2010年7月22日木曜日

作家の顔は見ないほうがいい

ネット全盛の昨今では、つい見なくてもいいものまで見てしまう。

その一つが「作家の顔」である。

インターネットという便利なものがなかった時代にはすべて想像力に任せていて、姿かたちを知らない作家については、その作品からこちらの都合のいいようにイメージを思い描いていた。

だが今ではネット画像で簡単に実物像を目にすることができるため、それを目の当たりにしてしまうと、結果として作品から抱くイメージとの間にミスマッチを生じさせ、作品評価にマイナス材料を与え、読者としてのその作家への接し方が以前より消極的になったりすることがある。

今いろいろな分野で活躍する著名人の中で、およそ作家ほど「顔は見ないほうがいい」と思える職種は他にない。

容姿の整った映画俳優はもちろん、医者、弁護士、パイロット、一般のビジネスマンなどなど、ありとあらゆる職業に従事する人々で、作家のように「顔は見ないほうがいい」などと言える職種は他にはないのであるまいか。

何故なのだろうか?

それは作家と言う職業が何にも増して「知性」というものを売り物にするからではないだろうか。

それ故に読者は、接した作品の著者である作家当人の容貌に、はっきりと外に表れた知性を期待するのは当然で、いわゆる映画スターのような華やかなものでなくても、それが男性作家であれば、知性がにじみ出ているような、言わば「渋さのある」やや苦みばしったルックスを期待するのである。

そして女性作家の場合だと、そればなんと言ってもほとばしるような「知性美」ではないだろうか。

その結果、もしその期待にそぐわなければ、作品との間にミスマッチを感じて、それはやがて失望へと変わっていき、やがてその作家から遠ざかっていく原因になるのではあるまいか。

つい最近の私の経験でも、読みかけのエッセイ集で、直木賞受賞という立派な経歴を持つある女性作家の顔をネットを通して見てしまったがゆえに、その後そのエッセイ集を読み進めるのを中断してしまったということがあったのだ。

その画像に接してしまったのは、作品を読み進む中で「この作家、女性のわりには哲学的で難解な文章が多いが一体どのような容貌をした作家であろうか」というふうに感じて、その姿かたちに興味が湧き、ついネットを検索してしまったのだ。

そして結果として、期待はずれに終わったのであった。

故に、今後ともこうしたことを続けていけば、その内読みたい作家の作品の数は半減してしまうのではないかというような危惧感を抱くようになってきた。

したがって今後は「作家の顔は見ない」というをことを一つの原則として貫いていきたい。

本日こう決断を下したしだいである。



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