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涼子さんが行先を運転手に告げて、しばらくしてその地域に着いて、一軒目は電光パネルに〈満員〉の文字が映し出されていた。
そこを通過してさらに二百メートルほど行くと、今度は〈空室〉の看板があり、車はスッとガレージの中へ吸い込まれていった。
さっき彼女が運転手に行先を告げるのを聞いてから、久夫はその大胆さにすっかり驚いていた。男の自分だってああストレートには言えないだろう。何気なくその近くの地名を言うのが精一杯で、そこからは歩いていけばいいなどと思うに違いない。
だと言うのに涼子さんときたら、タクシーに乗るなり、何のためらいもなしに、さっと言ってしまったではないか。
「まっすぐ行って、橋を渡って左に曲がったところのホテル街」と。
中へ入ってからも涼子さんはずっと大胆だった。部屋へ着くや否や、奥のほうにある半透明のガラス張りのバスルームを見て「わあ、きれいなお風呂、早く入りたいわ。ねえすぐ入ってもいいでしょう」と、はしゃぐようにい言い、久夫がまだ何も答えていないのに、隅のほうへ行くとコートを脱ぎ、もうセーターに手をかけていた。
それでもさすがに少し恥ずかしそうな声で「ねえ横向いてて」とだけ言いながら、その後すぐ、勢いよくバスルームへ飛び込んで行った。
そうした彼女の天真爛漫さにすっかり感心しながら、久夫はドサッとソファーに腰をおろすとタバコに火をつけた。それを一息大きくすって、天井を見上げてふうっと煙を吐き出しながら思った。
どうやら今夜は彼女のペースになりそうだ。
★ ★ ★ ★ ★
あれからもう三ヶ月もたつ。涼子さん、その後元気だろうか。
あの夜、深夜三時ごろアパートへ送ってから、その後何度か彼女の店へ行きたいとは思ったのだが、でもその時はいつも懐具合がよくなくて、あれから今日まで一度も会っていない。
でも今夜はまた会えるのだ。ポケットの五万円を倍にして。
通路から広い観覧席の中央辺りまでやってきて、久夫がそんな気楽なことを考えて胸を弾ませているとき、また場内アナウンスが流れてきた。
「ただ今より第三レースの発売を開始します」
それがさも合図であったかのように、久夫は下腹にぐっと力を入れると「よし、いよいよこれからだ」とつぶやいて、勇んだ足取りでオッズの大型掲示板の方へと歩いていった。
日曜日で、これ以上は望めないと思えるほどの、最高の日和のわりには、人ごみはそれ程でもなかった。どうしてだろう?地方競馬はいま落ち目なのだろうか。それとも爽やかな五月晴れの今日のこと、みな家族連れでどこか郊外の行楽地へでも出向いたのだろうか?
意外と閑散とした場内を見渡しながら、久夫はそんなことも考えながら予想紙を握り締めて歩いていった。それでもオッズ掲示板の前までくると、さすがに人の数は多く、みな真剣な表情をして、掲示板と予想紙を交互に眺めていた。
第三レースの締め切り時間まで後十五分もあるせいか、みんなまだゆったりと構えていて、馬券売り場の方へ行く人は少ないようだ。久夫もそんな人の波の中へ入り、掲示板に目をやって、さあ何を買おうかと赤鉛筆を片手に真新しい予想紙をゆっくりと広げた。
五分くらい掲示板とにらめっこしたあと、結局このレースは〈1―3〉の一点張りでいくことにした。今日は穴狙いはやめてかたくいこうと、来る途中で決めていたこともあったが予想紙六つのうち、一紙を除くあのと五紙がこの〈1―3〉二重丸をつけていて、これを外す手はないと思ったからだ。また掲示板に目をやると、大本命にもかかわらず、この〈1―3〉の連勝複式馬券には五.四倍ものオッズが出ているではないか。
よしこれだ。これに決めた。この馬券に千円券三枚、かりにオッズが下がって五百円ついたとしても配当は合計一万五千円になる。元手を引いても一万二千円の儲けだ。さいさきいいぞ。
久夫はまるでその馬券が的中したかのような気持ちになって、そう決めると少し歩いて馬券発売窓口の前の行列に加わった。
久夫が並んだ窓口には先客が五〜六人しかおらず、順番はすぐにきた。手に握り締めた三千円を窓口の小さな穴に入れ、〈1―3〉三千円と気合を込めて言い、渡されたつるつるとした馬券を手にして、ゆっくりと観覧席の方へ進んでいった。コンクリートの階段を十段ほど上がり、中段の席に腰かけて時計を見た。発走まであと四分ある。さっきは人が少ないと思ったが、いつの間にか観客は増えていて、あたりを見渡しても、もうそれほど空席は見当たらなかった。
競馬場はやはり人の数が多いほうがいい、活気があって。閑散とした競馬場など侘しくていけない。そう思いながら、さて次のレースはと、また予想紙とにらめっこを始めた。
第三レースはやはり本命がきた。ゴール直前で、するどく差し込んできた八枠の馬にあわや三枠の本命馬が抜かれるかと思ったが、かろうじて首差で逃げ切った。「1―3や、1―3や」周りのあちこちで人々が叫んでいた。
「やった!予想どおり。一万四千円の儲けか。さいさきいいぞ」
さっき掲示板を離れる前に見た五.七倍というオッズを思い出しながら、久夫はそうつぶやくと、顔をほころばせながら席を立った。
つづく
次回12月4日(木)
