2023年1月1日日曜日

50年前の職場 ニューヨークのホテル 勤務シフトが出てきた


なにげなしに昔のファイルブックを繰っているとその内の冊からなんとも珍しいものが出てきたではないか

それは今から半世紀50年前に勤務していたニューヨークの職場スタットラーヒルトンホテルの勤務シフト表である

言うまでもなくホテルは24時間営業でありそれに伴ってスタッフの勤務時間もまちまちだ

私の名前は下から番目にあるが、O’hiraとなっていて、Oの間に ’(アポストロフィがついている

これはアイルランド系の名前によくあるのだが例えばO’cconarとかO’haraというような表記だが

この表の作成者であるチーフクラークのフレディが私の名前Ohhiraの段になってふとO’haraという英語名があることを思い出してそれにつられて何気なしにO’hiraとしたに違いない

まあこの方がOhhiraよりかっこよく見えて良いのだが


勤務は夕方深夜の遅出シフトが多かった

それはさておき肝心の勤務期間を目を通して見るとこの週は遅番の勤務になっていて夕方時から深夜時までのシフトに入っている

フロントオフィスは朝時から午後時からそれにこの午後時からのつのシフトに分かれているのだ

つのシフトのうち私には~1時にラストのシフトが当たることが多かったがこれは同僚のプェルトルコ人カマチョとともに夜だけ行われるルームインスペクタタいう役割があったからだ

ルームインスペクタの職務はその日チックアウト予定の客がすべて出発し終えたと目される夜になってから夕方まで荷物が残っていると客室係がマークした部屋のシートを手にして荷物の有無を確認するため一部屋ずつチェックして歩くのだ

そして荷物がなければV(vacant),逆にまだ荷物が残っている場合はO(occupaid)とシートに記していくのだ

単調で簡単な仕事だがなにしろ部屋数が2200というマンモスホテルだけにこれをすべてチェックするするのにゆうに時間以上かかり足が疲れることこの上ない激務と言っていいほどのハードワークだった

そのため帰りの時間には疲れていたせいで寄り道などせず、いつも34丁目の地下鉄駅ペンステーション目指して急いでいた

そこからアップタウンに向かうIRT系の地下鉄に乗って下宿のあるWest97丁目まで帰るのだ

 

フロントオフィス17名のスタッフの名前が並んでいる

しかし懐かしい表であるこれには全部で17名の名前が並んでいるが上から順に目を通してみると忘れていて読み方さえ分からなくなっているのが半分ぐらいある

でも読める名前は今でもその姿を思い浮かべることができる

それらをカタカナ書きで上げてみるとヨノシーヘレイラネルソンカマチョショーンウッドマクスードウィルソンなど名である

中でもよく覚えているのは太字にした名で今でも容姿をはっきり思い浮かべることができる

 

ヒルトンの名の職場スタッフのことは今でもよく覚えている


ルソンはアルバイトできていた黒人の学生だったがこの彼には度ずいぶん驚かされたことがあった

それは忘れもしない月半ばのことだった

同じ昼間のシフトについていたある日ネルソンが突然今日は何の日か知ってるか?」と聞くのだ

突然のことだったし質問の意味は分かったもののなんのことかわからずしどろもどろの当方に対してネルソンは言った。「Youの国Japanの終戦記念日じゃないか」。

それを聞いたときは驚くと同時にすっかり感心してしまっていた。

彼には悪いが常日頃はたかが黒人のアルバイト学生と軽く思っていたのだだがこちらが意識もしていなかった15日を日本の終戦記念日としてしっかり意識して覚えていたのだ

その日依頼彼に対しては尊敬のまなざしを向けるようになっていた


カマチョは前の項でも触れたがフロントフィスでルームインスペクタという同じ職務に携わっていた20代半ばの同僚である

彼については以前他のブログ記事にも取り上げているので今回は人物紹介についてはは省略するが

一言だけ言っておくと無類の女好きで一緒にいるときは女性の話題をあげることがが多かったが好人物で憎めないところがあった

そんな彼も仕事は熱心で新人の当方を懇切丁寧に指導してくれた


フレディ(ショーン)30台半ばの白人男性で当時フントオフィスのチーフを務めていたなかなかの物知りで職場一番のインテリといってもいい

彼が教えてくれた日本の正ちゃん印のような縦に本の線を引き終りに横本で閉じる数の数え方は今でも忘れていない


マクスードはフロントオフィス一番の年配者で当時の年齢は60歳近くだったのではないだろうか

職場ではいつもシット!」「シット!」(くそッという意味と口走りながら苦みばしった表情で立っていた

でも新人だった当方に対して、「国の家族は元気か?」などといろいろ気遣ってくれた


ウッドは黒人でフレディと同年配で同じくチーフを務めていた男性

職場で最も背が高くおそらく190センチぐらいあったのではないだろうか

寡黙で人当たりはそれほど良くはなかったこともあってか個人的に親しく話すことはほとんどなかった


以上ヒルトンで一緒に働いていた名の職場スタッフの名前を挙げたが今も彼らの姿が懐かしく目に浮かんでくる

0 件のコメント: