2022年4月6日水曜日

新宿ゴールデン街にいってみた

 


東京へ行ったらぜひとも訪れてみたいとかねてより思っていたところの一つに新宿ゴールデン街がある。だがここ10年ほどの3回の上京ではなぜかそれははたせず、今回の4度目でようやく目的がかなった。

新宿駅からかなり離れていて場所を探すのに少し手こずったが、実際に目にしたのはネットなどで調べていた予備知識をはるかに凌ぐスケールの大きな姿だった。

店舗数は約200というが、5本の筋に分かれて店舗が広がっているせいか、規則正しく作られた四角形のように整然としたたずまいの飲み屋街である 

佇まいが他の飲み屋街と異なっているのは、かつて青線だったからなのか 

新宿ゴールデン街の特徴の一つは同じような形状の小さな店舗ばかりが密集している点である。

おおかたの飲み屋街のように異なった形状の大小様々な店舗が並んでいるのではなく、極めて小ぢんまりとした同じような外観の店ばかりが並んでいるのだ。

どの店も5~6人、多くても10人も入ったらいっぱいになるようなキャパの小さい店ばかりなのだ。

これは,かつてこの地域が青線(注1)だったからだと言われている。そのせいで、ひっそりと小さくて目立たない店構えが必要だったのだろう。  

かつては作家や映画俳優など文化人の客が多かった 

新宿ゴールデン街が有名になった理由の一つはその客層にある。。いまでこそそうでもないが、かつては常連客として作家を筆頭に、俳優、映画監督などの文化人が多くあつまることが人々の話題になっていた。

そのため、中には文壇バーと呼ばれる個性的な店も少なくなかった。こうして理由から、一時は東京のサブカルやアングラ文化の発信地と目されたこともあった。 

作家の田中小実昌はことさらこの街を愛していた 

上述のようにこの街は作家を中心に文化人の客が多かったが、中でも連日足繁く足を運んで、この上なくこの街を愛した人が作家の田中小実昌(注2)である。

惜しくも2000年にこの世を去ったが、生前は作家としてより、多少変人めいたところもあったが、その人懐っこい風貌と性格が人々を惹きつけていた。

その彼は自著のエッセイで新宿ゴールデン街について次のように語っている。

 


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田中小実昌のエッセイ「ぽくぽく子馬」抜粋  ほろ酔い天国より 

だいたいホステスなんてのがいない。新宿ゴールデン街は、もともと青線のせまい路地に並んだ、小さな飲み屋街で、客が五、六人か、十人も入ればいっぱいになるような店がおおく、たいていママひとりしかいない。こんな店はバーかスナックか飲み屋か、名前のつけようがなくて、こまることがある。 

ママのほかに女のコがいるような店もあるが、これだってホステスといった感じではない。。ホステスなんていったら、みんなふきだすだろう。ホステスのいないバー街。ホステスがいないどころか、ホステスという言葉さえおかしいバー街・・・ ゴールデン街はそんなところだ。 

新宿ゴールデン街は、お酉様で有名な花園神社のもとの青線、花園だ。新宿区役所の前を入っていくと、もとは都電の線路があり、これをこすと、ゴールデン街というアーチがたっている。 

いつだったかゴールデン街の路地にはいっていくと、きれいきれいにお化粧したゲイのおにいさん・おねえさんがコム草履をはいて走ってきて「お金ちょうだい」と、真っ赤にマニキュアした、ごっつい手をだした。「ね、千円ちょうだい。はやく、はやく、わたしいそがいんだから」ゲイ・バーの中ではない。ぼくは、ただゴールデン街の路地を歩いていただけだ。それにぼくはこのゲイさんの店で飲んだことがあっただろうか。   

まだゴールデン街なんて名前もなく、ただ花園とよんでいたずっとまえに、菜々ゾノの路地のいちばん奥にできた「お和」や「奈々津」。お和は週刊誌の記者やぼくなど、よくさわいだが、あそこにはピアノがあったなあ、と、このあいだ、奈々津で言ったら、「うちにもピアノはありますよ」と奈々津のママがピアノをゆびさした。「奈々津」はカウンターの上には鍋がならび、そのなかに、タケノコや魚の煮たのがはいっていたりする。ピアノがあるんだよなあ。 

「プーサン」も古い店だ。ゴールデン街では、いちばん大きなバーかもしれない。U字型のカウンターがあって、若手の噺家などが、さかんに歌をうたう。テレビの「クイズ・ダービー」で有名なマンガ家のはら・たいらさんも、よく見かける。ープーサンの路地だけでも、戸波山文明座長やなくなったたこ八郎など芝居の連中がよくくる「クラクラ」。ゴールデン街にしては紳士があつまる「花の木」「ナベさん」。この路地には「薔薇館」もあった。おキヨがママで・・・・あのころ。おキヨはいくつだったのだろう?。素人がどんな考えでか、ひょいと店をあける。ゴールデン街はたいていそんなふうだった。 

出典:《ほろ酔い天国》河出書房新社 

(注1)青線

1946年連合軍総司令部の指令によって日本の公娼(しょう)制度は廃止されたが,従来の遊廓地帯と私娼街を特殊飲食店街と呼んで,その女給と任意に行われる買売春は黙認された。この特飲街指定地域を〈赤線地帯〉といい,これに対し裏口買売春を行う私娼街を〈青線地帯〉と呼んだ。赤線青線の名は,地図上に赤線・青線で該当地域を囲んだことに由来する。1957年の売春防止法施行時には赤線およびこれに準ずる地域は全国1800ヵ所,業者3万9000軒,売春婦12万人(警察庁調)だった 百科事典マイペディア 

 

      (注2)田中小実昌

   小説家翻訳家。東京生まれ。東京大学哲学科中退。第二次世界大戦中、中国大陸を兵士として転戦、敗戦後復員して、東京大学に入学。新宿のストリップ劇場で働き、そこに集まる群衆と踊り子の生態をユーモラスに描いた随筆で認められた。1979年(昭和54)7月『浪曲師朝日丸の話』『ミミのこと』で第81回直木賞、同年9月『ポロポロ』で第15回谷崎潤一郎賞を受ける。小説にはほかに『自動巻時計の一日』(1971)、『幻の女』(1973)、『乙女島のおとめ』(1974)、『香具師(やし)の旅』(1979)、『海辺でからっぽ』(1986)などがあり、一見とぼけた軽い文体でつづられた私小説風だが、その〈私〉を突き抜けたところに展開する〈私〉の孤独に、この人ならではの魅力がある。

   古林 尚]

   『『自動巻時計の一日』(1971・河出書房新社)』▽『『ポロポロ』(中公文庫)』

         

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