2024年7月9日火曜日

「外見で人を判断してはいけない」は正しいのか

 


近頃ルッキズム(注)
という言葉をよく聴く。つい最近も週刊誌AERAでルッキズムに走る近頃の若者の生態を追った記事を読んだ。ルッキズム、見た目至上主義のことだ。

つまり、人は見た目が第一で、それが悪ければ、人生での成功はない、とまで言い切っている。

だが一方、子どものころ「見かけだけで人を判断したらいけませんよ」と、学校の先生や親などからいわれた経験がある人は多いのではなかろうか。

こうしたことを言われた人が西洋の偉人が言った「外見で人を判断しないのは愚か者である(オスカーワイルド)」という格言を知ると、いったいどちらが正しいの?と混乱してしまうに違いない。

でもよく考えてみると「外見で人を判断してはいけない」は言葉として不十分な表現ではないだろうか。

これってたぶん外見が良くない人を指して言っているのだろうから、正しくは「外見が良くないからと言って、それだけで人を判断してはいけませんよ」となるのではあるまいか。


(注)ルッキズムとは

ルッキズムとは、外見を最も重要な要素として人間の価値を測る考え方、またはその考え方によって他人や自分自身を判断したり差別したりすることです。日本語では「外見至上主義」とも呼ばれます。google (AI)


人は日常的に外見から人を判断している

人はよく「あの人はやさしそうだ」「あの人は怖そうだ」「あの人はサラリーマン風だ」「あの人は力仕事関係のようだ」などというが、これはつまり人を外見から判断しているのではないだろうか.。

いうまでもなく目先で人を判別しているのであるが、このようなことは誰もが日常的にやっているごく普通のことなのではないだろうか。

なのに「人を外見で判断してはいけませんよ」などと、今さらながら大人が子供に対して言うのは口先だけのきれいごとに過ぎないと思えてくる。


かのオスカーワイルドは

「外見で人を判断しないのは愚か者である」と言っているが

オスカーワイルドの言うこの言葉について考えていると、なぜか「性善説を信じる日本人」というテーマが頭に浮かんできて、二つは同質の問題ではないか、と思えてくるのだ。

つまりこれら二つは、どちらも「お人好し」と言われている日本人特有の、錯覚からくる「思いこみ」なのではないだろうか。

それはお人好し人間が抱きやすい「人のことを悪く思ってはいけない」という、気の弱さが元になった「思いこみ」である。

人はよく「人を見る目がある」とか、その逆の「見る目がない」ともいう。では「見る目がある、ない」とはどのようなことを指すのだろうか。

いうまでもないことだが、「見る目がある」は、外見だけで相手の本質を判断する力があることであり、逆の「見る目がない」はそうした能力が劣ることを指しているのだ。

オスカーワイルドが言っているのは、まさにこのことに違いない。

 

オスカーワイルド

オスカー・ワイルドは、アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。 耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動を行ったが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。

ウィキペディア

 

『ルッキズム」に関する記事

「整形に向かう中高生、入学時と卒業時まるで違う顔も 広がる過剰なルッキズム」

AERA 2024年6月10日号


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