2026年2月6日金曜日

とある外資系ホテルCEOと私 二人に関する過去のおはなし (Part 1~3)の(2)

 


(Part 2)


1972年秋 NYのホテル研修を終え帰国

ヒルトン職場研修では多くのかけがえのない成果を得た


1972年の秋、私は1年数カ月のNYのホテルでの研修を終えて元のホテルプラザへ戻ってきました。


スタットラーヒルトンで勤務した職場は主にフロントオフィスでしたが、それなりの研修成果はありました


具体的に上げてみると第一はこちらの職場は会議やミーティングが極端に少なく、その代わりにスタッフへ届くinteroffice correcepondenceと呼ばれる通達文書があります。


いわゆるオフィス内文書ですが、関連部署のマネージャーからスタッフ一人一人に当てて届けられるのです。


現地の社員にとってはこれは単なる連絡文書でしかないでしょうが、私にとってはそれだけで終わらず、もう一つ別の大きな意味がありました。


というのはこれは英語で書かれた職務文書であり、生きたビジネス英語の格好の教材となったからです。そうした文書が在籍中に100通近くも届いたのです。



第二は、ヒルトンのフロントオフィスには15名ほどのスタッフがいましたが、私以外はすべて現地の外国人ばかりでした。


そのため否応なしに使う言語は英語だけですが、これが英語力の上達に大いに寄与してくれました。


日本とは大きく異なる米国ホテルの経営形態


三つめは、日本と大きく違うアメリカのホテルの経営形態が学べたことです。


日本では英語ができるということがスタッフの条件になっていることもあり、フロントオフィスには比較的優秀な人材が配置されていました。


しかしこちらでは英語ができることは当たり前のことですから、FOのスタッフに特に有能な人が配置されることはありません。


有能なスタッフは経営サイドである企画とか広報、あるいはマーケット部門に配置されているようです。


その証拠に私が職場でもらった通達文書は、セールスマネジャーやマーケティングマネージャーからのものがずいぶん多かったようです。


フロントスタッフは誰もが堂々として客に対峙している


これは学んだというより、むしろ驚いたと言った方がいいかもしれませんが、こちらのスタッフはサービス業だとは言え,客に対してむやみにペコペコした態度をとることなく、むしろ堂々として対峙していることです。


要するに客は従業員より上、という感じがなく、人として対等の立場で対応しているのです。


それが良く表れるのが言葉遣いです。


もちろん言葉の語尾には相手を敬う、SirとかMa'amをつけますが、それ以外はごく普通の言葉遣いで通しているようです。


これは、客に対しては少なからずへりくだった表現が多くなる日本の職場とは大きく異なるようです。


その象徴的なシーンを目撃したのは、当時アメリカの大統領のジョンソン氏がこのホテルを訪れた時のことです。


応対したのはFOのチーフを務めるショーン・フレディでしたが、彼がカウンターから手を伸ばして、ジョンソン大統領と堂々と握手していたシーンが忘れられません。


NY研修から戻った私に、Yが突然「NYのホテルの資料を見せてくれ」と言ってきた


上でも書いたように、1972年の晩秋、私はトレイニーとして出向していたニューヨークのスタットラーヒルトン(後のホテルペンシルバニア)から元の職場ホテルプラザに戻ってきました。


新しいポストは接客課のアシスタントマネージャー(係長)でした。


一方Yの方はというと、30歳を過ぎてまだ間もないのに、既にホテルの重要ポストである副支配人(課長職)についており、20人ほどいた同年齢の中で最も出世が速い3人のうちの1人に入っていました。


そんな彼は周りから「やはり青学(青山学院大)出身は違うな」と羨望の目で見られていました。


羨ましく思ったのは、私も同様であったのはいうまでもありません。


それほど親しくもないYに貴重な資料を貸したのは大きな失敗だった


同期の誰より出世がはやく、皆から羨望の目で見られていたYですが


その彼がNYから戻ってきたばかりの私のところへ突然やってきて、なんと、「アメリカのホテルの資料を見せてくれ」というではありませんか。


はっきり言ってYと私はそれほど懇意ではありません。ふだん出会ったとき軽い挨拶を交わす程度の中でしかなかったのです。


それなのに私が苦労して得た貴重な資料を貸してくれ、と気軽に言うのです。


その厚かましいともいえる神経には理解に苦しんだのですが、その時の私は彼の申し出に対して、理由を尋ねるとか、あるいは何らかの条件を付けるなどということはまったくなく、申し出をすんなり受け、数十点にも及ぶ資料を手渡したのです。


好意によるものといえばそれまでしょうが、大きな代償を払って手にした貴重な資料を特に親しくもない職場の同僚に無条件で安易に貸し与えたことは、私の職業人生に汚点を残す大きなミスであったように思います。


これは後にわかったことですが、要するに彼は私をうまく利用したのであり、利用された私がバカだった、と言えるかもしれません。


Part 3へ続く