2014年8月23日土曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第37回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第5章・7年ぶりの再会 (その2)



マンハッタン西97丁目 第5章 「7年ぶりの再会」 (その2)


 外へ出たとき、昨日と比べて足どりがずいぶん違っているな、と修一は思った。

 昨日の午後買い物に出かけたときはこんなふうではなかった。何かやたらとウキウキして、ふわふわと足が地に付かないような浮ついた気持ちだった。でも今は違う。なにか大きな仕事でも成し遂げた後のように、どっしりとした安心感があって、足もピッタリと地についている。僅か一日でこんなに違うものかと、人の気持ちの移り変わりとは、たわいなくもあり、また面白いものだと修一は思った。 

 この日、客の少ない閑散とした職場で所在なさげにフロントカウンターの上を整理していた修一に、思いもよらない訪問者があった。

 「やあ大野くん」と近づいて着たその人の顔を見たとき、はて誰だったかな?と、しばらくの間その名前を思い出せなかった。それほどその人とは長い間会っていなかったのだ。でも少ししてようやく名前を思い出した。

「やあ草山さんじゃあないですか。お久しぶりですねえ。でもどうしてここへ?」と驚きの表情で尋ねた。

「草山輝彦」もう七年も前のことだったが、ホテルマンを目指す修一がまだ大学三年生だった頃、夏休みのアルバイトをかねた職場での実地訓練にと、新宿のある中堅都市ホテルでドアボーイを四十日間ぐらい経験したことがあった。草山はそこでの監督上司で接客課長をしていたのだ。 

 面長でいつもキリリとした表情をしていて、少し冷たい印象はあるものの、そのホテルではエリートコースに乗った仕事のできる男であると、先輩ドアマンから聞いていた。なんとなく二人の相性がよかったのか、四十日のアルバイトの期間を通じて草山はあれこれと修一に目を掛けてくれていた。そして最後の日には、キミさえよければ卒業後もこのホテルで働けるように人事課へ頼んであげようか、とまで言ってくれたのだ。

 いま目の前にいるのがあの草山なのだ。
 
 修一は縁があったのか、その年の冬休みにもまたそこへアルバイトに出向いた。

 そして勤務に就くや否や草山のところへ挨拶に行った。草山の席はフロントデスクのカウンターの少し奥まったところにあったのだが、修一がそこへついてときには彼の姿は無く、席にはまだ会ったことがない中年の体格のいい男の人が座っていた。 

 「あのー、夏休みにもお世話になった大野修一と申しますが、草山課長にお会いしたいのですけど」修一は草山がいない不安も手伝っておそるおそる切り出した。 「ああ大野くんね。東南大学の」相手は修一の名前をすでに知っていた。

「草山と言ってたけど、君知らなかったのか? 彼はこの十月で退職したよ」

 修一は耳を疑った。あれほどバリバリ仕事ができて、このホテルきってのエリートといわれていたあの草山さんが突然辞めるなんて? そう思ってポカンとして突っ立っている修一に「私が彼の後任の東田だ。仕事のことで相談があったら、これからは私のところへきなさい」と、その新任課長は事務的な口調で言うと、さも何もなかったような表情で修一から視線を離した。

 修一はその後すぐ古株のドアマン山口に草山さんのことを尋ねた。 「彼のことねえ。ここでは話にくいので外の喫茶店へでも行こうか」山口はそう言って修一をつれて隣のビルの地下にある喫茶店に入った。 

 「草山さんね、惜しい人だったんだけどなあ。実はあの人、長いこと競馬に凝っていて会社のお金に手を出したんだよ。そりゃあ、このホテルにとっては貴重な人材だから、会社としても小額だと目を瞑っていられたんだろうが、なにぶん額が額だけにねえ。キミ幾らだと思う?八百万円もだよ。しかも長期にわたって。

 それが発覚して、この十月に辞めたんだよ」 「ヘェー、そうだったのですか」

 そんな平凡な相槌しか打てなかったのは、この山口の言ったことの意味がよく理解できなかったからなのだ。 ただなんとなく草山さんが良くないことをしたのだ、とだけ漠然と分かった。
 「それで草山さんはその後どこへ行かれたのですか?」

 「うん、ぼくもよく知らないんだけど、うわさではニューヨークで日本レストランをやっている知人を頼って、家族を残し単身でむこうに渡ったらしいよ。何しろプライドの人一倍強い彼のことだから、日本にはいたたまれなくなったんだろうね」

 修一はその後しばらくは草山のことが気になった。もし彼がこのホテルを辞めたりしなければ、彼の言葉に甘えて大学を卒業したらこのホテルの社員になっていかも知れないのだから。

 草山の突然の退社はいわば修一の運命も変えたのだ。そしてオーシマホテルからこのニューヨークへ派遣されている今、ここで再び草山と会っているのだ。なんとも不思議な縁ではないか。 

(つづく)次回  8月24日(日)


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