2025年11月12日水曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈4〉直線コースは長かった(4)

      

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「それでこのお仕事、今回の募集が初めてなのですか?もしそうじゃなくて前任者がいらっしゃるのでしたら、その方からの引継ぎとかありませんか?」


会長の海外出張の、身のまわりの準備をして、その後同伴してロンドン、パリに行く。そう聞いただけでは、どうももうひとつ内容がよくわからず、わたしそう質問してみたの。


すると会長さんはのけぞらせていた背を前に起こし、机に両肘をついて言ったわ。


ああ前の人ねえ。昨年の秋、一人採用してニューヨークへ連れてったんだ。十月の中ごろだったかなあ、着いて最初の一週間はわたしも仕事に忙殺されて、疲れていてその気はなかったんだ。十日くらいたった頃だったかなあ。ある夜、三人でブロードウェイのミュージカル見物に行ったんだよ。


九時ごろ劇場を出て、有名なフォーシーズンというレストランで食事をして、ホテルに帰ってきたのは十一時少し前。久しぶりに仕事にも少しゆとりができて、わたしのその夜はすっかりリラックスしていたのか、部屋でバーボンを飲んでいると、なぜだかむしょうに女の人と話がしたくなったんだよ。


それで電話して、秘書の彼女を部屋へ呼んだんだ。彼女、来るには来たんだけど服装がさっき出かけたときとまったく同じなんだよ。それでわたしが、「キミ、夜の十二時前だよ。これから休もうかというときだ。着替えてもうすこしリラックスした姿になりなさいよ」と言うと、彼女「いいんです。これで」と言って、隅のほうで体をコチンコチンにさせて立っているんだ。


それでもなんとかソファーに座らせた後、バーボンは飲めないと言うのでルームサービスでビールをとって、その後三十分ぐらい飲みながら話したかな。面接のときいろいろ話してあって、わたしも彼女がある程度は理解していると思ってたんだ。


それで、十二時を過ぎたころ、さあそろそろ休もうか、と言って彼女をベッドに誘ったんだよ。そうしたら彼女『えっ』と、まるで信じられないと言うような表情をして、サッと立ち上がると、ドアの方へ逃げていくんだ。


そんなはずはないと思って、わたしは追いかけて彼女を引っぱってベッドへ押し倒したんだ。それからが大変だ。彼女の抵抗の激しいこと。髪の毛は引っぱるわ、背中はかきむしるわ、おまけにそこら中に聞こえるような大きな声を張り上げて。それにはさすがのわたしも閉口して途中で戦意喪失だよ。


仕方なく彼女はそのまま部屋へ帰ったんだけど、そのあとわたしは思ったんだ。二十四歳にもなってわからないのだろうか。月三十万も給料もらって、おまけにタダで海外旅行ができて、仕事と言えば簡単なわたしの、身のまわりの世話だけ、くる前にあれだけ説明を受けているというのに、たまにはこうした役目があることがわからなかったのだろうか?まったく心外だ。よし、あの彼女、明日にでも日本に帰してしまおう,とね』


ここまで聞いて、私もうびっくりしてしまって、さっき私の前の二人が早々と引き上げていった意味がやっとわかったわ。


会長さんの話もまったく理解できなくもなかったわ。何しろ待遇が待遇ですもの。でも立派な会社の会長さんたる人が、そんなことを面接時に堂々と公言するなんて、やっぱりおかしいわ。


若い女性で、しかもその人に知性があればあるほど、そんなことまともに聞ける話じゃないじゃない。旅先で偶然そうなったというのならまだしも、初めからそれを承知で行くなんて、いるかしらそんな人。


私そう思っていると、だんだん腹が立ってきたわ。なにか人のことを安く見ているようで。それに自分の思うようにならなかったからって『今の娘は世間知らずだ』だなんて、勘違いもはなはだしいわ。世間知らずなのはどっちかしら。


とは思ったものの、その会長さんの話、さっきも言ったけど、ちょっとおもしろいと思って、話だけならもう少し聞いてみたいという気も少しは残っていたわ。


でも、私の前の二人が怒って帰っていったことを思い出して、こりゃやっぱり駄目だ。私も早くおいとましなくちゃ、と思って、『どうも私じゃ勤まりそうもないと思いますので、誰か他の人に当たってください』と言い残して、そこを立ち去ったの」


「ざっとこんな話だけど、どう、面白かった?」

涼子さんは臨場感たっぷりと、まるでそのときの興奮を再現するかのように、早口で一気にまくし立てた後で、「ハー」と大きく息をついて久夫の顔を下から覗き込むようにしてニコッと微笑んだ。


「うーん、とてもおもしろかったけど、でもそれ本当の話?なにか嘘みたいだね。だってアパレル商社のHといえば、この地方ではまずまず名前が通った会社だろう。そこの会長たる人が自分の会社の信用をまるで傷つけるようなそんなことを言ったりするかなあ?」


久夫は話を聞いて感じたことを正直に口に出した。


「それが本当なのよ。その場にいたわたしだって初めは信じられなくて、ポカンとしていたわ。あれほどの会社の会長さんたる人があんなこと言うなんて。


会長室へ行くとき通ったんだけど、オフィスも明るくてすごくきれいで、わたしと同年輩の女性も含めて、そこでは何十人もの人が働いていたわ。そんな会社の中の奥まったところで、白昼からあんな話聞くなんて、わたし夢にも思わなかったわ。」


「そうか、本当の話なのか。しかし世の中って広いもんだなあ。いまどきそんな会社があって、そんな会長がいるだなんて。


それにしてもその会長さん、堂々とそういうことを公言するなんて大胆不敵だねえ。なにか恐れを知らぬ、とでも言うか。そういうの自信からきているのかなあ?自分がそこまでの会社をつくりあげたという」


涼子さんの方をむいてそう言いながら、できたらその奇特な人に一度お目にかかってみたいものだ、と久夫は思った。


つづく


次回 11月20日(木)