🎍デパートのおせち料理を予約しました✨
師走の足音が聞こえ始めると、急に心がざわつき出す。年の瀬特有の焦燥感と、新しい年を迎えることへの静かな期待がないまぜになった、あの独特な高揚感だ。そんな季節の風物詩の一つに、私にとって「おせち料理の予約」がある。
今年の正月を彩るおせちは、例年通り、いや、例年以上に意を決してデパートのカタログから選んだ。
スマートフォンで手軽に予約できる時代になっても、私はなぜか、あの分厚いデパートのおせちカタログをめくる儀式を欠かせない。光沢のある紙面に印刷された、宝石のように輝く料理の数々。伝統的な和の重箱から、モダンなフレンチやイタリアンを取り入れた洋風、さらには中華風まで、その選択肢の広さは、まるで食の万華鏡だ。
ページを繰るたびに、心が躍る。伊勢海老の鮮やかな朱、数の子の黄金色、黒豆の漆黒の艶。一つ一つの料理に込められた、豊穣と長寿、子孫繁栄といった縁起の良い願いが、活字を通して静かに伝わってくる。
これは単なる料理ではない。一年間の感謝と、来るべき一年への希望を象徴する**「ハレの日」の芸術品**なのだ。
昔ながらのしきたりを重んじる家庭では、大晦日から家族総出で煮しめや田作りを準備するものだが、核家族化が進み、共働きが一般化した現代において、伝統的なおせち料理をすべて手作りするのは、時間的にも労力的にも大きな負担となる。私も例に漏れず、正月くらいはゆっくりと過ごしたい。
そんな現代人のニーズに応えてくれるのが、デパートのおせちだ。
予約を決めたのは、ある老舗料亭が監修する三段重。決め手は、その**「完璧さ」**への憧れだった。私自身が作るおせちには、どうしても手の届かないプロの技と、選び抜かれた極上の素材。栗きんとん一つとっても、舌の上でとろけるような滑らかさと、上品な甘さは、家庭ではなかなか再現できない。そして何より、重箱いっぱいに隙間なく詰められた、色彩の調和と配置の美しさ。まるで工芸品のように整然と並べられた料理を見るだけで、心が満たされるのだ。
予約ボタンをタップした瞬間、一抹の罪悪感と、それを上回る解放感が同時に押し寄せた。手間を省いたことへの後ろめたさと、「これで年末年始の重労働から解放される!」という歓喜。だが、この罪悪感はすぐに消え去る。なぜなら、プロの技に敬意を払い、その労働の対価を支払うこともまた、現代における一つの「丁寧な暮らし」の形だと考えるようになったからだ。
大晦日の夕方、デパートから届くおせちの箱を受け取る瞬間は、いつも少し緊張する。保冷バッグから重箱を取り出し、ふたを開ける。その瞬間に漂う、清々しい出汁と、海の幸、山の幸が織りなす馥郁たる香り。その香りが、家中を一気に「お正月」の空気で満たしてくれる。
元旦の朝、家族が食卓を囲み、この豪華なおせち料理をつつき始める。手間を惜しんで予約したとはいえ、その満足感は計り知れない。子どもたちは、普段食べない縁起物の料理に目を輝かせ、大人たちは、一つ一つ吟味しながら、新しい年の抱負を語り合う。
デパートのおせち料理は、単なる便利な「時短アイテム」ではない。それは、忙しい現代人が、最も大切な日本の伝統と、家族団らんの時間を、**最高品質で迎え入れるための「切符」**なのだ。この重箱の中には、プロの料理人の技と心意気、そして、新しい一年への無数の願いが詰まっている。
「さて、次はどの伊達巻からいただこうか。」
そんな風に迷いながら箸を伸ばす元旦の朝のひとときが、私にとって、一年で最も贅沢で平和な時間なのである。予約完了のメールを確認しながら、私はすでに、新しい年の晴れやかな食卓を心待ちにしている。