2019年3月29日金曜日

夏目漱石と岩波書店看板のおはなし

 
出版界名門企業の看板は文豪の手によって
 
出版社名門である岩波書店は1914年(大正3年)創業の、わが国屈指の老舗企業です。
 
出版界の雄にふさわしく創業時に造られた看板は文豪夏目漱石の手によるものであることは知る人ぞ知るところです。
 
でもこの看板は決してスムーズに完成したものでないことについては人々にはあまり知られていません。看板が出来上がるまでには創業者岩波茂雄の並々ならぬ苦労があったのです。
 
 
 
看板完成までには紆余曲折があった
 
この看板は最初、岩波の友人であった安倍能成を通じて製作の依頼が夏目漱石に持ち込まれました。
 
世に流れている定説では、話はスムーズに進み漱石は快諾し書を書いてくれ、その文字が岩波の額になった、ということになっています。
 
でもこの説は、その後夏目漱石の長男である純一氏が語ったこととは大いに異なっているのです。純一氏の話のよれば・・・
 
 
漱石の長男純一氏が語る岩波書店看板の真実
 
『頼まれた看板の文字を書き始めた漱石だが、文字はなかなか書きあがらなかった。いろいろ書いてみたものの、おやじの気に入った字はかけない、それで渡さないままで暫くすぎたんだね。
 
せっかちな岩波茂雄は待ちきれず漱石山房へちょこちょこ顔を出して書きあがるのを待っていたが天下の文豪に催促することはできない。
 
それで、おやじが気に入った字が書けなくて渡せない理由を知らばこそ、しびれを切らして、ある日、漱石山房を訪ねると「岩波書店」と大書した書き損ないの紙が、書斎に何枚も散らばっているのを見ると、おやじがちょっと席をはずしたすき隙に無断で、その何枚かを懐に入れてしまったんだね。
 
おやじは気に入った文字以外には署名をせず、反故は焼いてしまう習慣があった・・・」
 
その後岩波はあたふたと書き損ないの文字を持ち帰り「岩はこの字」「波はこれにしよう」と気に入った字を選んで、切り張りしてしまった。
 
49歳で死去にした漱石より40年も長生きした純一は、岩波書店のそ看板のいわれを、いかにも愉快に語った上で、次のように決定的な証拠を明らかにしてくれた。
 
『岩波書店の看板に、おやじの署名も捺印もなく、よく見ると不揃いなのは切り張りのせいだよ』
 
 
(参考資料と引用)
「出版界おもしろ豆辞典」 塩澤実信著  北辰堂出版

2019年3月25日月曜日

本はタイトルが大事というが、文豪・漱石は題名にこだわらなかった?

 
大事なタイトルだが小説は例外かもしれない
 
「本はタイトルで売る」というキャッチフレーズがあるように、確かにハウツー本やノンフィクションはタイトルが大事で、これの良し悪しが売り上げに直結することも珍しくない。
 
しかし小説もそうなのかといえば、必ずしもそうはいえない。なぜなら小説はストリーが重視され評価されることが多いからである。
 
つまりストーリーが面白いかどうかが売り上げを伸ばす大きな要因になるのだ。それゆえにタイトルにはそれほどこだわらなくていいのかもしれない
 
それをあらわす良い例文豪夏目漱石だが、彼は作品のタイトルにはいたって無頓着だったということだ。
 
 
漱石はタイトルをこうして付けた
 
明治4「年(1912年)の元日から朝日新聞に掲載された『彼岸過迄』の初回に、漱石はこう記している。
 
「彼岸過迄」といふのは元日から始めて、彼岸過迄書く豫定だから單にそう名づけた迄に過ぎない實は空しい標題である
 
これは驚きである。名作が多い漱石が、こんなにイージーな方法でタイトルをつけたとは信じ難いことである。
 
もしこれが事実だとすると、書き終わるのがお盆近くだったら、タイトルは「お盆過ぎまで」で、年末なら「正月前まで」というふうになっていた可能性もある。
 
 
漱石の本はシンプルなタイトルなのに多くがベストセラー
 
上の「彼岸過迄」に見るように、漱石の作品は全般的にタイトルはいたってシンプルだ。
 
「吾輩は猫である」のほかは、どれも次数が少ない誰にでもつけられるような単純なものが多い。
 
にもかかわらず作品のことごとくがベストセラーになっている。
 
これでわかるように、こと小説に限っては必ずしもタイトルを重視しなくてもいいのかもしれない。
 
 
(夏目漱石主要作品売上一覧)
 
「こころ」     626万部


「坊っちゃん」  394万部


「三四郎」    282万部


「それから」   225万部


「草枕」      217万部


「門」       161万部


「道草」      95万部
 
「彼岸過迄」   不明
 
 
 
(参考文献)
 
「ただしい編集」 和田文夫、大西美穂共著 英治出版

 
 
 
 
 

2019年3月22日金曜日

日本がどんどん劣化していく


日本人でいることが恥ずかしく思えてくる
 
このところ日本人であることを誇らしく思えないことが多くなってきた。なぜなら国際関係から見たわが国の地位がどんどん下がっているように見えるからだ。
 
最近の例だけみても、日露領土交渉におけるロシア(プーチン)のどんどん態度を変えてくる日本を馬鹿にした態度、韓国が次々とる驚くべき日本軽視の行動。
 
この2国の例だけを見ても、明らかに態度が従来より高圧的になっている。言い換えれば日本がこれまでになく軽視されるようになってきているのだ。
 
人間は正直なもので、相手が弱くなると高圧的に出てくるのは自然の理だ。要は日本の力がだんだん弱くなっているからに違いない。
 
 
なぜこれほどランキングが低いのか
 
しかしこのところ出てくる国際的なランキングは日本人にとって目を覆いたくなるようなものばかりだ。ランキングが低すぎて見るのが忍びないのだ。
 
たとえばごく最近出た「賃金上昇率国際比較」。なんと先進国でわが国だけがマイナスを記録しているのだ。それに比べ韓国はダントツトップ。これではなめられても仕方ないかも。
 
続いてつい先日発表された「世界幸福度ランキング」
 
· 2015  46
· 2016  53
· 2017  51
· 2018  54
· 2019  58
 
なんとここでは、多くの人々が「まさかこんなに低いとは思わなかった」というほどの58位という驚くほど低位に沈んでいるのである。
 
しかも2015年の46位から年毎に順位を下げており、おまけに韓国にさえ負けているではないか。
 
これは嘆かわしいだけでなく実に恥ずかしいことである。日本人はこの現実にストレートに目を向け、真摯な態度で改善に努めなければいけない。
 

2019年3月17日日曜日

英語学習者に朗報!近い将来英語からthやrなどの発音が消えるかも?



日本人はいつまでたっても英語のthや rの発音ができない

私たち日本人の英語学習にはいろいろな困難が伴いますが、その中で最も苦労を強いられるのは発音ではないでしょうか。
 
中でもthr などの発音の習得は容易なことではありません。



thをサ行で発音してもネイティブには通用しない

日本人の英語学習者にとって、いつまでたっても克服できないのは発音です。
 
中でも最も苦戦しているのが、thではないでしょうか。例えばsink(沈む)のsと、thinkのthの発音は大違いなのですが、日本人のほとんどはどちらも同じように(シ)と発音してしまうのです。

sinkはそれでいいのですがthinkはそれでは通用しないのです。
 
 


thの発音に苦労しているのは日本人だけでない

rやlはともかく、thについては発音で苦戦しているのは日本人だけではありません。実はthの発音は世界の言語の中でも極めて珍しいもので、各国の英語学習者の悩みの種になっているのです。
 
例えばインドです。インド人はthがうまく発音できないため、かわりにt音に変えて発音します。
 
したがって多くの人がthank you(ありがとう)をタンキュウと発音しています。
 
インドだけではありません。お隣韓国には濁音という概念がなく、例えばHe is my brother(彼は兄弟です)をヒーイスマイプラッターと発音する人も珍しくないのです。

また驚くべきは英語圏真っ只中のロンドンの下町で話される英語コックニーではwithが「ウィフ」、fatherが「ファーヴァー」に近い発音に変化しているのです。
 
要するに英語を母国語祖する国でさえ難しいthの発音を敬遠する傾向が出ているのです。
 
余談になりますが、日本で昨年から大ブレークしているダンスグルーブ「DA PUMP」のDAもこうした発音法の一つの現れなのです。



thの発音が地球上から消えてなくなる日は遠くない

このように世界中の人を悩ませている英語のthは上の例のように、次第に発音に代替されつつあります。これは英語学習の障壁を取り除くために今世界中で起きている現象です。
 
今後もこうした動きは続くと予想されており、これから50年以内に地球上からthの発音が消滅するという予想もあります。これは日本の英語学習者にとってはこの上ない朗報ではありません。



(出典)「数字の科学31、thの発音が消滅する年?」文芸春秋2019年3月号



2019年3月12日火曜日

この本がユニークだ ・ 堀江貴文VS鮨職人 鮨屋に修行は必要か?


   
鮨職人をはじめ《○○職人になるには○○年の修行が必要》という説はすべて怪しい

かねがね思っているのですが、封建的な一部の職人の世界ではよく「この世界で一人前になるには○○年の修業が必要」などということが堂々と公言されています。
 
これを聞くたびに首をひねりたくなるのは決して私だけではないでしょう。
 
今回のタイトルである「鮨職人に修行は必要か」に対しても、堀江貴文氏同様に、はっきりノーと言えます。
 
考えてもみてください。手ですし飯を握り、それに寿司ネタを載せるだけの作業にどうして○○年もかかるというのですか。
 
いまどき『飯炊き3年、握り8年』などというのはまったくナンセンスです。
 
本気でこんなことを言っているのであれば鮨職人の馬鹿さかげんと無能を証明しているだけのことです。
 
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ホリエモンの言ってることは正しい
HONZの書評はこう言っている

ホリエモンこと堀江貴文氏が、ツイッターで、寿司職人になるために何年も修業するのはバカだと発言して炎上したのが、今から3年前のことである。
ホリエモンは、201412月の「ホリエモンチャンネル」の中で、寿司職人になるには10年くらいかかると言われてきたが、今や半年でプロを育成する専門学校もあり、長い修業が必要なのは「1年間ずっと皿洗いをしていろ」などと言って寿司を教えなかったからだと語った。
これに対して、20154月の「求人@飲食店.COM」の記事が、「寿司は日本の伝統食であり、美食の象徴でもあります。やはり一流を目指すとなると、現在第一線で活躍する巨匠たちの辿ってきた道、つまり『飯炊き3年、握り8年』を実践するのが一番確かな道です」と反論した。
ホリエモンは、201510月のツイッターで再反論して、「バカなブログだな。今時、イケてる寿司屋はそんな悠長な修行しねーよ。センスの方が大事」とつぶやき、フォロアーから、シャリを握るのもご飯を炊く時の水分調節もそう簡単ではないと意見されると、「そんな事覚えんのに何年もかかる奴が馬鹿って事だよボケ」と返し、巷にはびこる「下積み原理主義者」を痛烈に批判した。
確かに、3年前はまだ昔ながらの修業の是非について賛否両論あったが、この間に寿司を巡る環境は大きく変化した。特に東京で高級店の数が激増し、一人3万円以上する寿司屋の予約が数年先まで埋まっている状況だ。
寿司職人を取り巻く状況も大きく変わっている。SNSを使うことが当たり前になり、FacebookInstagramで自分の仕事をリアルタイムに発信し、逆に、今まで知らなかった素材や技術、店や職人を知ることができ、料理人同士、産地、メディアとの様々なつながりが生まれ、情報交換することが可能になった。
本書に登場する7人の寿司職人たちは、皆30-40歳代の若手で、何年も修業をしてやっと上にあがれた前世代の先輩たちにしごかれた最後の世代である。今はもう、無意味なしごきをすると、若者は直ぐに辞めてしまうという事実に、ようやく気付いた新しい世代でもある。
今は、成功しているお店は、どこも現場の雰囲気が良く、スタッフをいじめるなどということはあり得ない。楽しくやった方が確実にうまくいき、新しいアイデアも生まれるし、結果的に上質な客がつくことになる。
最近、東京は寿司バブルだなどと言われるが、ホリエモンに言わせれば、まだまだ全然で、寿司屋が儲かるのはこれからが本番なのだそうだ。なぜかと言えば、伸びしろ部分のメインターゲットはインバウンド(訪日旅行客)だからなのである。
今、世界中の富裕層やフーディ(食通)に「ホンモノの鮨を食べたい」という欲求が広まっている。彼らはひと晩何十万円もする夕食のために、わざわざ日本までやってくるような人々である。グローバル化が進んだ今日、これからは寿司も日本の1億人だけでなく、世界の70億人をターゲットに仕事をする時代になったのである。
以前、本当の日本文化を海外に向けて発信するために、日英対訳の寿司の本を出そうと考えていた時期があった。今はもう絶版になってしまったが、『江戸前にぎりこだわり日記―鮨職人の系譜』という、華屋与兵衛から始まる江戸前寿司職人の系譜が事細かに書かれた本があり、これに感動して有名店を一店ずつ食べ歩いたのがきっかけである。
ただ、その企画を進めるうちに、寿司というのが静態的な伝統文化ではなく、もっと新しくて動態的なものなのだということに気づいて、これをある一時点で切り取ってみても、寿司の本質は言い表せないと感じてやめてしまった。
2016年に、日本で『SUSHI POLICE』というテレビアニメが作られた。これは、農林水産省が計画した「海外日本食レストラン認証制度」が、海外から「スシポリスが日本からやってくる」と批判され、取りやめになった出来事から着想を得たものである。余り大袈裟に日本の伝統文化としての寿司の本を作っても、これと同じになってしまうなと思ったのである。
本書に登場する7つの寿司店は、残念ながらどこも行ったことがない。自分が通ってきた寿司店の、更に一世代若い職人たちなのである。そういう意味でも、寿司店の入れ替わりのスピードの速さには驚かされる。
もう完全に一流店としての名声を確立しているが、今、個人的に素晴らしいと思うのは、金沢の「小松弥助」と東京の「鮨さいとう」である。技やネタが最高なのは言うまでもないが、ご主人のキャラクターや話ぶりや接客が素晴らしい。一言で言えば、店にいて楽しいのである。
「西の弥助、東の次郎」と評される「小松弥助」の森田一夫氏は、すでに80歳代後半の高齢で、「すきやばし次郎」の小野二郎氏と同じくレジェンドの域に達しているが、腕が確かなだけでなく、話が天才的にうまい。カウンター越しにこちらの話をよく聞いていて、絶妙なタイミングで会話を振ってくる。まるで落語の名人のようで、とても心地良い時間を楽しむことができる。
「鮨さいとう」の斎藤孝司氏も同様で、ネタをさばく時と握る時の緊張感とは対照的に、とても和やかな会話を楽しめる。今はまだ40歳代後半に差し掛かったところだが、かつて「鮨かねさか」で修業した時には、やはり相当厳しかったらしい。今、あのような育て方をしたら誰もついてこないし、むしろ5年修業して芽が出なかったら、他の道を探すようにアドバイスしているそうだ。
「鮨さいとう」は、もはや本当の馴染み客以外の予約は不可能になってしまったが、今でも時々、常連に連れていってもらう。毎月、日本食を目当てに飛んでくるイギリス人の友人がいるのだが、先日、その彼に誘ってもらって貸切の会に参加した。
参加者は、私のほかは、イギリス、香港、インドネシア、ロシア、エストニアという多国籍で、皆、「鮨さいとう」の予約が取れたというだけの理由で世界から集まっていた。斎藤氏も英語は片言だが、コミュニケーションに全く問題はなく、むしろあの勢いで大いに盛り上がり、一緒に二次会まで行ってしまった。
日本酒など他の日本食でも同じだが、食のグローバル化の進展は甚だしく、上述したように、世界の70億人を相手にするのと、日本の1億人だけを相手にするのとでは、見えている世界が全く違うのである。
それでは、ホリエモンが見ている握り寿司の将来というのは、一体どういうものなのだろうか。その答えは、ホリエモンと「鮨青木」の青木利勝氏との、最後の特別対談に出てくる。
ホリエモンに言わせれば、修業で人間力がつくような人は稀で、これは生まれつきのものである可能性が高い。そういう素質のある人が、技術を磨くために動画教材や実地の食べ歩きで学ぶのが最短距離で、更にその先にあるのは、例えば仕込みまでは職人がやってから、演出家や裏方がついて、握りのパフォーマンスとトークを一流の芸人や役者がやるような世界なのだという。
私自身は、今後の寿司のあり方として、ピンチョスがファーストフードから超一流のスペイン料理に進化したように、必ずしも握りにこだわらず、多様な食材や料理を気軽に楽しめる超一流和食に進化していく姿を想像している。
古い価値観と新しい価値観がしばらく並存し、その中から、次世代を見据えた新しい形が立ち上がり、最終的にはよりグローバルで幅広い層に支持されたものが勝ち残っていく。ビジネス同様、いよいよ寿司もそういう世界に突入したようだ。





(出典)HONZ

2019年3月8日金曜日

このヘンなタイトルの本が気になる


本はタイトルで売る

「本はタイトルで売る」という出版社のキャッチコピーを見たことがあります。人が本を買う動機を考えると、なかなか的を得たフレーズではないでしょうか。
 
なぜなら人が「どの本を買おうか」と迷ってとき、内容はともかく、ついタイトルのインパクトが強いものを選んでしまう傾向があるからです。
 
本のタイトルは非常に大切です。それもそうでしょう。人々が本に接して最初に見るのは表紙だからです。いかにせっかちな人でも表紙のタイトル見ずに中身を覗く人はいないでしょう。




タイトルが変な本の草分けともいっていいミリオンセラーとなった『さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 』はそのユニークさに思わず手に取ってみたくなる書名ですが、これを真似てなのかその後 《質問系書名が大量に発生しました。

中には別に質問系にしなくても良いようなテーマまで、無理矢理に質問型にしているようにも見えます。
 
この型のオリジナルが刊行されてから既に十年近く経っているにも関わらず、未だにこれを踏襲した書名が出て続けている状況です。
 
今回は数あるそうして本の中から、よりすぐった5点をご紹介することにしますが。とは言え期待した割には「看板に偽りあり」と思われるような、タイトルと中身が合致しないものもありますので悪しからず。
 
 

ヘンなタイトルの本を5冊ご紹介



軽自動車に乗る人妻はなぜ不倫に走るのか?

内容(「BOOK」データベースより)

人妻・美熟女ブームの火付け役として知られる、カリスマAV監督・溜池ゴローが、20年に渡る経験と出逢った人妻1000人以上のデータを元に明かす真実。なぜ、“普通の”人妻が簡単に不倫にハマるのか?なぜ、“あんな美熟女が”AV出演をOKしたのか?そんな数々の疑問に対する「あっと驚くような答え」と、溜池流「とっておきの人妻交渉術」を一挙公開。



 
 
 
 
 
 
 
 
なぜビニール傘を3本以上持っている人は貧しいのか?

内容(「BOOK」データベースより)

仕事、恋愛、投資に災害対策まですべてに求められる不可欠な能力―予見力。あなたに足りないのは“未来を読む力”だった。70万円の貯金を1年で3億円に増やした著者が明かす、予見力の重要性と今からできる実践的トレーニング法!   



 
 
 
なぜ皇居ランナーの大半が年収700万以上なのか?


内容(「BOOK」データベースより)

2007年に始まった東京マラソン以来、市民ランナーは全国で増え続けている。その数1000万人超。成人の10人に一人は、もう「走る喜び」に出会っているのだ。ダイエットなど身体面だけでなくメンタルにも効果絶大、走る習慣をつける過程で生活からよどみがなくなり、またランニング中のクリアな思考が仕事に新たな発見をもたらす…。なぜランニングが現代人の福音になるかを総合的に解き明かす初の一冊。



 
 
 
 
 
 
なぜグリーン車にはハゲが多いのか?


内容(「BOOK」データベースより)

知能が高い。パイオニア精神旺盛。スポーツマン。芸術的な才能がある。SEXが強い…。薄毛の人たちは、そのマイナスイメージとは裏腹に、卓越した潜在能力を持っている。実は、髪が薄くなる原因は、優秀な男を作り出すホルモンにあった!「ハゲを恥じるな、誇りを持て」―自らも薄毛に悩む医師が推奨するポジティブ・ヘア・ライフ。

             
      

なぜ下級生は廊下を直角に歩くのかのか?

内容紹介

100年企業「タカラヅカ」には日本の組織が学ぶべきすべてがあった! 「男役・娘役」「宝塚魂」「舞台裏」「年功序列」「あいさつ」「ファン」……
本当はすごい、タカラヅカエピソードの数々から、100年もの永きにわたり多くの人に圧倒的な夢を与え続ける「宝塚歌劇団」の秘密が今、明らかに! 執筆は、元タカラジェンヌで企業向けセミナー・研修に活躍する桐生のぼると、舞台芸術愛好家で国際機関に奉じる福井龍(解説)姉弟。
曽祖父の代から芸事に縁のある家系に育った二人だからこそ書きえた1冊。
女性だけの集団が、日本の伝統に根ざしつつ革新をも生み続けてきた秘密が、今、解き明かされる。      



 
 
 
 
 
(出典)

思わず吹いた!バカ質問署名TOP25HONZ)

ベスト珍書 - このヘンな本がすごい! (中公新書ラクレ)




2019年3月5日火曜日

純文学小説を読むとストレスがたまる?



芥川賞受賞「1R134秒」を読んでみたが
純文学とはいったい何なのか?

毎年3月と9月の芥川賞のシーズンになると,決まってこのテーマについて考えさせられる。なぜならメディアなどが報道する受賞作品の評判につられて読んでみるのだが、毎回そのつまらなさに落胆させられるからだ。
 
今回もそうだった。受賞作「1R1分34秒」はボクシングをテーマにした作品である。格闘技の中でもボクシングは群を抜いておもしろい。それを描いた小説ならきっと面白いに違いない。
 
おそらくこう思って読み始めた読者は少なくないはずだ。ところがである。面白いはずのボクシングがこの小説では全く面白くない。
 
壮絶な殴り合いによる息をのむような格闘技のスリルなど微塵も感じない。ストーリー性が乏しい上に、初めから終わりまで意味不明確な脈絡に欠ける味気ない文章の羅列だ。
 
選考委員の一人がまるで詩を読むような感じだった、と評しているが、まさに悪い意味でその通りで、難解で味気ない詩を読まされているようで、読み続けていると次第にストレスを感じるだけで読書の楽しさなどどこにもない。



誰が純文学を支持しているのか?

芥川賞受賞作品については又吉直樹の火花で懲りた人は多く、それ以来手を出すのを控えている人は少なくないはずで私もその一人。
 
しかしたまに村田沙耶香の「コンビニ人間」のような、すばらしい作品に出会うこともある。今回の「1R134秒」にもそれを期待したのだが、やはりそれはかなわなかった。
 
とはいえ書評を読んでいると、面白いとほめちぎっている人もいるから不思議だ。でもその書評も難解で意味が分かりづらい。やはり著者と同類の人なのだろうか。
 
しかし、これほど面白くない純文学を支持しているのはいったいどういう人たちなのだろうか。数は多いのだろうか。



掲載誌(新潮)はわずか数千部しか売れない

いいえ、決して多くはないだろう。なぜならこの作品が掲載された純文学雑誌「新潮」はわずか数千部しか売れていないからだ。新潮だけでなく、同系の文学界、群像、すばる、文藝なども売り上げは大して変わらない。純文学誌全部合わせてもよくて3~4万部というところだろう。
 
これほど少ない売り上げでも出し続けているのは芥川受賞作品の単行本で元を取る魂胆なのに違いない。又吉直樹の火花のような大化けを狙っているのだ。



選考委員は褒めちぎっているが

これほどつまらなくて面白くない作品も選考委員の目にはそう映っていないらしい。以下は選考委員3氏によるこの作の書評である。おおむね好評なものが多いが、これを真に受けて読むと後悔することになるだろう。



山田詠美氏

文章全体から、この作者、そして登場人物たちの「引くに引けない感じ」が漂って来て胸に迫る。途中、いくつもしびれるフレーズが出てきて、思わず拍手したくなった。〈ボクサーでしかありえない情緒がそこにある〉とか。読み進めれば進めるほど登場人物二人の味方になれる。緻密な会話は忘れがたい。
 
 

小川洋子氏

主人公は、愛すべき青年だ。ウメキチとの出会いに救いの気配を感じながら、作ってもらったお弁当を公園のごみ箱に捨ててしまう屈折と、女性の可愛らしさを心の底から称える素直さが、矛盾なく共存している。彼が初めてウメキチとトレーニングするシーンの、肉体を通した緻密な会話は忘れがたい。頭脳から遠く離れた場所で、体は圧倒的な美を表現する。言葉の届かないところにこそ書かれるべきものがある、という真実を証明している。


島田雅彦氏

安部公房の短編「時の崖」を思わせる試合中のボクサーの意識の流れが圧巻である。自意識と向き合う小説とシャドーボクシングの相似を改めて気付かせてもくれる。技術論と友情のブレンド比も絶妙で、主人公とウメキチのホモ・ソーシャル関係に胸キュンとなる読者も多かろう。


(出典)文芸春秋2019年3月号

2019年3月2日土曜日

若者のパソコン離れ ・ ウソか本当か?は、やっぱり本当


デジタル時代の若者がなぜパソコンできない?

高齢者ならいざ知らず、高校生から大学生世代の今の若者がパソコンが苦手と聞けば、たいていの人は首をかしげるに違いありません。

スマホを片ときも手放さないデジタル時代の申し子ともいえる昨今の若者が、同列のデジタル機器であるパソコンが苦手とは考えられないからです。
 
でもこれは現実の話なのです。ある調査によりますと10代後半から20代全般の若者のうち、パソコンでワードやエクセルができない人が50%近い、という結果が出ています。
驚くべきことですがこれが現実なのです。
 
こうした現状であるにもかかわらず、一部では「若者にパソコン離れは起きていない」というような意見もあります。でもこれは認識不足で、若者のパソコン離れは今間違いなく起きている問題です。



なぜ若者にパソコン離れが起きているのか 

若者のパソコン離れの原因はずばり、スマホにあります。スマホの度を過ぎた利用がパソコンから若者を遠ざけているのです。つまりスマホをやる時間が多すぎてパソコンにまで手が回らないのです。
 
今の若者は小学校時代にパソコン操作の初歩は学びましたが、その後スマホを手にしてからはパソコンに次第に手を振れなくなっているのです。
 
それに触れようにも自分用のパソコンが家にないことも少なくないのです。そのためせっかく覚えた操作方法も10代の中ごろにはすっかり忘れてしまうのです。
 
親の方も子供にスマホは買い与えても、パソコンを使わせることには無関心なのです。これは親自身がパソコンの重要性をじゅうぶん理解していないからなのです。 



タッチタイピングのできない若者は珍しくない 
 
上でワードやエクセルができない若者が半数以上いると書きましたが、このような現実では、パソコンの必須技術であるタッチタイピングができるかどうかを問うこと自体がナンセンスかもしれません。ワードやエクセルをやらない人がタッチタイピングができるわけがないからです。
 
しかし、今の若者はなぜタッチタイピングの重要性に気づいていないのでしょうか。
 
おろらく、これができるできないでモノを書く上での作業効率が大きく異なることを知らないからなのに違いありません。それに社会に出たら仕事上でパソコン利用は必須条件であり、そのパソコン技術で最も大切なのがタッチタイピングであることにも気づいていないのです。
 
そんな大事なことがなぜ学生時代に習得できないのでしょうか。スマホをやる時間を少し削るだけでできるはずなのですが。
 
こういうと、どこからか「パソコンで文章を書けなくても今は音声入力があるじゃないか」という声が聞こえてきそうです。
 
確かに今では文字でなくても音声で文章が入力できます。でも実用性から言えば、今のところ文字入力にかなうものではありません。 



学校のパソコン教育はどうなっているのか
プログラミング教育導入もいいが、パソコンリテラシーを育てることが先決

2020年から小学校でプログラミング教育が取り入れられるということが、いま大変大きな話題になっています。
 
言うまでもなく今後ますます進化するIT社会ではプログラミングの役割は大きくなる一方です。そのために少しでも人材を増やそうという狙いがあるのでしょうが、その前に大事なのはパソコン(コンピュータ)リテレラシーを育てることではないでしょうか。
 
前述のように今10代後半~20代全般の若者のパソコン離れが深刻な社会問題になりつつあります。
 
こうした問題が出てきたのは、行き過ぎたスマホ依存がありますが、その原因の一つに公教育でパソコンリテラシーを育ててこなかったことがあります。そのためにパソコンに対する愛着が弱く、スマホの出現ですっかりパソコンから離れてしまったのです。
 
プログラミング教育はもちろん大事です。しかしその前にパソコンに対する愛着をつけるためにも小学校を初めとした公教育でのパソコンリテラシーの育成が急務です。