2014年6月15日日曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第9回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第1章・眠られぬ夜(その9)




マンハッタン西97丁目 第1章「眠られぬ夜」(その9) 

 
ールトンの仕事が休日であったその日、エセルに朝食のお礼を言うと、前々から予定していたタイムズスクウェアーへと出かけるため、すばやく身支度にかかった。

 僅かだが初雪の積もった外は寒そうである。いちばん厚手のジャンバーをクロゼットから引っ張り出してそれを着込むと手にマフラーをつかんで外に出た。 陽の光路上の雪がキラキラと輝いている。風もなく、思ったより寒くなかった。

 この分だと今日の雪はすぐ溶けそうである。凍結を心配していたエセルも喜ぶに違いない。少し溶けかけた雪の上を滑らないように気をつけてゆっくり歩いた。今日はチャーリーの店は素通りだ。中をチラッと覗いてみると、客は一人もおらず、カウンターの奥でチャーリーが新聞をいっぱいに広げて読んでいる。

 帰りが早かったら、また夜にでもきてみよう。そう考えながらフロードウェイ九六丁目の地下鉄乗り場へと向かっていった。

 どの街だってそうだが、昼前の地下鉄は空いている。まばらな人影のホーム立った修一の目に、柱に貼ったポスターの太い文字が飛び込んできた。

ニューヨーク市シティコード(1)唾をはくな。2)ちらかすな。(3)うろうろとほっつき歩くな書いてある。(1)と(2)はまず常識的だとしても、(3)がちょっと変わっている。(1)について言えばこちらへ来てまだ一度も路上に唾を吐く人を見かけたことがない。やたらにそうした光景を目にすることのある東京などでこそ、こうしたポスターが必要なのではないかと修一には思えた。
 
 ブロードウェイ九六丁目で乗車して、ローカルだと七つ目の駅がタイムズスクウェアーである。ここはニューヨーク最大の歓楽街。位置としてはマンハッタンを斜めに走るブロードウェイと七番街が交叉する辺り一帯を言うのである。

 かの有名なブロードウェイミュージカルが上演される大小の劇場、二十四時間オールナイト営業の数々の映画館、世界中のありとあらゆる国々の料理を提供するエスニックレストランなど々、およそ退屈などという言葉とは縁の無い、別名「不夜城」とも呼ばれるニューヨークが誇る偉大な歓楽街なのである。

 修一とて東京の都会育ち、新宿歌舞伎町あたりの歓楽街もしばしば経験している身であったが、なにしろここタイムズスクエアーはそのスケールが違う。見るもの、聞くもの、すべてがこの上なく華やかでエキサイティングなのである。

 ここの駅に降りてから、「その場所」で立ち止まるまで、修一はもう二時間あまりも、このタイムズスクエアーをあちこち歩き回っていた。一時間ほど前にも一度そこで立ち止まったのだけど、そのときはなんとなく入るのを躊躇って通り過ぎてしまった。

 そして辺りをグルグル歩き、再びその建物の前にやってきた。 入り口に「アダルトムービー」と書いた大きな看板はあるものの、日本だとその種の映画館に必ずある、あのけばけばしいポスターはない。もし、そこにアダルトムービーという表示が無ければ、何の建物かさっぱりわからないほど、入り口は地味で、かつシンプルなのである。 修一は今度は意を決して六ドル払って中へ入った。

  さすがはタイムズスクエアーのど真ん中、ウィークデイの昼間だというのに客席は七~八割がた詰まっている。暗い客席を手探りで進みながら、前方のスクリーンに目をやった。そしてそこに広がる予想以上になまなましい映像をを見て、思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。


 それから二時間以上もの間興奮しぱなっしであったせいか、外へ出たときの修一は少しぐったりしていた。辺りはすでにうす暗闇に包まれている。あちこちのネオンサインには色鮮やかな明かりがともされ、町の様相は入る前とはまるで一変していた。 タイムズスクエアーにはやはりネオンサインがよく似合う。


 この日修一がここへやってきたのは、なにも六ドルのアダルトムービーを見ることだけが目的ではなかった。

エールトンホテルのフロントで働いている修一のところへは、よく日本人宿泊客がやってきて、ニューヨークの観光についてあれこれ尋ねる。修一は客室を提供する「ルームクラーク」であって、そうした案内を担当する「インフォメーション係」ではなかったのだが、英語にあまり自信のない日本人客が多く、現地人の従業員を敬遠して、自然に修一のほうへと寄ってくるのだ。

 まあそれも人情であって仕方がない。ごくたまに若い女性の二人連れなどもあったが、たいていは男性客であっる。

 したがって当然のごとく案内先は昼間の観光コースにあらず、夜の歓楽コースであることはいた仕方ない。でも修一とてここへ着てまだ一ヶ月しか経っておらず、まだ人に案内できるほど知識はじゅうぶんではなく、正直言って彼らの期待にはじゅうぶん応えきれてなかった。

―これでは駄目だ。このホテルには日本人客が多く、修一を研修生としてフロントへ置いているのも、そうした日本人客へのサービスの一環であるのかもしれない。とすれば、なんとしてもそうした人たちの要望に応えなければならない。

 誰がそういったわけではないが、そう思った修一はニューヨークの観光、とくにナイトライフについて勉強する義務のようなものを感じた。

 この日こうしてタイムズスクエアーに出向いてきたのも、日本人客への案内のための実地調査という大きな目的があったのだ。


(つづく) 次回6月18日(水)


(第1回)  2014年5月28日
(第2回)  2014年5月31日
(第3回)  2014年6月 1日
(第4回)  2014年6月 4日
(第5回)  2014年6月 7日
(第6回)  2014年6月 8日
(第7回)  2014年6月11日
(第8回)  2014年6月14日

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