2025年8月9日土曜日

書評 みんなの図書室(1&2) 小川洋子 PHP文芸文庫

 




小川洋子は書評の名手

紹介されている本は どれも読みたくなる

書評を分かりやすくいうと「本の紹介文」とか「読書感想文」などが適していると思う。紹介文が良いほど、人はその作品を読んでみたくなる。この「みんなの図書室」は文庫2巻に分かれているが、最初の1巻には50冊が紹介されている。ということは50篇の紹介文が載せられているのだが、一篇づつ読んでいくと、どれもが面白そうで、興味がわく作品ばかりで「読んでみたい」と思わせるのだ。要は著者小川洋子さんが本の紹介文が上手な人だからに違いない。読み進めながら、この本まだ売っているだろうか?と、アマゾンの在庫を何度調べたことだろう。

個人的なことでの余談だが、小川洋子氏に関しては、以前、彼女の作品上で、とても貴重な本を教えていただき、感激した記憶がある。それは、藤原てい(作家・新田次郎の妻)著「流れる星は生きている」という作品で、終戦後に何人もの子供を連れて満州から引き揚げてきた体験を綴ったもので、同じように母とともに満州から引揚げて日本に戻ってきた私にとって、筆舌に尽くしがたいほど厳しい「引き上げの真実」を知る上での貴重な書物であったのだ。

その時は、小川洋子という人はジャンルを問わず幅広い作品に目を向けて、読書に精を出す優れた小説家だと、いたく感心したものだ。

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内容説明

次の世代にも残したい文学作品―いわば“文学遺産”と呼ぶに相応しい50作品への思いと読みどころを、読書家として知られる小説家・小川洋子が綴った一冊。森鴎外『舞姫』、角田光代『対岸の彼女』、チェーホフ『桜の園』、ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』といった小説だけでなく、児童文学やノンフィクション、詩集にいたるまで、バラエティに富んだ古今東西の名作を取り上げている。


目次

春の本棚(『あしながおじさん』ウェブスター―ラストに明かされるおじさんの正体は?;『生れ出づる悩み』有島武郎―強力な絆で繋がる、悩める「私」と「君」 ほか)
夏の本棚(『一千一秒物語』稲垣足穂―飛行家を目指した作家が紡いだ幾多の掌編;『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』ポール・オースター編―全米から集められた事実に基づいた物語 ほか)
秋の本棚(『蟹工船』小林多喜二―時代を超えて読まれるプロレタリア文学の代表作;『竹取物語』―再読して初めて知る意外なエンタメ性 ほか)
冬の本棚(『デューク』江國香織―思わず涙を誘う亡き愛犬への想い;『若草物語』オールコット―四人姉妹の毎日が示す至高の理想 ほか)

著者等紹介

小川洋子[オガワヨウコ]
1962年、岡山県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。1988年、「揚羽蝶が壊れる時」で第7回海燕新人文学賞、1991年、「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞を受賞。2004年、『博士の愛した数式』が第55回読売文学賞、第1回本屋大賞を受賞。同年、『ブラフマンの埋葬』で第32回泉鏡花文学賞を受賞。2006年、『ミーナの行進』で第42回谷崎潤一郎賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

出典:紀伊国屋書店ウェブストア



2025年8月7日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈3〉ナイトボーイの愉楽(4)

     

adobe stock

「ナイトボーイの愉楽」 どんなお話?


舞台はまだチンチン電車やトロリーバスが走っていて、今 

比べて高層ビルがうんと少なくいくばくかののど

残っていた昭和37年頃の大阪

20歳になったばかりの浜田道夫は中之島のGホテルでナ 

イトボーイとして働き始めた

昼間は英語学校に通っていて、出勤するのは夜9時からだ

が、人とはあべこべの生活スタイルになかなか慣れず、最 

の頃は遅刻を繰り返しておりいつもリーダーの森下さ 

んに叱られバツとして300ぐらいある客室へ新聞配 

 ばかりやらされて腐っていたそんな道夫にこの上なく

 がときめく出来事が巡ってきたホテルへ通ってくるセ

シーな美マッサージ師の11番さんに声をかけられ

 のだ 

「お歳いくつ?、昼間は何しているの?」と。

 4


 「杉山さん,どうですか 今日の売上は?」

 ロビー左端の階段を十段ほど上がり、中二階にあるティラウンジのサービスカウンターの前まで来て、中で暇そうに立っている杉山に声をかけた。


 「さっぱりだねえ。この一時間で客はたったの三人だけ。なにぶん陽気のいい春の宵のことだし、みんな外へ夜桜見物にでも出かけているんだろう」 

 今しがたあくびをかみ殺したような潤んだ目をしょぼつかせながら杉山が答えた。


 リーダーの森下さんに次いで古参の杉山さんは今年二十二歳の大学四年生。年齢こそ森下さんと同じだが、アルバイトとはいえ、大学入学前の浪人時代から始めていて、もう四年以上もこの仕事を続けており、入って二年以下がほとんどというナイトボーイの中で、森下リーダーとともに道夫などが最も気を使う相手である。


 「ところで浜田、今日はチェックインも多かっただろう。どうだチップのほうは?」

 杉山は道夫があまり答えたくないことを唐突に聞いた。この杉山はナイトボーイの資金管理係をしており、皆からは資金管理部長と呼ばれていた。


一応、固定給制で働いている道夫らは給料以外の収入、つまり客から貰うチップについては申告制がとられており、丸ごと自分のものには出来ないのだ。


 毎日、朝の終業時になると、この杉山が一人一人に前日のチップの総額を報告させ、その半額を集めて資金としてプールするのだ。そしてそれは一ヶ月ごとに集計されて、またそれぞれに還付される。


でも額はというとだいたい申告した額の四割程度に減っている。あとの六割はどこへ行くのかというと、約二割が森下リーダーと杉山さんの取り分であり、同じく二割が夜勤に当たったフロント係へのお礼となり、残った二割がレクレーション資金としてプールされる。


森下リーダーとこの杉山さんに二割がまわるのは、彼らが任務上チェックイン業務に当たらないからなのだ。


 道夫は前々から、この杉山さんにはどうも頭が上がらない。 と言うのは、貰ったチップの額をいつもごまかして申告しているからなのだ。


 もちろんこれは道夫に限ったことではない。極端に少なかった日は別にして、みな貰った額の七割位しか報告しない。気のあったボーイ同士の内輪話でそのことは良く話されており、事情はよく知っていた。


 ついさっきエレベーター係りを代わったばかりの下津さんなんか、この一年、三割以上報告したことがないと、いつだったか、こっそり道夫に話していた。

 

 杉山さんに「今日のチップどうだった?」と聞かれた時、それに答えたくないと思ったのはそんな理由からだった。でも黙っている訳にもいかないので、その場しのぎの答えをした。


 「普段どおりですよ。チェックインの数はいつもより少し多かったかもしれませんが、僕は十一時からエレベーター当番だったでしょう。今夜はその時間帯に着くお客さんが集中していたみたいで」 


そう答えたものの、ひょっとして杉山さん、僕が最初の新婚客のチェックインに当たるところを見ていたんじゃないかなと、ちょっと不安な気持ちが脳裡をかすめた。でも杉山はそんな道夫の答えを別に勘ぐりもせず、「あっそう」とだけ言うと、あと一時間残ったティラウンジのサービスを道夫に引き継いで、さっとロビーの方へ下りて行った。


 そんな杉山の後ろ姿を見つめながら思った。 杉山さん、あれでなかなか鋭いからなあ、 ちょっと多めにごまかした日に限って、「あれっ浜田、昨夜はこんなものか?」などと言ったりしてドキッとさせる。明日の朝もまたそう言われるんじゃないだろうか。


 ついさっきまでは明日の申告は二千円ごまかして千五百円にしておこう、と考えていたのだが、ここへきてその考えが少しぐらついた。そして、今夜せめてもう二〜三回チェックインがあればなあ、それで貰った分を上乗せして申告できるんだけどな。などと随分虫のいいことを考えていた。


 杉山さんから引き継いだ後もラウンジは暇だった。

 前からいた夫婦らしい初老の白人カップルがオレンジジュースのおかわりをして、少し前に来た黄色い服を着た三十年配の日本人女性に紅茶を出して、三十分の間にしたことと言えばそれだけだった。でも時計が十一時四十五分になり、あと十五分すれば閉店だと思っていたところにやって来た二人の客が少しやっかいだった。


 一人はアメリカ人らしい中年の紳士。もう一方はそれより大分若いビジネスマン風の日本人。 たぶんコーヒーか紅茶の注文だろうと、グラスの水を運んでいくと、メニューを見ていた日本人客の方が、「フレッシュオレンジジュースとミックスサンドイッチを二つづつ」とぶっきらぼうに言った。

 それを聞いて道夫は少し躊躇した。 コーヒーと紅茶、ボトルに入ったジュース類、それにペストリー(ねり粉菓子)数種、夜十時以降のサービスカウンターに用意しているものはこれだけである。あとはすべて地下にある深夜営業のバーの厨房まで取りに行かなければならないのだ。


 あーあ、最後になって厄介な注文をしてくれるもんだ。 とは思ったが閉店まで十五分も残っているとなれば聞かないわけにもいかなかった。

 多分、僕以外の者だと、「売り切れです」とかなんとか言って体よく注文を断っているだろうな。そう思いながら電話のダイアルを二回まわして地下の厨房にオーダーを入れた。 


それから十分ほどして階段で地下に下りて、サンドイッチとフレッシュオレンジジュースを客の前に運んだ時、時計は十二時ジャストをさしていた。

 

やれやれ、今夜は閉店のタイミングをはかり損ねたな、この二人、少なくてもあと十五分位はここにいるだろう。それからかたづけものをしていると、ロビーに下りる予定の十二時半はまわるだろう。この調子だと今夜のチェックインはもう望めそうにないな。


 道夫は口の中でそうブツブツつぶやきながら二人の客の方へ少しうらめしそうな表情をおくった。 その二人は予想よりさらに十五分も長くいて、道夫がやっとロビー下りたのは一時十五分前だった。階段を下りてロビーに入ったところで運悪くリーダーの森下さんに出会った。 


「浜田、おまえ何してたんだ。もうすぐ一時だよ。この前も言っただろう。ラウンジはできるだけ時間どおりに切り上げて、十二時十五分までには下りてくるようにと」

 この日二回目のリーダーの小言である。

 

「すみません。閉店のまぎわになってやっかいな注文があったもんで」

 さっきのクロークの時と違って、今度は森下の正面から頭を下げた。

 

「おまえなあ、要領だよ。要領が悪いんだ。そういう客はさりげなくバーの方へ送るようにと、この前教えたばかりだろう」

 

「はい。そうなんですけど、それがどうも」

 ついさっき明朝からの新聞くばりの日数をまけてやると言われたばかりなので、この森下に逆らいたくなかった。下手に言い訳などして、「先ほどのこと取り消し」などと言われるのが怖かったのだ。


 道夫が言い訳もせず、ひたすら頭を下げているのを見てか、森下はそれ以上の追求はせず、「以後気をつけるように」とだけ言って去って行った。


 それにホッとしながらも、 これで明日からは余計に遅刻しずらくなったなと、胸の内に、ずっしりとしたプレッシャーを感じていた。


つづく


次回 8月14日(木)


2025年8月2日土曜日

ビートルズ余聞 《Playback Series No.9》

 

初出: 2010年9月23日


更新:2025年8月 2日







少し古いが、1991年発行の「講談社英語文庫」の中のボブ・グリーン著「チーズバーガーズ」という文庫本に「ビートルズ」にまつわるおもしろい話が載っている。


英語文庫だから、もちろん英語で書かれているのだが、比較的平易な英文なのでそれほど高い英語力がなくても読める文庫である。


全部で27の作品が載っているのだが、その最後の27番目がこの作品である。


タイトルは


「The Strange Case Of The Beatles’Bedsheets」というもので、訳せば「ビートルズの使ったベッドのシーツをめぐる不思議な話」というような意味である。


話の内容はこうである。


ビートルズが1964年に最初のアメリカ公演をした時のことである。


その頃のビートルズの人気と言えば実にすさましいもので、「彼らの触れたモノはすべて金になる」と言われるほど、人を超えてまさに神ともあがめられるほどのスーパーヒーローであったのだ。


その人気に乗じて一儲けしようと企んだのはシカゴのテレビ局に勤める2人の若いディレクターであった。


そこで彼ら、リッキーとラリーは一策を講じた。


そしてまずビートルズの泊ったデトロイト、カンサスシティの、2ヶ所のホテルのマネージャーと交渉して、彼らが宿泊した部屋のベッドのシーツとピローケースを支配人の証明書付きで、いくばくかのお金を払って譲り受けた。 


その後そのシーツとピローケースを一インチ四方の大きさに切ってその数164,000枚の布切れを作り、それを証明書つきで、一枚一ドルで売ることにしたのである。


うまくいけば一挙に164,000ドルの大金を得ることができると、彼らは試算していた。


まずそこまではアイデアとしても悪くなかった。


しかし彼らの期待をよそに、それらの価値ある?「布キレ」はまったく売れなかったのである。


二人は「こんなにすばらしいアイデアがなぜ駄目だったのだろう」と、その原因について考えてみた。


世の中にビートルズのニセモノのキャラクター商品があふれすぎていて、これが本当にビートルズが使ったシーツの布切れだと信じてもらえなかったのだろうか、


彼らはそんなことも理由として考えていた。


さらに悪いことには、ビートルズの弁護士から「断りもなくビートルズを商売に利用した」と違反を通告する書面が送られてきたのだ。


二人はせっかくの金儲けのアイデアが実らなかったばかりでなく、物心両面で大きな損失を被ったのである。




(内容は抜粋)