2018年9月13日木曜日

安倍首相はなぜ怒らないのか?・プーチン氏のたび重なる遅刻 


プーチン氏の遅刻を安易に認めるのはお人よし


いくらプーチン氏が遅刻常習者だとはいえ、3日前のロシアでの極めて重要な国際会議に2時間以上遅刻することなどあり得るのでしょうか。また、待たされた側はなぜこういうことを安易に許してしまうのでしょうか。

今回待たされた当事者は安倍首相ですが、前回もそうでしたが、怒ったり強く抗議したりする様子はありませんでした。

常識では考えられないようなこんなひどいことを何故平然と許してしまうのでしょうか?不思議で仕方がありません。

普通ならある程度待った上で、それを超えると予定をキャンセルし、厳重に抗議をするというのがまともな神経の人のすることではないでしょうか。

プーチン氏はまともではありませんが、それを許し、いつまでも待ち続ける側もまともとは言えません。


こんなにある、プーチン氏 過去の遅刻歴


2000年、韓国・金大中大統領 30分遅刻

2000年、ローマ法王ヨハネパウロ2世 15分遅刻

2003年、イギリスのエリザベス女王、14分遅刻

2008年、韓国・李明博大統領 40分遅刻

2009年、フィンランド・ハロネン大統領 2時間遅刻

2009年、ウクライナ・チモシェンコ首相 3時間遅刻

2012年、野田首相 1時間半遅刻

2012年、アメリカ・オバマ大統領 40分遅刻

2012年、ドイツ・メルケル首相 40分遅刻

2013年、ローマ法王フランシスコ 50分遅刻

2013年、アメリカのケリー国務長官 3時間遅刻

2013年、韓国・朴槿恵大統領 40分遅刻

2014年、ドイツ・メルケル首相 4時間遅刻し、キャンセルをくらう

                  (出典 orangeitems’s diary

2018年9月11日火曜日

お人よしはダメ人間 ・ お人よしは世のため人のためにならない



お人よしは褒める点がない


お人好し とは以下のような人たちの総称です。特徴を上げるといろいろありますが、その多くは悪い点で、良い点はほとんど見つかりません。

こんなにあるお人よしの特徴


・人が良い
・気が弱い
・だまされ易い
・なめられやすい
・相手に合せるだけ(イエスマン)
・純粋すぎる
・生真面目
人間が甘い
・考えが幼稚
・ドジ
・優柔不断
・温室育ち
・頼りない
・鈍い
・未熟
・はがゆい
・ひ弱い

お人好しはノ-と言えない


お人よしの人には上に挙げたように、どちらかと言えばデメリットな特徴がいろいろありますが、最大の欠点は「ノー」と言えないことです。

ノーと言えない人は、人にものを頼まれたら断ることができなかったり、人の意見を否定できず賛同ばかりしています。要するに反論ができないのです。

その結果相手からは、意志が弱いとか、自分の意見を持たない人というふうに思われ軽んじられます。

それ故に大事な相手と思われなくなるのです。こうなると軽蔑の対象にさえなり、次第に遠ざけられるようになります。


お人よしは苦情も言えない


人間社会にいると、自分の意が相手に沿わないことが往々にしてあります。こうした場合は黙っていないで相手に自分の考えをぶつけなければいけません。

要は反論したり、苦情を言ったりするのです。意見を戦わせると言っていいかもしれません。こうすることにより、相手は自分の非に気づくことができるのです。

でもお人よしにはこれができません。反論や苦情を述べることができず、いつも相手の言うままになるのです。

ということは、相手が間違ったことを言っても、そのまま通ってしまうのです。これでは人を良い方向に導くことができないばかりか、悪を助長することになります。


お人よしは人をスポイルしてダメにする


スポイルとは人を甘やかし、その結果ダメにしてしまうことです。

テレビでアジア大会の実況を見ていて思ったことですが、ある陸上競技でメダル候補と言われていた日本選手が3位以内に入れずメダルを逃してしまいました。

競技の後で、普段はコーチをしている解説者がこう言っていました。「仕方ないですね。もろもろの条件が悪かったのでしょう。4位でも良く頑張りました。」

これを聞いて、この人なんとお人よしだろう、と思ったのは私だけでしょうか負けたのには原因があります。コーチなら真っ先のそれに気が付かなければいけません。それを指摘して反省してこそ改善への道が開かれるのです。それでなく安易に負けを認めてしまったのでは明日はありません。


物事を疑わない人はお人よし


人のいうことを信じなかったり,物事を疑うことを悪く思う人があります。たぶん信じる者は救われる、などという格言を信じている人に違いありません。

しかし本当にそうでしょうか? 疑う気持ちはwhyいったいなぜだるとと疑問を持つことから始まるます。要するににどうして?とその理由を問う気持ちです。

こうした気持ちこそ物事を発展させるのです。何でもすぐ認めてしまうお人よしは、発展になんら役に立ちません。


やたらプラス思考の人もお人よし


物事を良い方にばかり考えることをプラス思考と言います。理由などは考えず、とにかく物事は良い方向にばかり進むと信じこむのです。

こうした一見前向きに生きているとも思える彼らがお人よしというのは何故でしょうか。

その理由はこうです。世の中には良いことがある反面悪いこともあります。良いこと悪いことが相反するのが世の中なのです。

でもプラス思考の人はどうでしょう。彼らは物事を常に自分に都合がいいように考えます。これは悪いことの存在を否定してしまっているとも言えます。

これは世の中を真正面から見ておらず、何事に対してもノーと言わないお人よしの姿となんら変わりありません。


≪結論≫お人よしは物事の改善や改革ができないだけでなく犯罪を助長する


人からノーと言われたり苦情を言われたりすると、たいていの人は「なぜ?」とその理由を考えます。それがその人の物事を改善したり進歩したりするきっかけになるのです。

言うまでもなく、物事は、Why(なぜ?)と疑問を持つことから、改革が始まるのです。

お人よしにはこれが無く、何でもすぐ認めてしまうのです。それ故に改善や改革ができないのです。

それだけではありません。人のいうことを安易に信じてしまうことから詐欺などの犯罪に巻き込まれやすくなります。

このところ社会的に大きな問題なっている振り込め詐欺の被害に遭うのは気の弱い人が多くいます。いうまでもなく、こうした人の多くがお人よしなのです。

これから考えれば、お人よしは犯罪を助長するとも言えるのです。

このように、お人よしは悪いところだらけで良いところが少しもありません。これだと存在自体に意味がありません。それどころか存在そのものに疑問を感じてしまいます。

2018年9月8日土曜日

また悪文に出会ってしまった ・ 「夕暮れの時間に」 山田太一 



有名作家の作品にも悪文はある


  タイトルを「また悪文に出会ってしまった」としたのは、本来悪文などあってはならないプロの作家の文章で

この2年足らずの間にすでに3回も悪文に遭遇しているからです。


  それらの作家は、故・阿佐田哲也「三博四食五眠」、荒川洋治「過去を持つ人」、故・佐野洋子「問題があります」(括弧内作品名)の3氏です。

  なお断っておきますが、これら3氏が悪文家として定評があるとか言うことでなく、あくまでわたし個人の独断で言っているだけのことです。

  その過去の3人に次いで今回が4人目なので、出会いの頻度に対する驚きの気持ちを強調して表しているのです。

  一概に悪文と言っても、その定義はいろいろでしょうが、私にとって悪文とはただ一つ、それは意味がよく分からない文章のことです。つまり何のことを書いているのか、何が言いたいのかがよくわからない文章です。

  こんな文章に出会ったたときは、分からないのは自分の読解力が不足しているのではないだろうかと、まず疑ってみます。そして一度でなく二度も三度も読んでみます。でもやはり分かりません。で、その理由を考えた結果、悪文だから、という結論に達するのです。

  今回もそんな結論に達したエッセイ集に出会いました。脚本家山田太一氏の作品です。

山田太一と言えば、誰もが知る脚本家の大御所で、テレビや映画でも有名な作品は数知れず、それだけでなく小説やエッセイでも山本周五郎賞や小林秀雄賞など、名のある賞を取っている大作家です。

  それ故に今回氏の作品を悪文呼ばわりするのは大いに気が引けますが、これまでもブログなどで上にも挙げた高名な作家の作品を悪文と指定した身としては、今回もまたお許しを請わねばなりません。


そもそも悪文とは、その定義は?


  上でも書きましたがわたし個人にとっての悪文とは、分り難い文章のことです。辞書などにある悪文の定義にはもちろん「分り難さ「」は入っています。でもそれだけではありません。いか悪文の定義について主なるネット辞書の説明を見てみましょう。

・あく‐ぶん【悪文】

へたでわかりにくい文章
文脈が混乱して、まとまりのない章。

(デジタル大辞泉)


・あく ぶん【悪文】


難解言葉を使ったり、文脈乱れていたりして、理解しにくい
へたな文章

weblio辞書)


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山田太一のエッセイのどこ(なに)が悪文なのか?


  上の説明で悪文の定義はお分かりになったことと思います。

では次に実際の文章を例に挙げてみることにしましょう...

  このブログのタイトルにも掲げた「エッセイ集「夕暮れの時間に」の中に「渋谷恋文横丁」という作品があり、その中に次のような一文があります(P144)。

≪「なつかしの」という領域の話になると「たぶん」というのが枕詞のようになってしまう。たぶん昭和三十年前後の映画だが、「恋文」という作品があった。丹羽文雄の新聞小説を女優の田中絹代さんが演出した作品で、脚本は木下恵介さんである。俳優は森雅之、久我美子・・・・・・・・・≫


  上の文章を起承転結で言えば、起の部分が『なつかしの」という領域の話になると「たぶん」というのが枕詞のようになってしまう』になります。

  この作品はタイトルに渋谷恋文横丁とあり、むかし渋谷にあった通りのことをがメインテーマになっているのですが、タイトルを知らない人なら冒頭の文章から、「なつかしの」と「たぶん」という言葉の関係についての話なのだろう、と思うのではないでしょうか。

  ところが起承転結の承の部分に入ると、上のようにまったく違った方向へ進みます。

「たぶん三十年前後の映画だが、恋文という作品があった」と続き、それ以後「なつかしの」と「たぶん」についての説明はまったくありません。つまり起の部分の「なつかしの」や「たぶん」がどこかへ飛んでしまっているのです。

  したがってこの話のテーマが何であるのかが、さっぱりわからなくなってしまうのです。   要は出だしの部分の「「なつかしの」という領域の話になると「たぶん」というのが枕詞のようになってしまう」は必要ないのです。これがあるがゆえにテーマが何かと迷わされるややこしん文章になってしまうのです。

  それだけではありません。この「なつかしの」という領域の話になると「たぶん」というのが枕詞のようになってしまう」という文章だけをみても、シンプルな言葉遣いの割には意味の分かりにくい文章です。


7割が悪文で、何とか読めるのが3割


  このエッセイ集にはこれに似たような分り難い文章が少なく見ても全体の7割を占めています。あと3割がかろうじて読める文章ですが、それらにしてもどちらかと言えば共感できる点が少ない楽しくない文章ばかりです。

  ちなみにこの作品集に取り上げられた作品は書下ろしではなく、過去に何らかの雑誌に掲載されたものばかりです。中でも新潮社のPR誌である文芸雑誌「波」に収録された作品が多く見られます。それだけに純文学嗜好が強いのは否めません。

  最後にもう一点、著者は詩の愛好者です。それゆえに文中にいろいろな詩の引用があります。

  悪文家の一人として過去に遭遇した荒川洋治氏も詩人です。どうやら詩人とか詩の愛好家には悪文家が多いのかもしれません。

 詩は難解で哲学に通じるところがありますから、それも頷けます。


2018年9月3日月曜日

「ある意味」が枕詞に? ・ やたらに「ある意味」を使うプロ野球解説者


「ある意味」は接続詞? それとも枕詞?


  ラジオのプロ野球中継を聴いていて解説者の言葉づかいが気に障りました。「ある意味」という言葉がやたらに出てくるからです。それも「ある意味で」でなくて、でが抜けた「ある意味」です。

  いつも思うのですが、この言葉に違和感を感じるのはこの点なのです。つまり「ある意味で」なら言葉の役割や使いかたがよく分かるのですが、でを抜いた「ある意味」になると、とたんに意味不明になるのです。

 この解説者の「ある意味」の使いかたは例えばこうです。

「ある意味この選手は打撃好調ですから」
「ある意味ファンサービスは勝つことが一番です」

  このようにまるでなんでもありの状態で、意味も使いかたも言葉として用を足していないのです。

  いったいどういう意味で、何のために使っているのでしょうか。聴いている側には、単なる口癖としか思えません。


「ある意味」を接続詞のように使っている


  上述のような、プロ野球解説者のある意味の使いかたは、まるで英語のandと同じような接続詞のようです。つまり、それと、とか、それで、という意味でしかないのです。

  それならそれでもいいのですが、気障りになるのはその頻度です。接続詞でも「それで」ならなんら気にならないのですが、かわりに「ある意味」を連発されては耳障りにならないはずがありません。


「ある意味」をトレンディでしゃれていると思っているのか?


  それにしてもこれほど「ある意味」という言葉をよく使うのは、どういった気持からなのでしょうか。

  恐らく、最初は誰かが使っているのを聴いて、カッコいい、とかスマートだとか思って真似したのに違いないでしょう。

 それが意外に使い心地が良いと感じ、回を重ねていくうちに、次第に意味も使いかたも考えず、どこででも連発するようになったのではないでしょうか。

  要するに本人はこの言葉をトレンディでシャレていると思い込んでいるのです。ある心理学のサイトにこの言葉についての興味ある記事が載っていましたので下に引用します。


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「ある意味」という口癖から性格が分かる心理学


「ある意味」という言葉は、違う角度や視点で見たらという意味を含んだ言葉です。
「言い換えると」とか「別の言葉で言うと」などとよく似た意味の言葉です。

でも、「ある意味」が口癖の人の話をよく聞くと、違う角度や視点で見た話ではない場合が多いです。

別に、違う視点で見るわけでもないのに、いつでもどこでも普通の話であっても「ある意味」というのです。

実は、「ある意味」という言葉には、物事を直視せず、ぼんやりと内容を包み込み、あいまいに、婉曲的に表現する作用もあります。
そこで、明言や断言を避けて、自己主張をしたくない人、責任を取りたくない人が、この「ある意味」という言葉を使いまくるのです。
また、この口癖の人は、周囲との衝突を避けて、ケンカや争いは好まないタイプでもあります。

したがいまして、「ある意味」を頻繁に言う人がいたら、自己主張や争いを好まず、責任を取りたがらない人と判断すると良いでしょう。
どちらかと言いますと、気弱で、しっかりとした自分が確立しておらず、強い信念も持っていません。

最近の若い人達に多い口癖ですよね。
最近の若い人達は、強い信念や自己主張をぶつけて周囲と衝突したりケンカや争うことを嫌い、責任を取りたがらない傾向が見受けられますので、そのような気持ちを表現するためによく使われるようになった口癖と言えるかもしれません。

もちろん、現代の若者みんながみんな、責任を取りたがらず自己主張をしないと言っているわけではありません。
あくまでも傾向ですので、その点については、あらかじめご了承ください。

出典・「今すぐ使える新時代の心理学講座」


2018年9月1日土曜日

自分へのご褒美という言葉が気持ち悪い


ご褒美は他人からもらうもの


  耳にすると違和感やうっとうしさを感じる言葉はいろいろありますが、このところ気になっているのは「自分へのご褒美」という表現です。

最近この言葉を見たり聴いたりすることが次第に増えている気がします。  ということは、使う人が増えていることに他なりません。真似して使う人が多くなっているからなのでしょうか。

 でもこの言葉を気持ち悪く感じるのは何故なのでしょうか。

  最大の理由は言葉としての使われ方が不自然だからです。自分へのご褒美とは、自分自身が自分へご褒美を上げることを意味します。しかし、現実にそんなことができるのでしょうか。なぜならご褒美は人にあげたり、人からもらったりするものだからです。

  そのご褒美を自分が自分にあげることなどどうしてできるのでしょうか。自分へのご褒美と言っても、それは自分のお金でご褒美の品物を買うだけの話です。これをご褒美というのがおかしいのです。要は馬鹿げた言葉の誤用でしかありません。


自分を褒めてあげたい、もダメ


  自分へご褒美にニュアンスがよく似た言葉に「自分を褒めてあげたい」がありますが、この言葉も表現こそ違いますが聴くと違和感を感じます。

  自分が自分を褒めるというのは、自分に甘い人が言うことで、いわばうぬぼれの表れでしかありません。

  自分に厳しい人なら決してこんな言葉は使わないでしょう。そして自分を褒める代わりに人を褒め、ご褒美も人に挙げるに違いありません。


商売人は言う 「自分へのご褒美にこの際思い切って~を購入してはいかがですか」と


  「自分へのご褒美」や「自分を褒めてあげたい」は、もともと商売人が考えたセリフです。要するにそう考えさせることによってプレゼント商品をを売り込もうという魂胆なのです。

  それにまんまと乗せられのが自分に甘い人たちなのです。自分を褒めてあげたいとか自分へのご褒美などと甘いことを言っている人は商売人のカモになるだけです。


自分へのご褒美はナルチシズムのあらわれ


  ナルシシストとという言葉があります。日本語で言うと自己愛者なのですが、要は自分が愛しくて仕方がないひとのことです。自分へのご褒美などという人は典型的にこうしたタイプのひとです。

  こうした人たちは常に自分のことばかり考えていて、他人に対する思いやりが欠如しています。だからこそ本来は他人にあげるべきご褒美を、自分へのご褒美などと言ってしまうのです。

  自分へのご褒美はナルシシスト専用の言葉と考えて間違いないかもしれません。


英語に自分へのご褒美という表現はあるのか?


  自分へのご褒美を英語で言い表すと次のようになりますが、注目したいのは上のspoil myself を使った表現です。spoilには「甘やかして自分をダメにする」という意味がありますが、例文を見てもそれがよく表れています。


 (Spoil myself 例文)
I’ve really worked hard this year, so I ‘m going to spoil myself to a shopping spree today!(今年はすっごくがんばって働いたから、今日は(自分を甘やかして)買い物しまくるぞ!)

I don’t want to spoil myself with expensive sushi.
高価なお寿司を食べて自分を甘やかしたくないよ。


treal myself 例文)
But sometimes I treat myself to yukimidaifuku.
でも、時々、“自分にごほうび”で雪見だいふくを食べるんだ。