2025年10月27日月曜日

ビルの食堂街 「新しさ、華やかさ」だけで人が集まるわけではない

 


2024年開業JPタワー大阪


開業1年「JPタワー大阪」の様子を見てわかったこと

昨年7月大阪駅直結の便利さもあって華々しくオープンしたJPタワー大阪も早いものでもう開業から1年以上たった。

オープン時、特に人気を集めたのは地下1階から4階までの食堂街だったが、どこも押すな押すなの大人気で行列ができるほどの大盛況だった。

で、今はどうだろうと、1年少し経った10月23日木曜日の15時ごろ訪れてみた。

まず大阪駅から1本道で行ける2階フロア―をのぞいてみた。この階はオシャレな雑貨店や飲食の店が混在しているフロアーだが、オープン時の活況を見ているだけに、どれくらい人が入っているかに関心があった。

だが意外や意外、入口のカフェ以外は人影はまばらでどの店舗も閑散としていた。

上の階はどうかとエスカレータで移動してみたが、3階4階とも様子は変わることなく、中には一人の客も入っていない店舗もあったりして、まるで開店休業と言ってもおかしくないような状態だった。

ウィークデイの昼間15時頃とはいえ、これでは夜になって客足が回復しても、はたして黒字経営になるのだろうかと、他人事ながら心配になった。

これで思った。華々しくオープンし開業時に話題を集めたビルだとはいえ、華やかさと目新しさだけでは、決して人気が長続きするとは限らないことを。

 

大阪駅前第一ビル  開業55年を過ぎた今 人は集まっているか

大阪駅前第一ビルと地下食堂街



開業から55年  今も地下食堂街の人気は続いている

一方開業から長い年月を経た古いビルの食道街はどうだろう。大阪駅から徒歩約5〜6分のところにある大阪駅前第一ビルを見てみよう。

桜橋交差点の角というわかりやすい場所にある名の知れたビルである。1970年開業というから、すでにオープンから55年も経っており、建て直しが話題にのぼってもおかしくない築年数である。

このビルは階数はそれほどではないが面積が広くテナントの多さが自慢で、特に地下1〜2階の飲食店街は大阪キタでも群を抜いた規模を誇っている。

で、現在も流行っているのかどうかというと、それが大繁盛で、ちなみに写真に写っている「銀座屋」という居酒屋は、いつ行っても満員の大盛況なのだ。

これでわかったのだが、やはりビルの店舗は新しさだけで客を呼べるものではないのだ。

上述の「銀座屋」について最近ネットで見たのだが、数千軒もあると思われる大阪市内の立ち飲み屋人気ランキングで堂々第一位になっているから驚きだ。




2025年10月23日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈4〉直線コースは長かった(1)

 

adobe stock

                            

                       

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桜も散り青葉が目にしみる五月に入ったばかりの月曜日のその日、外には爽やかでこの上なく心地よい春風がふいているというのに、久夫は退社時の夕方になっても、まだむしゃくしゃした気分をもてあましていた。 

   

「ちくしょう、あのパンチパーマの野郎め!」

事務所を出て、いつものように駅前のバス停に向かって歩きながらまたこみ上げてくる新たな悔しさから、腹の底から呻くような声で呟いた。


ついこの前までは丸裸だった歩道のイチョウの木には、いつの間にかまた青々とした葉が生い茂っており、いつもなら延々とつづくそのイチョウの並木を感慨深く眺めて歩く久夫だが、その日だけはそれもとんと目に入らなかった。


 それにしてもうまく引っ掛かったもんだ。どうだろう、あの見事な騙されぐあいは、いったいあんなことってあるのだろうか?


バス停へ向かう道を半分くらいあるいたところで、昨日の競馬場での出来事をまた苦々しく思い出していた。


その日曜日も空は澄みわたっており、風は爽やかだった。

駅前から北へ向かい、街並みが少しだけとぎれて、自衛隊の駐屯所があり、そのちょっと手前に競馬場はある。久夫がそこへ着いたのは昼少し前で、ちょうど場内アナウンスが第二レースの発走まであと五分だと伝えていたときだった。


去年本社のある大阪からこの町の支店に赴任してきて、ここへ足を運ぶのは二度目のことだった。久夫は競馬にかぎらずギャンブルはあまり好きなほうではない。それなのに日曜日のこの日、昼前からここへやってきたのは、朝起きてベランダへ出たとき、空があまりにも青く澄みわたっており、吹く風がこの上なく爽やかだったからだ。


つまり、心地よい春の風に誘われてというわけなのだ。でも、正直いうとそれだけが理由ではない。三ヶ月ほど前、職場の同僚に誘われて、さして気の進まないままここへやってきて、よくわからないまま当てずっぽうで買った第七レースの穴馬券が見事的中して、千円券一枚が九万四千円にもなったのだ。その後のレースで一万円ほど負けたが、その日の儲けは八万円以上あった。


空の青さと風の爽やかさに誘われてやってきたと言えば聞こえはいいが、実のところ、あの日の甘い汁の味も忘れられなかったからなのだ。


入場ゲートを入って観覧席の方へ向かう長い通路を歩きながら久夫は思った。ポケットの五万円、帰るまでにはなんとか倍の十万円にはしたいな、この前のような大穴が当たることはないだろう、所詮あれはビギナーズラック、今日はかたそうな馬券ばかりねらって一レースずつ確実に増やしていこう。


それだとこの元手を倍にするのもそう困難なことでもないだろう。帰りにはこの五万円が十万円になっているか、悪くないな。そうだ、五万円勝ったら今夜またあの店へ行ってみよう。


〈涼子〉といったな、あの娘まだいるだろうか? それにしてもあの夜はラッキー続きだったもんだ。


観客席に向かって歩きながら、八万円勝ったあの日の夜のことをさも楽しげに思い出していた。


魚屋町は駅前の大通りを少し北へ進み、最初の交差点を渡ってから三本目の筋を左折したところの一帯にあるこの地方最大の歓楽街だ。半径三百メートルほどのこの一画だけでも、飲食店の数が三千店弱で、人口五十万の都市にしてはなんとも大きな数ではないか。


久夫は、酒は好きなほうだったが、普段はこの街にはあまり出入りしなかった。安月給の身にとって、この街のほとんどの店は懐具合からみて、いささか敷居が高かったからだ。


学校回りの教材のセールスマンになって今年で三年、まだ青二才の久夫が日頃よく行く店といえば、駅前の地下にある安スタンドか、路地裏の赤ちょうちんであり、一回の勘定が三千円を超えないところ、この数年間ずっとそうだった。でも競馬で八万円勝ったその夜は違っていた。


 さてどこへ入ろうか。その街の中ほどまで来たところで久夫は立ち止まってぐるりと辺りを見渡した。三ヶ月ほど前に来た〈ダート〉という店、確かこのあたりのはずだけど、いや待てよ、もう一本向こうに筋だったかなあ。歩いていてふと思い出したその店に行こうときめ、場所もうろ覚えのそのスナックを探して歩いていた。

 

 

二月の終りで、まだ時折冷たい北風が吹いているのに、久しぶりに踏み込んだこの街を行き交う人の数は思ったより多く、辺りはかなりの活況を呈していた。やはり今の世の中景気はいいんだろうか?バブルとか何とかで。


次の筋を左に折れると、すぐ左手に見覚えのある茶色っぽいレンガ造りのビルがあった。ああ、あそこだ。確かあの四階だったな。ビルの中へ入り、壁に貼った案内板で念のためフロアを確認してからエレベーターに乗ってボタンを押した。


ダートというあの店の名、ひょっとして競馬のダートと同じ意味なのだろうか。それとも的に向かって矢を投げるあのゲームのことかな? いやいや違う。あれはダーツだ。


オフィスビルのものと違ってずいぶんゆっくりと上がっていく小さなエレベーターの箱の中で、久夫は店の名前についてそんなたわいないことを連想しながら考えていた。  

四階の三軒並んだ店のうち、ダートはエレベーターからいちばん離れたやや奥まったところにある。このまえ来たときには、エレベーターを降りた瞬間、ワッと耳をついたカラオケの音が今夜は聞こえてこない。多分、時間が早いせいだろう 


  

黒っぽいドアを押して中へ入ると、正面カウンター席には誰も座っておらず、コの字型に曲がったカウンターの一方の隅に一人の男性客が座っており、この店のママさんと何やら楽しそうに話していた。


つづく


次回10月30日(木)

2025年10月21日火曜日

Webライター原稿料入金明細表のリアル ・シリーズ(1~4)の(2)


年金生活Webライターの告白 ネットで稼ぐのは楽でない(2)

シリーズ(1~4)



シリーズ(その2)



Webライターの仕事はどんな業者から発注されるのか


Webライターへ記事を発注する業者はいろいろありますが、企業などの法人だけでなく、意外と個人事業者も多く、私の場合は比率でいえば法人6、個人4の割合です。


個人で多かったのは自分で収益ブログを運営しているいわゆるアフィリエイターと呼ばれる人たちです。こうした人たちは仕事の効率を考え、自分で記事を書かずあえてWebライターへ発注するのです。


法人の場合は業種は多岐に及びますが、発注を受けたのは、ホテル、エネルギー、注文住宅、消費者金融などをはじめとしてトータルでは15業種ぐらいに及びました。


個人の変わり種としては医師からの発注がありました。企業の産業医をしている精神科医の方で、PTSDに関する原稿を苦労して書いたのを今でもよく覚えています。



報酬は業種によって大きく異なる


Webライターとしては駆け出しの新人でしたから、報酬は相対的に水準より低かったようですが、その額は発注者の業種によって異なっていました。


具体的に言いますと、最も報酬が良かったのが関東の注文住宅業者で、建売住宅の記事で1文字当たり2円で、新人Webライターの私にとっては申し分のない額でした。


次に高かったのはエネルギーに関する記事を専門に扱う業者で、1文字1.2円の記事を2年ぐらいの長期に渡りコンスタントに発注していただきました。こちらからの発注額はトータルで50万円ぐらいに達したのではないでしょうか。




(表5)


日付

会社名(相手先)

金額

累計

備考


2013/08/05

〇〇〇

19,628

291,538

ST氏個人名

2013/09/05

〇〇〇

22,428

313,966


2013/10/10

〇〇〇

21,996

373,462



(表5)は個人でアフィリエイターをやっている方からの入金記録です。


この方は個人とはいえ、発注件数が多いだけでなく、期間も1年以上続き新人Webライターの当方に大いに貢献していただきました。


記事分野は消費者金融が多かったようですが、このジャンルは当時はサラリーマン金融と呼ばれる分野で、業種として勢いがあり、記事の発注も他業種に比べ活発だったようです。


消費者金融は個人的にも若い頃の一時期比較的よく利用していたおかげ?で、その経験がものをいい記事作成に大いに役立ちました。



(表6)

日付

会社名(相手先)

金額

累計

備考

2014/11/10

〇〇〇

63,827

967,393

ホテル転職

2014/12/10

〇〇〇

60,516

1,048,781



(表6)は売上金額が高いのが目立ちます。それ故に個人的に印象が深い会社です。報酬が高かった理由は記事内容がが私の最も得意とするホテル分野であったからです。


私にはこの業種での勤務の経験が海外(ニューヨーク)も含めて20年以上あります。それ故に経験に即した内容のある記事を書くことができ、記事のクオリティには少なからず自信がありました。


上の記録では2件で12万円以上の売り上げになっていますが、文字単価0.8円とさほど高くはなかったのですが、経験値のおかげでスピーディに執筆が進み、時間効率的に非常にコスパが良かったことを覚えています。


余談ですが、この会社の経営者の方は非常に知識豊かで、Webライターの仕事で役立つことをいろいろ教えていただきました。



(表7)

日付

会社名(相手先)

金額

累計

備考


2015/03/10

カ)サムライファクトリー

15,500

1,101,520

しのびライティング

2015/04/10

カ)サムライファクトリー

3,500

1,114,640

(注)累計が合わないのは間の他の取引先の金額が入っているから


(表7)はあえて発注者名を明記していますが、今は無くなった東京の記事製作会社です。


クラウドソーシングが今のように発達する前の時期で、原稿料が極端に低かったことをよく覚えています。


売上金額ではわかりませんが、これだけの金額を上げるために書いた記事は、他と比べてケタ違いに多かったことを覚えています。


つまり1文字当たりの単価が低かった(多分0.2円ぐらい)ため、記事数で稼いだのです。仕事に恵まれない時期でありどんな仕事でも受けざるを得なかったのです。


(表8)

日付

会社名(相手先)

金額

累計

備考


2015/03/24

〇〇〇

9,620

1,111,140

ウィッグ


2015/04/27

〇〇〇

21,460

1,146,100

(注)累計が合わないのは間の他の取引先の金額が入っているから

 

(表8)は非常に変わった内容の記事のです。これはいわゆる2次下請けと言われるもので、個人のアフィリエイターの方が自分の受けた仕事を回したくれたのです。


それ故に原稿料も1文字0.5円と安かったのですが、リライト記事でしたので、女性用ウイッグというまったく知識のない分野でしたがなんとかこかすことが出来ました。