🚦 信号待ちで見たダンプの運転手は若い美人の女性だった
ある日の昼下がり、私は打ち合わせに向かうため、都心の幹線道路を運転していた。少し焦りを感じながらアクセルを踏んでいると、前方の信号が鮮やかな赤に変わった。急ブレーキを踏み、ふうと息をついて車を停止線に滑り込ませる。
隣の車線には、巨大なダンプカーが停止した。車高が高く、黒いタイヤは私の車のボンネットよりも分厚い。土木工事現場から出てきたのだろう、荷台にはベージュ色の土が山盛りになっており、車体全体に薄く埃が被っている。いかにも「働く車」といった風情で、そのゴツゴツとした存在感は周囲の乗用車を圧倒していた。
私はぼんやりとダンプカーを見上げていた。てっきり、日焼けした大柄な男性が運転席にいるのだろうと想像していた。あの巨大な車体を操るには、それ相応の経験と力強さが必要だと、勝手に思い込んでいたのだ。
しかし、ふと運転席に目を向けたとき、私の想像は心地よく裏切られた。
分厚いハンドルを握り、肘を窓枠にかけているのは、若い女性だったのだ。
しかも、その女性は驚くほど美人だった。長い黒髪を一つにまとめ、白い作業服の襟元から覗く首筋はしなやかだ。化粧は薄いが、整った目鼻立ちと、凛とした表情は、まるで都会のオフィスで見かけるキャリアウーマンのようだ。いや、それよりも、太陽の下で働く健やかさ、つまり一種の生命力のようなものが加わり、より魅力的に映った。
彼女は、こちらの視線に気づいたのか、一瞬だけ私の方を見た。その瞳は澄んでいて、私に向けられたわけではないが、プロの運転手としての静かな自信のようなものが宿っているように感じられた。
私たちの車の窓は、彼女の腰の高さにも満たない。その高みにある運転席から、彼女はまるで城の主のように、見下ろす形で信号機を見つめていた。その手つき、視線、佇まい、すべてに、私が抱いていた「ダンプの運転手」という職業に対する偏見が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じた。
ダンプカーの運転は、決して楽な仕事ではないだろう。重い荷物を運び、狭い工事現場や、混雑した公道を慎重に走行する。技術はもちろん、体力も精神力も必要とされる、過酷な労働だ。しかし、彼女はその巨大な鉄の塊を、ごく自然に、まるで自分の手足のように操っている。その姿は、性別や年齢に関係なく、自分の仕事に誇りを持っている人間の美しさそのものだった。
数秒後、信号が青に変わる。
彼女は、慣れた手つきでギアを入れ、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。ダンプカーは重々しいエンジン音を響かせながら、滑らかに発進していく。私の車の前を横切り、力強く、しかし優雅に、都市の風景の中へ消えていった。私は、しばらくその後ろ姿を見送っていた。
今回の偶然の目撃は、私に大切なことを教えてくれたように思う。人は、特定の職業や役割に対して、無意識のうちにステレオタイプなイメージを抱きがちだ。しかし、真のプロフェッショナルとは、性別も、外見も、年齢も関係なく、ただひたすらに与えられた仕事を全うする姿勢の中に宿るのだ。
あの若くて美しいダンプの運転手は、私の心の中に、働くことの自由さと格好良さを象徴する、鮮烈なイメージとして残った。私もまた、自分の職場で、誰かの偏見を心地よく裏切るような、そんなプロでありたいと、強く思った。