2018年1月21日日曜日

今は懐かしい ・ 大阪万博(EXPO’70)開催時の職場日誌



大阪万博が再び計画されているが


いま大阪では、再び万博を開催しようと、開催予定の2025年に向けて誘致運動に力が注がれているようです。

早いもので、1970年の大阪万博から、はや半世紀近く経ちます。

今日ご紹介するのは、万博当時、VIPの宿泊先になった会場から遠くない大阪市内のホテルで勤務していた頃の懐かしい記録です。

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1970年3月・わたしの職場日誌


× ×日)

EXPO開幕まであと数日、まわりの空気がにわかに慌ただしくなってきた。

各国のパビリオン関係者もこのところ最後の追い込みに懸命のようだ。

コロンビアから来たロドリゲス氏もその一人。疲れ切った顔で深夜2時ごろ帰ってきた。

聞くところによると、彼の国は万博がオープンして、すぐに最初のナショナルデイをやるということで、政府代表の彼はその準備に日夜謀殺されているそうだ。

「お疲れのようですね」

「いや、まったく疲れた。このところ毎日こんな時間になるのだよ」

やや不機嫌そうな表情で、そう言いながら鍵を受け取るとそそくさと自分の部屋へ向かっていった。

ふと数か月前の、このホテルのopen直前のことを思い出した。

ああ、あの時の我々の状態と同じなんだな。さぞきついでしょう。えらいでしょう。

でもロドリゲスさん、お国のためです。しんどいでしょうが頑張ってください。

Good night. Have a nice sleep


××日)

万博第一日目。夜も更けつつある10時半ごろ、急に辺りがガヤガヤと騒々しく
なった。

オヤッ、お帰りだな。それにしてもこんな時間にゾロゾロと。

ああそうだ。万博は9時半にcloseするのだ。それからホテルへ帰ると、そうか、これでいいのだ。

それにしてもこのラッシュは凄い。前から横から、ひっきりなしに自分のルームナンバーを叫ぶ声が乱れ飛ぶ。

これから当分の間、この時間帯はこうなのだな、と思うと、いささかげんなりする。

客の波が少し途絶えたころ、アメリカ人らしい一人に万博第一日目の様子を訊いてみた。

「どうでしたか、今日のエキスポは?」

「ベリーグッド、ファンタスティック!」

「ああそうですか」

こちらはどれくらい入ったかを訊くつもりだったのだが、いささか拍子抜けの返事、質問の表現が悪かったのだ。

でも帰ってくる人の顔はみな満足気だ。この様子だと、まず初日の万博は順調だったらしい。

それにしても今日は良く客が入ったものだ。

手元に残っている客室はわずか10室余りしかない。

さあ今日のアーニング(売上報告書)の結果が楽しみだ。


××日)

22階の特別室、インペリアルスイートに今日から5日間の予定でクウェートの石油王S氏夫妻の予約が入っている。

このホテルが誇る1泊20万円(現在の!貨幣価値では80~100万円ぐらい)の部屋に5泊も予約があるということは、なんとも嬉しいことだ。

しかも泊まる人がクウェートの石油王とくる。

聞くところによると、この夫婦は万博見物のために飛行機を一機チャーターしてやってきたそうである。

まったく豪華な話ではないか。

さあ天下のお金持ち、S氏夫婦をわれわれスタッフ全員で迎えよう。


××日)

万博が始まって1週間過ぎた。思わぬキャンセルなどがあって、やや空室が出る日もあるが、客室売り上げ状況はまずまず順調である。

それにしても寒い毎日で、3月も終わりというのに、このところ千里丘陵には雪のちらつく日がやたら多い。

これでは暖かい国から来た人には気の毒だ。

チリ―からきたFさんは、ジャパンは毎日chilly(チリ―)だと洒落ている。

そんなに寒いのならちり鍋でもつついたら、とやり返したが、これは通じない。

この人たちのためにも、早く暖かくなってほしいものだ。


××日)

3月も余すところ数日となって、このところ気温も急上昇して、やっと春らしくなってきた。

今日から万博にちなんだ国際映画祭の開幕だ。

世界各刻の映画関係者の予約がワンサと入っている。

そう言えばつい先ほど、世紀の大女優クラウディア・カルディナーレもチェックインしたようだ。

きれいだ。それになんといっても大女優としての貫禄と風格がある。

ああ、EXPOはまだ開幕したばかりだ。180日の大ロングランでまだまだ先は長い。

10階もの夜勤に、はたして身体は耐えうるだろうか。

せいぜい摂生してスタミナ保存に努めなければ。

2018年1月17日水曜日

アラフォーパラサイトシングル300万人の衝撃! ・ アラフォー3人に1人が生涯独身に


パラサイトシングルはよくできた言葉


30代~40代の、いっぱしの年齢になっても、いつまでも自立せず親と同居している独身者のことをパラサイトシングルとは上手く言ったものです。

これは寄生という意味のパラサイトに独身を表すシングルをくっつけたもので、中央大学教授の山田昌弘氏が命名したものです。

造語としても優れている上に、言葉としても時代を反映したみごとな新語と言えます。

インスタ映えとか忖度などのつまらない言葉に流行語大賞を与えるなら、この素晴らしい言葉に造語大賞?でも与えた方がどれほどましでしょうか。

前置きはこの程度にして本論に入ります。

今回のタイトルになっている「アラフォーパラサイトシングル300万人の衝撃・アラフォー3人に1人が生涯独身に」ですが

これは上述の山田氏の最近の著書「底辺の競争」のテーマをもとに付けたものです。

「アラフォーパラサイト300万人」が意味することとは?


山田氏の最近の著書「底辺への競争」によりますと、35歳~44歳の、いわゆるアラフォーと言われる層で親と同居している独身者は300万人に達しています。

これは現在の日本の人口から考えると約40人に1人に当たります。また同世代に占める割合は6分の1になります。

この数が多いかどうかピンと来ない方は過去の数字と比較してみると良いでしょう。

たとえば今から約40年前の1980年には、この世代の親との同居者は同世代の2.2%でしかありませんでした。

それが2012年には16.1%305万人まで急増したのです。

3人に1人のアラフォーが生涯独身に


今回のターゲットになっているのは35~45歳の層ですが、10年後にはこの人たちは45~54歳のアラフィフに達します。

このことは大きな問題を秘めています。なぜなら生涯独身に大いに関係あるからです。

その理由は、生涯独身者の数の予測は、50歳の人を元に測られるからです。

50歳時における独身者の数に一定の率を掛けたものが生涯独身者の予測数になるのです。

つまりアラフォーの独身者の数から、50歳時の独身者が測定され、さらなる計算の結果「3人に一人が生涯独身」という最終的な答えが導き出されるのです。

アラフィフの同窓会が恰好の婚活の場に?


しかしアラフィフの3人に一人が生涯独身というのは驚くべき数字ではありませんか。

これだと「アラフィフに石を投げれば独身者に当たる」とジョークが言えるほどです。

こう書いていてふと思いついたのですが、例えばこの層の同窓会を開いたらどうでしょう。

仮に出席者がを30名だとすると、その内10名が独身者ということになります。

これは考えようによっては絶好の婚活の場になるのではないでしょうか。

もしうまくいって最高の結果が得られたとすると、一挙に5組?ものカップルが成立することになるのですから・・・







2018年1月15日月曜日

知性的(知的)とは?・どうしたら知的なルックスになれるのか


「かっこいい」より「知的」と言われたい


誉め言葉で好きなものを一つ上げよ、と言われたら、躊躇なく真っ先に挙げるのは「知的」という言葉です。

知的、つまり賢そうとか、頭が良さそう、ということです。

誉め言葉の代表的なものに「カッコいい」があります。でも個人的には高齢者に分類される今となっては「かっこいい」と言われることなど期待していません。

というか、そんな言葉とは、とっくに無縁になっている、と言った方が良いかもしれません。

ところが、こと「知的」に関しては、無縁どころか、いまだに強い執着があります。要するに人にそう思われ、そう呼ばれたい気持ちが強いのです。

外見で望むのはカッコよさより知性的



若いころは誰でもカッコよさに憧れるものです。つまり映画スターのような外見の良いルックスに魅力を感じ、あんなふうになりたいと憧れるのです。

したがってこの頃は外見をよくするために服装やアクセサリー、あるいは化粧に気を使い、そのためにお金を消費することが多くなります。

それだけではおさまらず、中には大金を使って、容姿をよくするための整形手術に頼る人もいます。

そうした人たちは自分をカッコよくするためには大金の出費も惜しまないのです。

でも心ある人たちは、歳を取るにしたがって、カッコよさより知性的なルックスを重視し始めます。

つまり、見た目の派手なカッコよさより、渋い知性的な風貌に魅力を感じるようになるのです。こうした思いは年を経るごとに強くなっていきます。

人の顔はどのように形成されるのか



40歳を過ぎたら自分の顔責任を持て」というのは、元アメリカ大統領リンカーンの有名な言葉です。

この言葉は、良くも悪くも、40歳を過ぎた自分の顔は、すべて自分自身が作ったもの、という意味ではないのでしょうか。

つまりそれまでの自分の行いがすべて顔に現れるということを意味しているのです。

もっと平たく言えば、過去の善い行いや、悪い行いはすべて40歳以後の自分の顔に現れる、ということなのです。

この場合の善い行い、悪い行いというのは、行動が知的であったかどうかという点です。

つまり教養を積むための努力を惜しまなかったか、それとも本能に負けて遊興にばかり走ったか、の2点です。この2点が顔の形成に大きな影響を与えるのです。

この場合どちらがどうであるかは言うまでもないでしょう。

本をたくさん読んで勉強に励めば知性的になるか?


上では知的な面での良い行動、悪い行動について書きました。

良い行動については「教養を積むための努力」。悪い行動には「本能に負けて遊びばかりに走る」の2点を挙げています。

でもこれは果たして正しいでしょうか。つまり、教養を積むために努力をすれば知的な顔をつくることができるのでしょうか。

反対に本能に負けて遊びにばかり走れば、バカ面になってしまうのでしょうか。

これについては一概に断定することはできませんが、周りの人をよく観察すれば概ね当たっていると言ってもいいのではないでしょうか。

知的な顔という点では、一般的に教養を積んでいると思われる人たち、たとえば大学教授、医師、弁護士、などに知的な風貌の人が多いのは事実です。

では教養を積むための努力がなぜ知的な風貌を作るのでしょうか。

それは読書にみるように、本を読めば考える習慣が身につきます。書かれていることに対して、なぜ?と反問するからです。

その結果思索することが多くなり、その度重なる経験が知的な風貌の形成に役立つのではないでしょうか。

でもこの問題は単純ではなく、ネットで調べても該当する答えはあまり見つかりません。

2018年1月12日金曜日

売れっ子作家浅田次郎にも苦難の時代があった ・ 貧乏時代の「新年の誓い」とは


今を時めく人気作家の駆け出し時代とは


いつも思うことだが、この作家のエッセイはテーマが興味深く読みごたえがある。

作家の書いたエッセイは、たとえ人気作家と言えども、必ずしも内容が優れているとは限らない。

なぜなら作品を書きすぎてネタ不足に陥り、同じテーマを何度も書くことがあるからだ。

そのよい例は、少し前に取り上げたことがある美人女優を二人も妻にしたことで有名な作家IS氏の作品である。

この作家のエッセイ作品は、テーマに新鮮味が乏しく、つまらない内容の作品が多い。

なぜならエッセイ集だけで50冊以上出しているためネタ不足になっているからだ。

その結果過去に取り上げたことがあるテーマを切り口を変えただけで書いた作品が多い。

その点浅田氏の作品は取り上げたテーマがどれも新鮮で、それだけでも魅力がある。

また文章が美しいだけでなく、内容が示唆に富んでいるので読んで勉強になる。

今回の作品には特に印象に残った部分があったので、それを書き残しておくことにする。

著者には毎年正月にその年の目標を書き留める習慣があるが、33歳の時の昭和59年に新年の誓いとして、エッセイ集「かわいい自分には旅をさせよ」に次のように書いている。

なおこの時代はまだ駆け出しの頃で、年中貧乏生活に明け暮れていた。

作家浅田次郎 ・ 「昭和59年度の目標」


一つ、新人賞をとる
具体的にどこの新人賞をとるかは書いていないが、おそらく群像、すばる、文学界などを目指していたのであろう。
すべて応募したことは間違いないが、もちろん目標は達成されなかった。

一つ、金鵄のもとに(小説のタイトル)を脱稿する
この小説は東部ニューギニア戦を題材にした長編戦記で、真剣に取材もして、資料も集めたが、結局脱稿どころか今日にいたるまで起稿すらしていない。

一つ、毎月30万円ずつ家計に入れる
これは多分実行されたと思う。小説を書くことで家計を圧迫したためしがない。ただし年頭の誓いにこれがあえて付け加えられたのは、それなりにかなりの努力をしたということであろう。

一つ、歯を入れる
これは極めて具体的に当時の当時の暮らしぶりを思い起こさせるが、長いこと歯が欠けていたのである。そんな人相では運など好転しないと分かっていても歯医者に行く金がなかった。

一つ、〇〇に借金を返す
この項目が幾つか続く

一つ、住民票を移動する

一つ、健康保険をもらう

一つ、子どもを幼稚園に入れる

※買いたいもの

ジューサー、ホットプレート、本箱、整理ダンス、バイク、電子オルガン、電話、靴

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いかがでしょうか。このようなことをエッセイ集に書き残すこと自体がこの作家のあたたかい人間味のあらわれです。

特に「毎月30万円ずつ家計に入れる」「歯を入れる」「〇〇に借金を返す」などの記述には当時の貧乏生活がにじみ出ています。

また「買いたいもの」の内容を読むと、ほほえましくなり、思わず頬がゆるみます。

今をときめく人気作家の貧乏時代の人間味溢れるこうした記録は、読む人の心を和ませるだけでなく勇気と希望を与えてくれます。






2018年1月10日水曜日

乗り物で高齢者に席を譲るのは慎重に ・ 有難迷惑にならないためにも


電車やバスには高齢者が溢れているが・・・


4人に一人が65歳以上という超高齢化社会の今の日本では、当然のことながら乗り物の中でも高齢者に遭遇することが珍しくありません。

電車やバスなどには、いわゆる優先座席と呼ばれる高齢者や障害者などが優先的に座れる席があります。

たいていは車両の前の方の数席分がそれに充てられていることが多いようです。

しかし今のように高齢者が全体の4分の1に達するほど多ければ、優先座席が数席分では足りません。

これでは高齢者と言えども座れない人も多く出てきて、そうした人たちは座席の前や横に立つことになります。

こうなると座っている人はそうした高齢者に席を譲ろうとします。

たいていの人は目の前で不自由そうに立っている高齢者に知らん顔をして座り続けているほど厚かましくないからです。

目の前の高齢者を見れば、すぐ立ち上がって「どうぞ」と席を譲るのがマナーであると考えているのです。

しかしです。高齢者と見れば何が何でも席を譲ろう、とするのも考えもので、よく相手を観察した上での行動が大切です。

でもいったいなぜでしょうか?

高齢者でも席を譲ってほしくない人もいる


高齢者と言っても体力や健康状態はいろいろです。

乗り物の中の高齢者にも、いかにも足腰が弱そうで歩行がおぼつかないような人も見かけます。

当然ながらこうした人には即座に席を譲るのが賢明です。

しかし若い人となんら変わりがないような軽快な足取りで、見るからに壮健そうな人も珍しくありません。

問題になるのは年齢的な条件だけを考慮して、こうした壮健そうに見える人に席を譲ろうとする場合です。

こうした人たちは高齢者と言えども、まだ席を譲ってもらうほど体力は衰えていない、というプライドを持っており、席を譲ってほしくない、と思っているかもしれないのです。

そんな人に席を譲ろうと、どうぞ、と声を掛けたらどうでしょう。

はたしてその人は有難いと思うでしょうか。

感謝するどころか、むしろ要らぬおせっかい、と有難迷惑の気持ちを抱くのではないでしょうか。

席を譲られるのがイヤなのは老人と断定されることだから


高齢者の中には自分はまだまだ心身ともに壮健であり、日頃から若々しくありたいと思っており、周りから年寄り扱いされたくない、と思っている人は少なくありません。

こんな人が乗り物の中で席を譲られると、内心良い気持ちはしないのです。

何故なら自分ではまだ若いと自負しているからです。

それなのに、どうぞと席を譲られるということは、相手が足腰の弱い高齢者と判断してのことだと思うからです。

つまり、周りの人から世間一般の体力のない高齢者と同じように見られることがイヤなのです。

それがプライドを損ね気分を害することに繋がるのです。

その結果、親切がアダになるのです。

このように、せっかくの親切が有難迷惑にならないためにも、高齢者に席を譲ろうとするときは、相手をよく観察した上での行動が大切なのではないでしょうか。

ブログにこんな記事を書くのも、つい最近わたしがそんな経験をしたからです。

2018年1月8日月曜日

この全集がすごい! ・ 「日本の名随筆」 全200巻 作品社 

随筆は小説の次によく読まれる読み物


わたしたちが日ごろからよく接している読み物と言えば、新聞、雑誌に始まって小説、詩、随筆論説文日記作文などと書けばきりがないほど多岐に及んでいます。

この中で新聞と雑誌を除けば、よく読むのは小説と随筆ではないでしょうか。

インターネット時代の昨今ですが、ネットにもこれら二つのサイトはよく載っています。それをよく表すように作品の数が多いのもこの二つのジャンルです。

この二つのうち小説については数の多さはすぐピンときます。なぜなら思い浮かぶ小説家の数が多いからです。

ところが随筆についてはそうはいきません。なぜなのでしょうか。

これは多分、小説家と違って専門に書く人が少ないからではないでしょうか。

つまり随筆を書く人は小説家の中に多くいて、随筆の専門家が少ないからです。

全集は小説だけと思ってはいけない、随筆だけの全集もある


今でこそエッセイストと呼ばれ、随筆の専門家と思しき人も現れています。

でもどちらかと言えば、まだマイナーな存在で、名前を言われてもパッと作品を思い出すところまではいきません。

とは言え随筆自体がマイナーということではありません。それどころか、今ではエッセイと呼ばれることが多くなって、その作品数は小説を凌いでいるかもしれません。

それゆえにファンも多く、これを読むのを楽しみにしている人たちは小説に負けないぐらい多くいます。

それをよくあらわしているのが、日本の随筆だけを集めた「日本の名随筆」という200巻もの大全集があることです。

これはすごい!『日本の名随筆は」エッセイだけで 全200巻の大全集


なんと執筆者数は延べ2,000余名、総作品数は7,000余編

日本の名随筆は「本巻100で、タイトルは一文字シリーズと呼ばれる「花」」「猫」命」などのようになっています。

また「別巻」100二文字シリーズと呼ばれ「囲碁」「相撲」「珈琲」のようになります。
昭和5710月より毎月1巻ずつ発刊され200か月(168か月)の歳月をかけて、平成116月に全200巻の刊行を完結させました
この全集は1999(平成11)年、第53毎日出版文化省を受賞しています。
各巻およそ250頁。発刊当時の価格は本巻1200円、別巻1600円(税込)でしたが、現在は本体価格1800になっています

一巻づつがバラエティ豊かな作品構成


この全集は1巻が1テーマで、一人の選者によって作品が選ばれています。
200巻ですからバラエティ豊かな200のテーマがあります。以下は本巻53「女」の内容です。

【内容目次】
井上ひさし 男女平等
大庭みな子 海
河野多恵子 平林たい子氏と笑い
小島政二郎 女を見る私の目
小島信夫  女の「論理」というもの
坂口安吾  悪妻論
佐多稲子  女茶わん
佐藤愛子  女一匹痩せ我慢の記
芝木好子  女
寿岳章子  さまざまの女の語り口
白洲正子  夢に生きる女 小野小町
竹西寛子  女の文学
立松和平  子供をぺろりと産む女
田辺聖子  女のシングルライフ
津島佑子  女ともだち有用論
津村節子  幻の縞を織る織女
富岡多惠子 女の競合
中里恒子  往復書簡
林芙美子  愛情
樋口一葉  棹のしづく()古井由吉  ここで会ったが
水上勉   堀川の女
宮迫千鶴  “傷ついた馬”のための短い文章-オキーフからローランサンへ-
室生犀星  えもいはれざる人々
森禮子   女たちのまつり
森崎和江  女の無言をことばにしたい
矢川澄子  花と女と
安岡章太郎 女性恐怖
山川菊栄  一代女さまざま
與謝野晶子 女 [巻頭詩]吉田健一  女
吉行淳之介 女性蔑視