2025年5月1日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈2〉うわさ 台風 そして青空(3)

 



〈前回まで〉H市のフランチャイズ学習塾塾長の砂田は本社社長小谷から妙な話を聞かされた。それは砂田の部下である男女の講師についてのことで、二人が生徒を引率したサマーサマーキャンプ場の誰もいない深夜の食堂で、いかがわしい行為をしていた、という本部社員間での噂についてであった。だが砂田はそれを信じなかった。「婚約を交わしている間とはいえ、あの二人に限ってそんなことがあるはずがない、きっと何者かが仕組んだ陰謀に違いない」と強い疑念を抱いたのだ。そして「放っておく訳にはいかない」と、真相解明を決意し、その第一段階として噂の当事者である二人の講師(浜岡康二と南三枝)に、当時の事情を聞くことから着手した。本部から戻った夜、最初に電話した浜岡康二は留守で、仕方なく南三枝から事情を聞くことにした。


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 三枝はしばらく返す言葉が出なかった。寝耳に水とはこのことなのか。塾長は言った。一ヶ月前夜のキャンプ場の食堂でわたしと浜岡さんが・・・。

 信じられない。わたし達に関してそんな汚らわしい噂が本部で広がっているなんて。


 でもどうしてなのだろう? どうしてそんな噂がたったのだろう?

 夜の食堂、そう言えば二日目の夜にそこへ行くには行った。その夜十時から始まる付添いで参加した講師たちの打合せの席で食べるオニギリが足りないということで、リーダーに頼まれてわたし一人がそれを作りに行ったんだわ。


十個ぐらい作って、やっと半分できたと思っていたところに、『手伝おうか』と浜岡さんが入ってきて、二人だ更に十個ぐらい作って、お盆にそれを乗せてテーブルの上に置き、『打合せまでまだ二十分もあるし、ここで少し休んでいこうか』と言った浜岡さんの言葉にうなづいて、二人でいちばん隅にあった長椅子に腰掛けて話していたんだわ。


 本部社員の浅井さんと木島さんが入ってきたのは、それから五分ぐらいたってからだったかしら、二人とも最初はそこにわたし達がいることに気がつかなかったみたいで、何やら楽しそうに談笑しながら入ってきて、まぶしいからと言って、つい少し前浜岡さんが消した四つの蛍光灯のうち、三つのスイッチを一斉に入れ、パッと部屋が明るくなってから、浅井さんだけがこちらに近づいてきて言ったんだ。『おや、そこに誰かいるの?』と。


 どうやら彼らはわたし達が夜食用のオニギリを作りに来ていることを知らなかったみたいで、ドアーの側に立っていた二人とわたし達が座っていた長椅子との距離は十メートル近くあり、おまけにテーブルを仕切ってあるツイタテに隠れていて、見えたのはお互いの顔だけだったけど、あのとき浅井さん『何だ、浜岡くんと南さんじゃないの。いま頃こんなところで何してるの?』

そう言いながら、ニヤッとした何か意味ありげな目つきでわたし達を見てたんだわ。


二人はわたし達の側には近づいてはこず、今度は木島さんのほうが『そろそろ打合せが始まるよ』と言って、二人はそのまま外へ出て行った。


浜岡さんとわたしがいやらしい事してたっていうのは、あのときのことなのだろうか?  そうだ、そうに違いないわ。あのときのわたし達を見て、勝手にイヤラシイ想像をして、あんな噂を流したんだわ。あの二人が。


 「南くん、ねえ南くん。何とか言ってくださいよ。ぼくもこんなこと本当に聞きづらいんだ。でもさっきも言ったように」

 文夫はチラッと腕時計に目をやりながらそう言ったものの、心の隅では今夜はこれ以上彼女を追及するのは止しておこうか、とも思っていた。

 

 「塾長、わたし悔しいやら情けないやらで涙が出そうなんです。でももしそんな噂が流れているのでしたら、わたしもはっきり釈明しなければなりません。もちろん浜岡さんだって同じでしょうが。わたしが考えていて一つ気づいた点があります。


じつは二日目の夜、わたしと浜岡さんが食堂で夜食用のオニギリを作っているとき、とつぜん本部社員の浅井さんと木島さんが入ってきたんです。 ひょっとしてあのときのことをあの二人が? 


でも塾長、今夜はもう遅いですし、わたし少し混乱しています.この続きをお話しするのは明日では駄目でしょうか.もしそれでよろしかったら,明日のお昼前に事務所のほうへお伺いしますけど」


 そう言った三枝の声は悔し涙でも流しているのか、僅かだが震えているようだった。

 「分かりました。明日でけっこうです。浜岡君にも朝いちばんに話を聞いて、その後あなたとお会いしましょう。夜遅くこんなことで電話して申し訳なかったね。では今夜はこれで」


 三枝には極力冷静さをつくろって、そう言って電話を切ったが、瞼の奥には三枝から名前を聞いた本部社員の浅井と木島の姿が浮かんできて、今回の忌まわしい噂を流した張本人はあの二人なのかと、文夫の胸には次第にムラムラとした怒りの感情がこみ上げてきた。


 それでもまた時計に目をやり、既に十一時を過ぎているのを確認し、とにかく今夜はここまでで、後は明日だと、グッと拳を握りしめながら、そう自分に言い聞かせて事務所を出ると、来るときと違って今度は階段をゆっくり下りて真っ暗な外へ出て行った。


 暑さは既に峠を越しているとはいえ、まだ心地よい秋風は吹いておらず湿気を含んだ生暖かい微風が文夫を頬をまつわりつくように撫でていた。

 辺りには人影はなく、車道の車の波だけが規則正しく流れていた。その波の中からやってくるタクシーに向かって手を上げながら文夫は小さく呟いた。

 「南くん、ぼくもどうやら今夜はよく眠れそうにないな」


つづく


次回 5月8日(木)