著者選びです。

企画には「紀伊国屋パブライン」と呼ばれるビジネス書の売れ筋商品と、個々の売れ行きデータが載っている便利なツールなどを利用します。

著者選びでは前述したように、その分野で実績と知名度がありさえすれば、書く能力は問いません。

大事なのは本の販売につながる著者の知名度と人気です。

こうした観点で著者を選ぶからこそ、経営計画から算出した出版予定点数の数だけ人数をそろえることができるのです。

つまり書くのはゴーストライター頼み、だからこそ成し得ることなのです。



参考文献 : ビジネス書の9割はゴーストライター  吉田典史著  青弓社