2015年12月26日土曜日

いま日本が抱える大きな問題は第一が1000兆円に及ぶ巨大財政赤字で、第二が820万戸もある空き家



空き家820万戸!実に7軒に一軒が空き家という日本の現実

1000兆円の財政赤字と800万戸の空き家、単位こそ違え、1000と820という数字だけ見れば、よく似ているのが何か不思議な感じです。

財政赤字はともかく、本日取り上げるのは空き家問題の方です。

ところでこの800万戸という空き家ですが、数字だけ見れば確かに多いのですが、相対的に多いかどうかは、この数字だけではわかりません。

なぜなら何か比較するものがないと判断できないからです。そこで、まず欧米などの外国の空き家について見てみることにします。

まずヨーロッパでも空き家率が低いといわれるイギリスですが、最近の統計によるこの国の空き家は61万戸になっています。

これだけ見ても日本の820万戸に比べるとずいぶん少ないことが分かります。

でもこれだけでは不十分ですから、次は日本とイギリスの空き家率を見てみますと、日本の住宅総数が6063戸に対して820万戸が空き家で、空き家率は13.5%

一方イギリスは住宅総数2337万戸に対して空き家が61万戸ですから空き家率は2.6%でしかありません。

どうですか?この数字の違いは。

実に日本は率にしてイギリスの5倍以上の空き家を抱えているのです。

これで日本の空き家の数が、いかに異常であるかがよくお分かりになったと思います。

イギリスだけではありません。ドイツやフランスを見ても少なさの点はそれほど変わりません。

しかし、日本だけがなぜこれほど空き家が増えたのでしょうか。


日本の空き家が欧米に比べて異常に多い理由は、住宅に対する意識の違い

それにしてもイギリスと比べた日本の空き家率の高さは異常ではありませんか。

いったい何が原因でこれほど大きな違いが生じたのでしょうか。

その最大の理由は日本と欧米の住宅に対する考え方の違いです。

それをよく表しているのが日本と欧米の全住宅取引に対する中古住宅の取引の数字の違いです。

日本の全住宅取引に対する中高住宅の取引率は15%前後です。

これに対してイギリス、ドイツ、アメリカをはじめとした欧米では中古住宅の取引率は全体の70~90%にも及んでいます。

これもまた大きな違いではありませんか。このように大きな数字の開きができるのは、日本と欧米の住宅に対する考え方が根本的に違うからです。

つまり欧米ではできるだけ長持ちする家を建てて長い間使い続けようと考えますから、家を買う場合、たいていの場合はまず中古住宅に目を向けるのが当たり前になっています。

ところが日本では、最近でこそ100年住宅などと言い始めていますが、これまでは家の耐用年数を極めて低く設定しており、耐用年数に近づいた家は極端に資産価値が低くなります。

日本人は住宅を大事な資産と考えますから、資産価値の低い中古住宅にはあまり目を向けず、自然に新築住宅の方に比重を置いてしまうのです。

このために価値が認められない中古住宅はどんどん空き家になっていくのです。

こうなったのも、国の誤った住宅政策に原因があるに違いありません。

2015年12月15日火曜日

らしくない ・ 今年の12月

こんな12月は過去になかった

今日はちょうど月半ばの15日ですが、12月に入って以来まだ一度もこの月らしい雰囲気を感じたことがありません。

この月らしい雰囲気とは、

・気温が下がり、室内でも暖房なしでいられなくなる
・年末の気ぜわしさから周りが何となくあわただしくなる
・クリスマスやお正月のプランを思い巡らすなどして、人々は楽しい気分に胸をふくらませる

などでしょう。

ところが、今年の12月はまるでらしくないため、んな気分を感じられない人が多いのではないでしょうか。

らしくない第一の原因は季節外れの気温にあります。連日最高気温は15度を超え、暖房が必要のない秋の気温がずっと続いているのです。

そのために、次のようなことにらしくない現象があらわれています。


(自然)
・例年なら2月に開花する梅や椿の花が2か月も早く咲いた
・12月中旬になっても紅葉が終わらない
・季節外れの雨が多く、一向に雪が降らない

(商売)
・灯油がまったく売れない
・冬物衣類の売れ行きが低調
・春物のバーゲンセールが始まった
・クリスマスムードが盛り上がらない
・スキー場の人工雪が解けて閉鎖に追い込まれた

(例年の行事)
・年末恒例の「ベートーベン第九」の演奏会がめっきり減った

(ムード)
・年末の気がしない
・クリスマスや正月の準備をする気になれない
・大掃除が面倒くさい
・年賀状が無意味に感じられる


以上ですが、このほかに日本各地で12月らしくない兆候があれば、ぜひお知らせください。

2015年12月5日土曜日

テレビのリモコン ・ 有効な使い方とは


テレビのリモコンはつけるときより消すときに便利
夜になるとたいていテレビをつけます。特に見たい番組がある
からではなく、なんとなくつけるのが習慣になっているので
す。

夜はテレビの映像と音声があるのが普通と思っているからな
のかもしれません。
ところがです。つけたのはいいのですが、いくらも時間がた
たないうちに消したくなることがしばしばあるのです
消したくなるのはその映像を見たり、音声を聴くのがイヤに
なるときです。
理由はたいてい登場する人物にあります。つまり登場人物のル
ックスや声が生理的に合わないときです。
その人のルックスが嫌い、とか声が聴くに堪えない、などと
感じる場合です。
でも程度の問題で、我慢すれば何とかなる、のでしたら消す
ところまではいきません。
ところがどうしても我慢できないときは即座に消してしまい
ます。

いわゆる秒殺というのでしょうか、その人が画面に現れて間
もないうちに即座に消してしまうのです。
そしてもう画面が変わっただろうと思うころなって再びスイッ
チオンするのです。
そんなことが数時間のうちの数回あることも珍しくないので
す。
でも考えてみればこれは仕方ないことかもしれません。
なぜならテレビの登場人物はこちらが選ぶわけではないから
です。
したがって好みに合わない人が登場してくるの仕方ありませ
ん。
でもそれを我慢して観たくはありません。そんな時はリモコ
ンで消すのがのがいちばんなのです。

TVのリモコン・最大の利点は見たくない映像を秒殺できるこ

上でも書いたように、テレビを観ていて、登場人物の姿を観
たくなかったり、声を聴きたくないときはしばしばあります


そんな時は我慢して観続けるのではなく、いったんテレビを
消します。
でもこれができるのもリモコンがあるからです。
今どきの人はたいていテレビから数メートル離れた位置から
観ている場合がほとんどでしょう。
こうした場合、もし手元にリモコンがなければ、テレビの位
置まで足を運ばなければなりません。
でもそれは面倒ですから観たくない場合でもに我慢して観続
けることになります。
でもそれでは要らぬストレスを被ることになります。
こう考えると即座に消すことのできるリモコンがいかに便利
なものであるかが、よくわかります。
そうなのです。テレビのリモコンの最大の効用は、テレビを
簡単につけられることにあるのではなく、観たくない画面を
即座に消す(秒殺)ことができることにあるのです。




2015年12月1日火曜日

下流老人が社会問題になりつつある今 ・ 「老後に1億円必要」と、能天気なことを言っているメディアがある


生活苦から死にいたった高齢者の悲しいニュースが相次いでいる

先週、高齢者の不遇な死についてのニュースが相次いで流れました。

70~80代の2組4名の高齢者が無理心中などで不慮の死を遂げたのです。

原因はいずれも生活苦からです。

いま下流老人や老後難民などとも言われて貧困に陥る高齢者が大きな社会問題になりつつあります。
 
それもそうかもしれません。満期一杯40年かけ続けた国民年金でも、手にできる年金額は月額6万円台でしかないのです。これでどうして満足な生活ができるというのでしょうか。
 
生活保護の最低限度額でさえ11万円台なのですから、これでは下流老人が増えるのは当たり前のことです。
 
先週相次いで生活苦から死に至った2組4名の高齢者はほんの氷山の一角でしかありません。
 
行政は今この問題と真剣に対峙していくことが急務です。でなければ、今回のような不幸な死が、ますます増えることは目に見えています。

こんなときに「老後に1億円必要」という無神経な記事が

こんなことが連続して起こる中で、これをまるで無視するかのように、数日前にあるメディアがトップ記事のタイトルとして、「老後に一億円必要か」というフレーズを掲げているではないですか。
 
「老後に1億円必要」と聞けば、日本がまるで「金持ち大国」のように思え、下流老人や老後難民などとは無縁の国のように聞こえはしないでしょうか。

生活苦で死に至る老人が続出しているというときに、こうした記事を載せるのは無神経極まりないことです。

いったい今の日本に、老後資金として1億円もの大金を備えることができる人が、どれほどいるというのでしょうか。

こうしたことを言うのは、人々の利殖意欲を煽って金を集め、自社の利益拡大を目論む金融関係業者の企みに違いありません。それに一部のメディアが悪乗りして輪をかけているのです。

今は失業率も低下しており、いろいろな経済指標はやや上向きになっていることは確かです。
 
しかしわが国は依然として1000兆円という、世界でどの国もないような、とほうもなく莫大な借金を抱えているのです。
 
それを忘れて、<老後資金1億円>といううようなことがよく言えるものです。
 
今どきこんな能天気なことをいうメディアがあることが信じられません。
 
こんなメディアに対してはできることは、「ウオッチ ユアー ステップ(足元を見よ)」と言ってあげるしかありません。

2015年11月20日金曜日

外遊がやたらに多い安倍総理 ・ 費用対効果はどうなのか

安倍総理は外遊が多すぎるのでは
 
おそらく日本国民の中には安倍総理の外遊について「なぜそんなに外遊をするの?」と、疑問を抱いている人が多いのではないでしょうか。
 
歴代の首相の中では5年以上と在任期間の長かった小泉総理の50数回という回数を在任2年ちょっとで抜くペースなのです。
 
最初の頃こそ、国民の多くは、こうした外交に対する積極姿勢に対して拍手を送っていました。
 
しかし50回を越す最近になっては、「少し多すぎるのでは」と疑問視する人も多くなっているのです。
 
そう考え始めたのも、総理の外遊には桁外れの高額な費用が伴うからです。
 
それに訪問国に対する経済援助という名の資金提供にも莫大な資金を必要とします。
 
いったい総理になって以来、どれほどの金額を訪問国にばら撒いてきたのでしょうか。
 
もちろん資金を提供する以上は見返りを期待してのことです。
 
しかし思惑通りの見返りは期待できるのでしょうか。
 
例えば最近のインドネシアの高速鉄道の受注に失敗した例があります。鉄道の技術では日本より大きく遅れている中国に注文を取られてしまったのです。
 
受注を見込んで、日本はこれまでにどれほど資金と労力をつぎ込んできたことでしょうか。
 
にもかかわらず中国に惨敗したのです。これではお金をドブに捨てたも同然です。
 
安倍総理の外遊にはコストパフォーマンスの意識がない
 
下に挙げたのは、あるブログに載せられた安倍総理が訪問国にばら撒いてきた件数と金額のリストです。
 
現在ではなく2014年の数字です。それでもこれほど多くあるのです。
 
これだけ多くのばら撒きが果たしてどれほどの「見返り」として戻ってくるのでしょうか。
 
私たちは普通、お金を使うときはその効果を考えます。つまりお金の出費額に応じた効果があるかどうかを考えるのです。
 
会社も同じです。設備投資したり、資金提供をしようとするときには、資金量と効果をはかりにかけて、効果の方が大きいと判断して初めて実行するのです。
 
これがいわゆる費用対効果を考えるコストパフォーマンス思考です。果たして安倍総理の外遊でのお金の使い方にも、この考え方は取り入れられているのでしょうか。
 
無節操ともいえる際限のないばらまきぶりを見ていると、どうもそのようには思えません。

 
安倍首相がこの2年間の外遊で海外にばら撒いたお金と外遊費は合計70兆円近いといわれています。それに外遊の仕方が異常です。

例えば毎回トップセールスと称して、経団連のメンバーを多数引き連れ、おまけに訪問国の要人のおもてなしのためににすし職人を随行させ、すしネタにしても日本から空輸させるというぜいたくぶりです。

これは経済観念が欠落しているというほかはなく、コストパフォーマンスどころの話ではありません。
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安倍総理が訪問国にばらまいてきたし金額(一部)
 
中国、300億円
モザンビーク、700億円
シリア、3060億円
ラオス、90億円
ASEANにODA、2兆円
インド、3兆5000億円
インドの円借款、2000億円
ミャンマー、600億円
ミャンマーの債権免除、2兆3000億円
パプアニューギニア、200億円
ウクライナ、1500億円
バングラデシュ、6000億円
中東支援、55億円
ベトナム、1兆4000億円
北朝鮮、2兆円
アフリカ、3兆円
エボラ出血熱の支援、50億円
アメリカにリニアの建設費用、5000億円
円安にするためのアメリカ国債、50兆円
世界銀行、5000億円
途上国支援、1兆7400億円

    
(出典)きっこのブログ

2015年11月6日金曜日

店の前に「おしずかに!」という看板がかかっているが ・ 迷惑なコンビニ前の夜のミーティング



会議室だけがミーティングの場所ではない

ミーティングと言えばたいていの人は会議室などで行うものと思っているでしょうが実はそうとばかり言えないのです。

例えばトイレットミーティングというものもあります。これは若い女性が広い会社のトイレなどに集まっておしゃべりを交わすミーティング?です。

また主婦に人気があるのが昔ながらの井戸端ミーティングもあります。とはいえ今は井戸端はありませんから、さしずめ軒先ミーティングとでもいうのでしょうか。

この他に忘れてならないのがコンビニ前のミーティングです。これが今次第に増えてきているのです。

でも何故なのでしょうか。

いまではどのコンビニでも、店の前に大きな灰皿が備えられた喫煙コーナーが設けられているのです。

ご存知のとおり、いま屋内の喫煙スペースはどんどん狭められています。中には全面禁煙の建物も少なくなく、今や屋内の喫煙スペースはどんどん減少しているのです。

そのせいで増えているのが屋外の喫煙コーナーなのです。今ではメインストリートの歩道には塀で仕切った喫煙のための場所が設けられているのをよく目にします。

そうした屋外喫煙コーナーが、ほとんどのコンビ二の玄関口に備わってきたのです。


コンビニにとって喫煙コーナーは客集めの格好の手段だが

道行く人が喫煙コーナー目当てに集まってくれれば、そのうちのいくらかの人は、ついでに買物を、と店の中に入ってくるかもしれませんから、販促手段として役だつことになります。

大きな灰皿と少しのスペースだけあればすむことで、コストがかからない集客方法ですからやらない手はありません。

屋内禁煙が進む今では、喫煙家にとってこうしたコンビニなどの喫煙コーナーは大歓迎なのです。

その証拠にターミナルに近いコンビニの前は人が絶えることはありません。

でもこれに迷惑している人がいるのです。それは周辺に住む住民です。

市街地のコンビニ周辺にはマンションも少なくありません。

我が家がそれに当たり、コンビニのすぐ隣にあるのです。

我が家はそのマンションの5階なのですが、昼間はまだしも、辺りが静まった夜になるとコンビニ前に集まった人たちの話し声はよく聞こえてくるのです。

多分、声はコンビニ前からあまり離れていないマンションの階段をつたってくるのかもしれません。時には話の内容さえ分かるような大きな声も聞こえるのです。

このときほど24時間営業のコンビニが憎らしく感じことはありません。

こうしたことを見越してでしょうか、店の軒先には、「おしずかに!」と書いた大きな看板がかかっています。

でも喫煙しながら話しに熱中している人たちには効果はないようです。

かくして堪忍袋の緒が切れて、店へ苦情電話を入れることになるのです。

この2年間ぐらいの間にそうしたことは3回ありました。

迷惑な夜のコンビニ前ミーティングですが、これも室内禁煙の進展がもたらした産物です

2015年11月1日日曜日

ウィークデイの昼間、路線バスに乗って驚いた ・ なんと乗客のすべてが70歳?以上


乗客に高齢者が多い路線バスは目的地までの所要時間が長くなる

久しぶりにウィークデイ昼間の路線バスに乗りました。これをあえて本日のブログのテーマに選んだのは車中でこれまでに経験のないいろいろな場面に遭遇したからです。
 
まず気づいたのは乗客の年齢層の高さです。
 
ターミナルから乗車したのですが、そこで乗車した人たちをはじめ、途中の停留所で乗り込んでくる人たちはすべて高齢者ばかりで、若い人はまったくいないのです。
 
高齢者とは65歳以上の人たちを指しますが、その日の乗客は60代と思しき人は皆無で、どう見ても70歳を超えた人たちばかりなのです。
 
次々と乗り込んでくるそうした人たちを目の当たりにすると、まるで高齢者専用バスのように思えてきました。
 
考えてみるとウィークデイの昼間は、若い人たちはたいていは職場にいますから、町へ出てバスには乗る人は少ないでしょう。
 
たまに営業マンなどが利用するでしょうが、この日に限ってはそうした人たちの姿はありません。

乗客は全部で15人ほどでしたが、40代に見える一人の女性を除いてすべてが70歳?以上なのです。
 
いかに高齢化社会真っ只中とはいえ、これには驚かされました。
 
居住地に直結したバスは今や高齢者の格好の交通手段なになっているのでしょうか。
 

次に気が付いたのは、以前に比べて目的地までの所要時間がうんと長くかかることです。

でもなぜでしょう?以前と同じ経路を走っているのに、なぜ時間が長くかかるのでしょうか。
 
別に道路が渋滞していたからではありません。その最も大きな理由は、乗車や下車に時間がかかるからです。
 
なにぶん足腰が強くない高齢者のこと、若い人に比べると乗車や下車がスムーズにできる人は少ないようで、ほとんどの人は動作が遅く乗り降りにすこぶる時間がかかります。
 
おそらく若い人の倍ぐらいかかっているのではないでしょうか。
 
仮に若い人の乗車、下車の所要時間が合計30秒とすると、高齢者はその倍の60秒ぐらいかかるようです。
 
これが目的地へ到着する時間を遅らせる最大の原因なのです。要するにバスの所要時間は乗客の年齢層に大きく作用されるのです。
 
これから急ぎの用でバスを利用する人は、今時のバスのこうした事情をじゅうぶん頭にいれておかなければいけません。

これからのバスは女性運転手が適しているのでは

これに関連して考えさせられたのは、今時の路線バスの運転手の資質についてです。
 
つまり乗客の多くが高齢者で占める今のバスは、高齢者に理解のある人でないと勤まらないのでは、ということです。
 
なぜなら行動が遅い高齢者の肉体的なハンディとじゅうぶん理解できて、乗車、下車時に時間をとって、ゆっくり待ってあげられる気長な人ければいけないからです。
 
間違っても目的地への到着ばかりを急ぐせっかちな人では駄目なのです。
 
したがってこれからバスの運転手を目指す人は、こうした資質も持ち合わせていなければならないのです。
 
こうしたことを考えると、このところバスにも少しずつ目立ってきた女性運転手の方に、より適正があるのではないでしょうか。