2023年7月28日金曜日

牛丼は ごちそう なのでは

 最近 松屋、吉野家 すき家という三つの牛丼チェーン店に行って思ったことがある。それは、いまや安いファストフードの代表のように人びとに思われている牛丼だが、この食べ物はひょっとしてどんなものにも勝るごちそうではないのか、ということだ。


なぜそう思うかといえば、第一に決して値段が安くはない牛肉がどんぶりに盛り上がるほどふんだんに使われていて、豪華に見える上に、いつ食べてもとてもおいしいからだ。

すき焼きや、ビフテキでもわかるように、そもそも日本人にとって肉料理は高級なカテゴリーに属するはずだ。それなのにこれほどふんだんに牛肉を使った牛丼がなぜ安いファストフードとして扱われるのだろうか。


言うまでもなく、その第一の理由は並盛400円という価格の安さにある。外国人はどうか知らないが、えてして私たち日本人は値段の高い食べ物は高級で、反対に安いものは低級だと考えるふしがあるのだ。



こんな
ごちそうを差し置いて、他のメニューを注文する人のなんと多いことか

人々が牛丼のことを安物のファストフードと思っていると考えるのには大きな理由がある。

それは昼食時に入った牛丼店では、他のメニューばかり頼んで看板メニューであるはずの牛丼を注文する人が非常に少ないことがわかったからである

例えばある日の昼食時まっただ中に行った時には、中央のカウンター席に十人ほどの客がいた。

それほど広くないカウンターだから、周りの席の人の注文の様子はよくわかった。

皆何を注文しているのだろうか、と関心があったので観察してみると、なんと十人ぐらいのうち牛丼を頼んでいたのはわずか2人だけで、あとはすべて他のメニューを頼んでいたのだがのだが

注目すべきは品物の値段で、出るときほとんどの人が1200円とか1400円とかの1000円をはるかに超す金額を支払っていたのだ。

これは驚きではないか。なぜなら、この店が安くて早いを売り物にする牛丼専門店だからである。

素朴な疑問だが、この店に来てまで、なぜ人びとは安くておいしい牛丼を注文せず、倍以上の値段の他のメニューを選ぶのだろうか。

まことの不思議なことである。


吉野家、すきや、松屋 牛丼チェーン3店の比較


はやい、安い、うまい、は3店とも変わらなかった


今回は牛丼店を代表する3つのチェーン店を回って気づいたことを書いたが、最後にこの3点のサービスの違いや、、最近の規模や業績などを見てみよう。


まず牛丼チェーンのモットーともいえる はやい、安い、うまい、という特徴だが、これについては、どの店もきっちり守っており、3チェーンとも変わりはなかった。


3店が異なっている点といえば注文方法ぐらいだろうか、これについてはすきやが席にあるデジタル端末。松屋は入り国の券売型注文機、吉野家はカウンターでの口頭注文であるが、


モットーのはやいの通り、注文から品物が出来上がる時間ははどこもスピーディでほとんど差はなかった。


安い、うまい、に関しても、価格は3店とも並盛400円で同じ(ただし松屋だけ味噌汁つき)味は甲乙つけがたいほどどの店もうまかった。


牛丼チェーン店の売上ランキングは?

牛丼業界 売上高&シェアランキング(2021年-2022年)

順位

企業名

売上高(億円)

1

ゼンショー(すきや)

2,325

2

吉野家

1,070

3

松屋

729

2023/06/21



牛丼チェーン店舗数ランキング


                                                                       2021年  2022年    増減

1位

すき家

1,937

1,942

+0.26

2位

吉野家(※)

1,181

1,189

+0.68

3位

松屋

956

986

+3.14

4位

なか卯

464

461

-0.65








2023年7月21日金曜日

大相撲解説の親方が語っていたことが信じ難い

 



とある場所が始まったばかりの初日の日に

トイレで会った力士全員が「早く終わってほしい」と言っていた

これは4日前の7月17日大相撲名古屋場所NHK大相撲中継放送でのことだ。この日の担当は厚井アナと解説が舞の海と錣山(しころやま)親方だが、冒頭のタイトルのような問題と思われる発言をしたのは錣山親方である。

その発言とはこうである。

大相撲とある場所が始まったばかりの初日の日、錣山親方はトイレで用足しをしてたのだが、横には力士数人が並んでいた。そのとき親方の耳に横で話す力士たちの声が入ってきたのだ。

内容は意外にも「この場所が早く終わってほしい」というものだった。

それも一人だけの声でなく、並んでいた数人の全員が、「そうだ、そうだ」というふうに同調していたのが聞こえた、というのだ。

要するに中にいた全員が口を揃えるようにそう言っていたというのだ。

これを聞いた時は耳を疑った。なにしろ始まったばかりの初日のことだからである。

初日といえば、「今場所はどんな力士が活躍して、誰が優勝するのだろうか」と期待に胸膨らますのはファンだけでなく、当事者である力士も同じであるに違いない。

だというのにトイレにいた数名の力士全員が「はやく終わってほしい」と言っていたというのだ。

これが誰か風変りな一般の人が言ったのなら別だが、この話をしたのがNHK大相撲中継で、相撲界で重要な地位にある部屋の親方なのだから聞いた人が驚かないはずはない。

そうした立場にある人が、相撲に関すること、いい加減なことを言うはずがないと思うからだ。


期待で胸いっぱいの初日に「はやく終わってほしい」などと言う力士がいるのだろうか

しかしどう聞いてもこの話はおかしい。これが中日を過ぎていて、力士が少なからずの疲れを感じる頃の話だと、まんざらわからないこともないが、中日どころか、始まったばかりの初日のことだというから、驚きが大きいのだ。

大相撲はプロ野球やサッカーと並ぶ人気抜群のスポーツでファンも多い。それだけに当事者の力士たちはやりがいを感じて張り切って場所を迎えているはずである。

要するに力士の多くはファンに期待に応えようと張り切っているのだ。

そんな力士たちが始まったばかりの初日のトイレで何人もそろって「早く終わってほしい」などというはずがない。

ではこれは作り話だろうか。作り話でないとしても、事実を大きく脚色した話なのだろうか。

たとえば、一人の力士が、不安から「ああ今場所の成績が心配だなあ、できるだけ早く千秋楽がきてくれるといいのだが」というふうにでも言っていたのを、大きく盛って作り話にしたのではないだろうか。


近くで聞いていた舞の海と厚井アナの反応がなかったのが悲しい

この話で残念に思ったことはもう一つある。それはそばでこれを聞いていた解説者の舞の海や厚井アナが少しも反応しなかったことである。


二人が普通の神経の持ち主なら、おそらくこの話に違和感を感じたに違いない。そうなのだったら、何等かの反論めいた発言をしてほしかった。


しかし、二人とも無反応で何も発しなかったのだ。おそらく錣山親方に忖度してのことだと思うが、これは実に悲しいことである。


たとえ発言者に対する配慮があったとしても、例えば「それ本当ですか。ちょっと信じがたい話ですねえ」という程度の言葉が欲しかった。


2023年7月17日月曜日

驚異の割引率75% 10日間利用して価格はたったの4000円 「山陽電車シニアパス」は お得感で JR「青春18きっぷ」を凌ぐか


アクティブな高齢者にはなくてはならい超エコノミーで便利な乗車券


7月3日、7月に入って最初の月曜だが、この日は待望の山陽電車シニアパス夏版の発売日である。春夏秋冬年4回発行されるこの切符、たしか使い始めたのは去年の秋からだから今回で4回目になる。


今更ながら思うのはこの乗車券の抜群の経済性と利便性だ。ことに経済性の点では、例えばこの日は姫路駅からこのキップが販売される明石駅までやってきたのだが、その運賃はといえば、往復でたったの400円しかかからない。


これが通常運賃だと片道680円だから往復だと1360円で、なんと3倍以上にもなる。割引になるのは明石までではなく、さらにこの先神戸の西代駅まで同じ400円(往復)で行けるのだ。


これをエコノミーといわずになんと言おう。このシニアパス、上の4枚の写真でわかるように、今回のものを使い切るとちょうど1年になる。


「山陽電車シニアパス」と「JR青春18きっぷ」のお得感を比較してみると


1年間4枚使っても料金は合計16000円である。これだとJRの青春18きっぷと12050円とあまり変わらない。


なぜここで青春18きっぷを引き合いに出すかといえば、両者のお得感を比較したいからだ。


はっきり言ってこのシニアパスを知るまでは電車のキップで一番お得なのは青春18きっぷだと思っていた。


それもそうだろう1日利用なら日本中どこまで乗っても2400円しかかからないのだから経済的なことこの上ない。こんな安い鉄道運賃、世界のどこにもないかもしれない(インドやアフリカならあるかも?)と思っている。


でもこの山陽電車シニアパスを知って、そうしたこれまでの思いは少し変わってきた。つまり近距離とはいえ4000円で10日間自由に乗れるこのキップは経済性で12050円で5日間の青春18きっぷを上回っているのでは、と思えてきたのだ。


安くて便利な電車のキップは高齢者の宝物


たいていの高齢者は仕事に行かないから電車に乗ることが少なくなる。電車に乗らないと遠出ができないから行動範囲が狭くなる。行動範囲がせまくなると体力的にマイナスになるだけでなく、それ以上のデメリットは社会と接することが少なくなるので人や情報に対して疎くなることだ。


要するに人間音痴、情報音痴に陥るのだ。そうなると老化を早めるだけでなく最も恐れている認知症を呼び込むかもしれない。それだけはなんとしても避けたいものだ。そうならないためにも電車を利用して遠出したい。


それに役立つのが超安くて便利な山陽電車シニアパスなのである。

このすばらしい電車のキップこそ、高齢者にとっての何にも代えがたい宝物になるに違いない。


2023年7月13日木曜日

いつも長い行列ができる超人気店 姫路の立ち食い寿司屋って、どんな店?

 近くの神戸や大阪に比べて姫路はそれほど大都市ではないので長い行列のできる店など多くはない

でも一店だけ例外があり自慢したいところがあるそれはJR姫路駅の近くにある立ち食い寿司屋である

まず下の写真を見てほしいなにーこの行


列はと思いきやなんとこれだけで終わら


ずコーナーを左に曲がった店の正面側にもま


だ行列は続くのだ


これを見ていったいこの店どこにあっ


なんていう名前とという声が、あちこ


ちから聞こえてきそうだ




店の名前は 魚路トトロという


この店の名前は魚路と書いてトトロといい


ますなんとも味がありロマンを感じさせる


名前ではありませんか 



 

人気の秘密はズバリ安くて旨い















2023年7月8日土曜日

「新大阪ホテル」って ご存じですか

 かつて大阪中之島にあったクラシックで格調ある豪華なホテル


新大阪ホテル

Shin osaka hotel

1935-1973

大阪市北区中之島

3-2-18


大阪ホテルが大正13年に火災により焼失して


しまい、大阪に再び大ホテルの要望が沸き起


こっていました。


国の国際観光推進の機運から大阪市はその建


設のための資金をを国庫融資に頼ることにな


り申請を行い昭和6年から着工されました。



開業は昭和10年1月16日とずれ込むも、中之島


に再び大阪の誇る大ホテルが誕生しました。

 

 


国庫融資を受けたホテルの中では最も規模が


大きく、ベネチアンゴシック式鉄筋コンクリ


ート造の8階建のものでした。



昭和20年9月には他のホテル同様進駐軍に接収


され、その解除は昭和27年6月でした。昭和40


年10月には中之島5丁目に新規大規模ホテルを


建設、「大阪ロイヤルホテル」の開業であっ


た。



昭和45年に「大阪ロイヤルホテル」を吸収合


併。昭和48年に新大阪ホテルからロイヤルホ


テルに社名変更となる。



この前月8月31日をもって新大阪ホテルは閉鎖


された。


出典:JAPAN LABEL TOP

 



1935年の新大阪ホテルのパンフレット

 1935年(昭和10年)に、大阪市北区中之島


(現:住友中之島ビル)に開業した新大阪ホ


テル。現在のリーガロイヤルホテルの元とな


るホテルで、地下2階、地上8階建て、住友を


中心に関西財界が中心になって、大阪を代表す


る国際的ホテルとして開業したものです。



 パンフレットには、「Finest Hotel in the Far


 East」(極東一のホテル)と書かれています


。230室は全てバスルーム付き。三つのビルに


別れており、窓も全室に付いていました。



 パンフレットの写真からは豪華な開業当時


の様子が伺われます。大阪城は1931年に再建


されたばかりでした。当時の大阪は繊維産


業、満州、朝鮮半島、中国大陸との貿易も華


やかで名実ともに大大阪だった時代だった頃


です。パンフレットにも「大阪は観光客の関


心を惹く歴史的なものがあり、さらに近代的


産業に寄与する企業が集積しています」と書


かれています。

 


このパンフレットは、外国人向けにすべて英語で作られています。さて、気になる宿泊料。この豪華ホテル、シングルルーム一泊5円、朝食が1円50銭、昼食が2円、夕食が2円50銭です。  比較するのは難しいですが、1935年当時の物価は、たばこ(ゴールデンバット)7銭、新聞購読月90銭、 はがき1銭5厘、もり・かけそば 10 銭 、白米(10 キロ)2 円 50 銭だったそうです。  空調が整い、シモンズのベッド、電話や各種サービスを見ると、現在とはあまり変わらないレベルです。面白いのは化学実験室というのが紹介されていて、食材などの検査をしていますと書かれています。

 


パンフレットからは華やかな雰囲気だけが伝わってきますが、開業の少し前、1931(昭和6)年には満州事変が起き、ホテルが開業した1935年には国内では東京帝国大学名誉教授の美濃部達吉が天皇機関説で反国体的と非難され、国外ではナチス・ドイツが台頭していました。この後、坂道を転がり落ちるように、第二次世界大戦に突き進んでいくのです。平穏無事な平和な生活が、わずかな日数で崩壊することを私たちは歴史から学ばねばなりません。

 

 


地下2階、地上8階建。 1931年(昭和6年)10月1日着工 1935年(昭和10年)1月10日竣工 基礎は大林組 本体は清水組