2026年2月1日日曜日

とある外資系ホテルCEOと私 二人に関する過去のおはなし (Part 1~3)


(Part 1)


 Yとは転身先のホテルPで知り合った

私とYは1970年大阪EXPO開催に合わせて、大阪福島区にオープンしたホテルプラザの一期生として入社した同期生です。

二人はそれぞれ東京と大阪を代表する名門ホテル出身で、このホテルへ将来に向けた大きな夢を託してやってきたのです。

ここでの二人の遭遇がこのお話の始まりです。


ホテルプラザは関西随一のホテルを目指して1970年に華々しく開業した

ホテルプラザ(1999年廃業)は、大阪福島区の朝日放送に隣り合わせた場所で1970年に大阪千里丘陵で開催された大阪EXPO(大阪万博)に合わせて開業しました。


ホテルプラザ

当時、大阪の一流ホテルといえば、ロイヤルホテル(現リーがロイヤルホテル)とその系列の大阪グランドホテル(2009年閉業)ぐらいしかありませんでした。

そうした中でホテルプラザは、それら二つのホテルを凌ぐ大阪一の高級ホテルを目指して華々しくオープンしたのです。

それまでロイヤルホテルに勤めていた私は、上司に連れられるようにして夢を抱いてこのホテルに転籍しました。

なにしろ経営母体が朝日放送で、社長を務めるのが元住友銀行頭取ということもあって、業界はもちろんのこと、メディアからも大きな注目を浴び、開業前から華々しい報道合戦が繰り広げられていました。

かくして脚光をあびながら、ホテルプラザは大阪EXPO開業に合わせて1970年堂々オープンを迎えたのです。


スタッフは 京大、神戸大、慶応大、立教大、青山大、同志社大など出身のエリート揃い

ホテルプラザが大阪トップクラスのホテルを目指すには、開業に際してまず優秀なスタッフを集めることが先決です。

そのためには有名大学卒業生を獲得することですが、1970年のスタート時のメンバーを眺めてみると、京大、神戸大、慶応大、立教大、青山学院大、同志社大など実にそうそうたるメンバーではありませんか。

これほど立派な人材は当時日本中のホテルを見渡してもどこにもなかったのではないでしょうか。

こうした人材は(新卒生を除いて)ほとんどが東京の名門ホテルオークラ、大阪を代表するロイヤルホテルなどを中心に既存の一流ホテルから集められた人たちです。


私は彼らと張り合うためにNYのホテルへ研修に旅立った


ホテルマンとして職業人生をまっとうすることに決めていた私ですが、新しい職場仲間がこれほど高学歴揃いだとは流石に予想していませんでした。

でも現実を知ると、これほど優秀な同僚たちの間に入って、英語系専門学校出身の私が果たして仕事面で伍していけるかと、次第に不安が募ってきたのです。

とはいえ大きな夢を抱いて入ったのですから簡単に引き下がるわけにはいきません。

そこで色々思案を巡らし検討を重ねてた結果、ホテルマネージメントを学ぶため、先進国アメリカのホテルで研修を受けることを計画しました。

そのために約1年間を費やして、NYのめぼしいホテルに手紙でアプローチし、連絡を重ねた結果、2社から、面談の上決めよう、というゼネラルマネジャーの快い返事をもらいました。

そして大阪万博が終わった1970年の秋、NYへと旅立ったのです。


バークレイ、ニューヨーカー、NYヒルトンなどと面談を重ね、最終的に研修先はスタットラーヒルトンに

ニューヨークでは最初にバークレイホテル、続いてニューヨーカー、3番目はニューヨークヒルトン、そして4番目のスタットラーヒルトンと面談を重ねていき

結局最後のホテルで条件面、その他で折り合いがつき、このスタットラーヒルトンホテルで職場研修性として勤務することが決まったのです。

スタットラーヒルトンは名前のとおりヒルトン系のホテルです。

場所はペンステーションの近く7番街33丁目にあり、すぐ前にはスポーツの殿堂で有名なマディソンスクエア―ガーデンがある極めて分かりやすい場所にあります。

高層ビルのメッカNYにあって、23階建てという高さは目立ちませんが、その反面敷地面積が広いため、外観はどっしりとした構えで安定感を感じます。

それに何と言っても誇るべきは2200という客室数です。

1970年代初めにこれほどの客室数を持つホテルはNYでも僅か数軒でしかありません。



 

スタットラーヒルトン


Part 2 に続く