2021年9月27日月曜日

指導的立場にある人は「させていただく」と言ってはいけない


 テレビに出演する国の指導者に失礼を承知であえて苦言を呈したい 

コロナ禍のいま、テレビにはコロナ担当大臣をはじめ、国の指導的立場にある人が連日のように登場している。

それ故にいろいろ気になる点がや耳についてくる。もちろん良い点もあるのが、気になるのだからどちらかと言えば悪い点である。

その中にはどうしても看過できず一言苦言を呈しておきたいこともある。

政治家という国のトップに君臨する方々ゆえに「失礼かも」と言いづらい点もあるのだが、指導者だからこそ、良くない点は修正していただきたく思い、ここであえて指摘する無礼をお許し願いたい。 

 

人を指導する立場の政治家がなぜ「させていただく」と言わなければいけないのか 

いまテレビによく出演する芸能人を筆頭に、いわゆる「させていただく症候群」の人たちが多く見受けられます。彼らは発言の多くに、「させていただく」というへりくだった表現を挟むのがごく普通になっています。

たとえば

・この番組に出演させていただいたおかげで

・昨日友人と一緒に食べさせていただいた中華料理は

・散歩の途中、公園のベンチで少し休憩させていただきました。

 というような具合です。

 

これらの表現で仮に「させていただく」を使わず「~して(した)」というふうにすると次のようになります。 

・この番組に出演したおかげで

・昨日友人と一緒に食べた中華料理は

・散歩の途中、公園のベンチで少し休憩しました。

 

どうですか、こちらの方が上よりよほどスッキリしているとは思いませんか。

これでわかるように、あえて「させていただく」という表現を使う必要はまったくないのです。

にもかかわらずこれを使うのは、へりくだった表現を用いることによって、相手の受けを狙ったり、好意を得ようとする下心から、相手を慮っているふりをしているだけなのです。

要するに何らかの下心あっての表現なのです。「させていただく」に限らず、敬語表現が時として気持ち悪く聴こえる事があるのはこのためなのかもしれません。

話が少しそれましたが、「させていただく」という表現にはこのような背景があるのです。にも関わらず、なぜ国民の指導者である政治家がこれを使わなければいけないのでしょうか。

こうした言葉づかいを聴くと、まるで国民が政治家を指導しているようで主従が逆転しているようではありませんか。

国民は政治家のへりくだった物言いなんか少しも聴きたくありません。指導者なら指導者らしく、自信をもった言葉を使ってほしいのです。

でなければリーダーシップが疑われ国民は信じてついていく気にはなりません。

 

リーダーシップが乏しく、人がついてこない

政治家に必要なのは、国民を引っ張っていくリーダーシップです。それなのに、「させていただく」というような人におもねる発言をしていて、どうして国民を説得し、追随させることができるのでしょうか。

こうした発言しかできない指導者に対して、人々は自信のなさを見抜き、リーダーシップの片鱗さえ見られないと、早晩愛想をつかすのが関の山です。

 

ため口が心地よく、敬語が気味悪く聴こえるのはなぜ?

ところで、若い娘などがよく使う、ため口ことばを聴いたことがあると思いますが、このため口言葉、聴きようによっては随分失礼だと感じることがあるのですが、反面、いかにも飾り気がなく、素朴さ丸出しで、そのために言いようのない親しみを感じませんか?

こちらのこと警戒している様子が少しもなく、それが温かさや親近感を感じさせるのです。

一方「させていただく」のような敬語じみた発言だったらどうでしょう。表現者を遠くに感じて親近感が乏しく親しみも湧いてきません。

敬語が気持ち悪く聴こえ、ため口が心地よく感じるのは、言葉のこうした効果によるものに違いありません。

政治家をはじめ、国民の指導者たる人たちには、こうした効果をよく知った上での発言が望まれます。

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