2014年8月9日土曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第31回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第4章・すばらしき1週間(その4)



マンハッタン西97丁目 第4章 「すばらしき1週間」 (その4) 

 クリスマスも終わって、その年も余すところ後一週間足らずとなってきた。

 エールトンホテルでも、これから一月の半ばにかけては年間を通じて最も客の少ない暇な時期に当たり、職場の同僚たちもそれぞれ交代で一週間ぐらいの休暇をとることになっていた。主任のマックが、修一には年の明けた一月三日ら五日間の休暇を設定してくれた。さてその休暇をどうすごそうか?と修一は思案した。

 この際ニューヨークの名所を思いきり回ってみようか? それとも長距離列車に乗って首都ワシントンあたりへ出向きホワイトハウスでも見物してくるか、などとあれこれ、思いをめぐらせていたが、結論めいた案はななかなか出てこなかった。

 「バーマと一緒に旅行できたら、さぞ楽しいだろうなあ」とも考えたが、このところ反戦キャンペーンのポスター製作に躍起になっている彼女のこと、応募の締め切りも一月十日だと言っていたし、おそらく年末年始は部屋にこもって作業に忙殺されるに違いない。一緒に旅行だなんてまず無理だろう、とこれに関してはあっさりと結論を出してしまった。

 山崎でも誘ってみようか?忙しい商社マンといえども、年初であれば少しは休みもあるだろう。でも男同士の旅行というのも味気無いな。それならいっそ一人のほうがいいか、とこの案もまたあっさりとボツにした。

 そんなことをあれこれと考えていると次第に面倒くさくなってきて「エイッ、もうどうでもいい、そのときになって出たとこ勝負だ」と、それ以上そのことについて考えるめぐらせるのは止した。 
 
 年の瀬もいよいよ押し迫り、あと三日勤務すれば五日間の休暇に入るという十二月三十日の夜、仕事を終えて修一は下宿に帰ってきた。ドアを開けて中へ入るや否や、待ち構えていたようにバーマが走り寄ってきた。もう深夜の一時近くで、こんな時間に彼女が起きていることは過去一度も無かったのに、いったいなにごとだろう?と修一は不思議に思った。通路を遮るように修一の前に立ったバーマが「エセルが今日の夕方病院に入院したの」と、少し顔を曇らせて早口に言った。

 「エッ、エセルが入院だって?」修一は聞き返した。この前病院に付き添った夜、今度発作を起こしたら入院だ、と看護婦から聞いていただけにそれほど驚きはしなかった。でもこのところ咳は治まっていて、具合はよさそうに見えていたので、この急な入院は意外と言えば意外であった。

 夕方バーマが学校から帰ったとき、エセルは咳き込んでヨロヨロしながらもボストンバッグに衣類を詰めていたそうだ。そしてバーマに向かって「わたし今夜から病院に入院するのでこの家にはしばらく居ないけどよろしくね。

 サミーには電話すればよかったのだけど、心配して仕事の途中で帰って来たりしたら大変だから、あなたからよろしく伝えてね。そうそう冷蔵庫に入っているもの、よかったら食べてちょうだい」丸く膨らんだボストンバッグのチャックを閉めながら彼女は言った。

「じゃあわたし、病院まで付き合うわ」バーマがとっさにそう言うと「いいえ、今日はいいの、まだ明るいし、それにこの前と違って少しは歩けるようだし、病院には早め連絡しておいたので五時に救急車が差し向けられるのよ。あなたの好意はありがたいけど、ほんとうに大丈夫なの。退院するときは連絡するわ。サミーにはくれぐれもよろしくね」

 エセルの口調はこれから入院する者とは思えないくらいはっきりしていた。

 その様子からして決して遠慮から出た言葉ではないと察したバーマは、付き添うことは止そうと思い、「サミーにはよく伝えておくわ。お大事にね」とだけ言った。

 間もなく白衣を着た二人つれの男性がやってきた。タンカを持ってきていたが、エセルから歩けると聞きそれは使用しなかった。

 彼女はタンカを持っていないほうの男性に手を引かれてエレベーターに乗り込んで行った。バーマはせめて車のところまでと、入院道具の詰まったボストンバッグを持って後に続いた。
  
 病院に行くまでのエセルが意外としっかりしていたと聞き、修一は少し複雑な気持ちになった。あれほど苦しそうだったこの前の夜でさえ、数時間で戻ってきたのに、言葉もはっきり喋れて自分の足で歩ける状態にあるというとき,はたして入院の必要があるのだろうか? リビングのソファに向かい合って座っているバーマに修一はそのことを尋ねてみた。

 「ねえバーマ、君は入院前のエセルが意外としっかりしていた、と言ってたけど、彼女、入院の必要があったのかなあ、ひょっとしてエセルはわれわれ下宿人に気を使って発作がひどくならないうちに早めに入院したのではないのだろうか。君はどう思う?」 

「ええ、実はわたしもそう思っていたのよ。この前の夜のことはよく知らないけれど、今日の彼女を見ていると、ボストンバッグには自分で下着を詰めていたし、わたしに付き添う必要は無いとはっきり言ったし、それに人に支えてもらわず一人で歩くこともできたようだから、入院というのはわたしにも意外に思えたわ」 

「ふーん、君もはやりそう思ったのか。クリスマスにご馳走してくれたりして、あの夜以来そうとう気を使っていたからね。下宿人といえば彼女にとっては大事なお客さんだし、これ以上迷惑をかけて、万一我々に出て行かれでもしたら大変だと思って、この前のように発作がひどくなる前に用心して早めに入院したのではないかな。年金生活者の彼女にとって月に四百五十ドルもの収入は失いたくないだろうからね」 

「それはそうよ、わたしはともかく隣に部屋のあるサミーには相当気を使っていたようよ。お金のことは別にしても、サミーは優しくて親切なこの上なくいい下宿人だし、彼女としてはどうしても出て行ってほしくないのよ」

 「いい下宿人かどうかはともかく、そうだなあ、あの夜のようなことがしばしばあるといかに辛抱強い僕でも、ひょってして出て行きかねないからねえ。ただし・・・」

 「ただし何よ? サミーに出て行かれたらわたしだって嫌だわ。そういう意味ではエセルが入院したのはわたしにとってはいいことね」

 つい先ほどまでは深刻な顔をして話していたバーマは、いつしか表情を笑顔に変えていた。
 「実はねえバーマ、僕は君がこの下宿に来る前までは、ほとんど毎日のようにここを出ることを考えていたんだよ。でも今月初めに君がここへ来てからは、隣の部屋でいくらエセルが咳き込んでもこの下宿を出ようなんて少しも思わなくなったんだよ」 

「へぇー、そうなの。じゃあエセルはわたしに感謝してもいいんだ。そういうことだったら彼女から少し手数料でももらおうかな」

 目ををキッと見開いてそう言ったあと、バーマは大きな声を出して笑った。

 あまりおかしそうに笑うものだから修一もつられて笑ってしまった。

 二人はまるで真夜中というのも忘れてしまったかのように長い間リビングで話していた。ふと気がついて時計を見ると時刻はすでに三時に近かった。

 時計を見ながら修一は言った。「エセルには悪いけど、しばらくは咳の音に脅かされることなく安心して眠れそうだよ」 

「そうね、でもわたしはサミーが遅出勤務のときは一人で心細いわ」バーマは少し顔を曇らせて本当に心配そうな表情をして言った。 

 それもそうだと修一は思ったが、なんと応えたらいいのか分からず、「さあ、これからシャワーでも浴びて寝るとするか」と、つい心にもないことを言ってしまった。

 でもバーマはそれを真に受けて「そうね、わたしも寝るわ。この続きはまた明日にでもしましょうね」と、少し名残惜しそうではあったが、そう言ってリビングを去って行った。

(つづく)次回  8月10日(日)


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