2021年5月1日土曜日

「人に支えてもらって症候群」なのだろうか?


「まわりの沢山の人に支えてもらって」という人がやたら多いが

例えば大会で優勝するなど立派な成果を挙げたスポーツ選手がTVなどでのインタビューを受けているのを見ていると、「周りの多くの人に支えてもらって」というようなセリフを口にする人がやたら多く、これに対して違和感を覚えて仕方がない。

一昔前だと決してこんなふうには言わず、その多くは「一生懸命努力した甲斐があって」とか「毎日の厳しい練習に耐えたおかげで」などの発言だったはずだ。

要するに今の選手は成果を挙げられたのは「周りの多くの人の支えのおかげ」、一昔前の選手は「自分自身が厳しい練習で努力してきたおかげ」というふうに原因が自他にはっきり分かれているのだ。

このことについて冷静に考えてみると、どうも一昔前の方が自然で、今の言い方は不自然ではないかと思ってしまう。

いうまでもなくスポーツの成果は日頃の練習によってもたらされるもので、その練習をするのは本人だ。

もちろんコーチや監督など周りの人の支えはあるだろう。でもそうした人たちはそれを仕事としてやっていることで、個人的に特別な世話をしているというわけではない。

それなのに選手から「支えてもらったおかげで」などと言われれば、なにか気恥ずかしい思いをするのではないだろうか。

 

「沢山の人に支えてもらって」は他力本願のあらわれか?

なにかにつけて「沢山の人に支えてもらって」と口にする人は、もし成果を挙げられなかったときはどういうふうに言うのだろうか。

まさか「周囲の人の支えがなかったから」とは言わないはずで、「努力が足りなかったから」とか「練習不足のせいで」などと、原因を自分のせいにするのではないだろうか。

だとすると成果を挙げられたのは周りの支えのおかげであり、成果が挙げられたのは自分のせい、ということになり、辻褄が合わないではないか。

このように考えると、やはり「沢山の人に支えてもらって」と口にするのは、正直な気持ちの現われとは思えない。

こうした発言は、たぶん周りの人に遠慮したり、あるいは自信のなさからくる他力本願の気持ちのあらわれなのに違いない。

 

「周りの人に支えてもらっ」は「させていただく」にニュアンスがに似ている

テレビの芸能人を筆頭に、このところなにかにつけて「させていただく」という言葉を使う人が多くなったようだが、こうした傾向は「させていただく症候群」とも言われ、どちらかといえば感心できない言葉遣いだ。

なぜかといえば、いかにもへりくだった自信なさげな表現だからである。

今回問題にしている「周りに人に支えてもらって」も「させていただく」と同様に、いかにも自信なさげで、言い方そのも他力本願的な物言いではないだろうか。 

 

「多くの人の支えのおかげ」より「努力の甲斐あって」の方良い

人々がやたらに「多くの人の支えのおかげ」と口にするのは、単に周りのi誰もがそう口にするので、自分だけ目立たないように、真似して言っているだけなのではないだろうか。

要するに本心で言っているのではないのだ。本心では、成果は自分が努力したおかげだと思っているはずだ。

とすれば、わけも分からず「周囲の支えのおかげで」などとは言わず、はっきりと「毎日の厳しい練習を耐えてきたおかげで」というふうに、はっきり言ったほうが、聞く人の耳には心地よく響くのではないだろうか。

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