2018年10月6日土曜日

私小説作家・西村賢太の作品が面白いのはなぜなのか



西村賢太という小説家を知っていますか?


西村賢太と聞いても、まだ名前を知らない人が多いかもしれません。なにしろ芥川賞を受賞して世に出てまだ10年もたっていないからです。

グーグルで名前を検索してもヒットする情報もまだ123,000程度でそれほど多いとは言えません。

とは言え、この作家の作品のユニークさと面白さを褒めるサイトは少なくありません。芥川賞受賞作家で短期間にこれほど名前が売れた作家も珍しいのではないでしょうか。

それはひとえにこの著者のユニークな生い立ちと、本人が私小説家と自認して世に出した作品のおもしろさなのではないでしょうか。

最初に読んだのは随筆集「一私小説書きの独語」という作品


はっきり言って私が西村賢太という小説家を知ったのはごく最近のことです。知ったきっかけはベストエッセイ2016という本に作品が載っており、それが面白くて気に入りネットで情報を調べてみました。

その情報で2011年に「苦役列車」という作品で芥川賞を受賞した作家であることを初めて知ったのです。

その後図書館で作品を探してみるとエッセイ集が3冊ありました。その中の一冊が今回取り上げたのがこの作品です。

このエッセイ集には主に著者が中学を卒業して15歳で社会へ出て、四畳半のアパートで独り暮らしを始めた様子が詳しく書かれていますが、今どき中卒という身で社会の荒波にさらされる点が非常にユニークであり、レアであまり聞かない体験談だけに興味津々で読み続けることができました。

どんなところに興味が行ったかと言えば、大別すると以下で挙げるような点ではないでしょうか。

西村賢太の作品が面白い理由とは?


芥川賞受賞各品「苦役列車」をはじめとしてこの小説家の作品がなぜ面白いのか?
西村賢太全作品
を考えたとき、まず第一に挙げられるのはその生い立ちのユニークさです。


つまり今時滅多にない中学卒業の15歳で進学せずに家賃8,000円という四畳半の安アパートでひとり暮らしを始めた点です。

これが読者の最も興味を引くところですが、それに加え次に挙げる要素が読者をさらに惹きつけていきます。


・15歳で社会に出たことに対するシンパシー

著者が15歳の時と言えば、いわゆる高校全入時代とも言われていたはずで、それ故に中学卒で社会に出る子どもは極めて稀であり、それだけでも世間から注目をあびる存在でしょう。

15歳という心身とも未熟な身で、生きていくために港湾労働者として肉体労働に従事するさまは、周りの人々のシンパシーを誘わないはずがありません。

それだけに目が離せなくなり、同情がやがて興味の対象に変化していき読者は15歳の中卒の少年がどのように生きていけるのだろうか、と読者はハラハラしながら見つめていくのです。

・不幸話と自虐に満ちている

人の不幸は蜜の味と言われるように、人は他人の不幸な話を聞きたがるものです。

15歳で社会に出た著者は、間違っても幸せな生活など維持できず、いわば不幸の連続です。
肉体労働に明け暮れる不幸、四畳半一間の狭いアパートで明け暮れる毎日、安定しないパート勤務での暮らし、家賃のたび重なる延滞など、まるで絵にかいたような不幸の連続だが
作品ではそうした日常を包み隠さず綴っている。こうした自虐ともいえる苦労話が不幸話好きな読者の興味と共感を呼んでいるに違いありません。

・数々のトラブルに遭遇

不幸な生活はトラブルと背中合わせです。アパートの家賃延滞での家主とのトラブル、金の無心での母親との壮絶な争い、など、生きていくために避けることのできない戦いで15歳の少年はしだいにたくましくなっていきす。

・女と金の問題

15歳で社会に出た少年の頭の中は、金と女の問題で大方占められています。どちらの問題も男なら誰もが興味を持つことで、それ故に読者は惹きつけられて目が離せません。

・学歴コンプレックスを逆手にとる

上でも書いたように著者は中卒で社会に出て一人暮らしを始めた稀有なら経歴の持ち主です。
でも著者自身にこうした自身の経歴を卑下したり憐れんだりするところはなく、むしろ世間に対してその貴重価値を誇ろうとしており、これは学歴コンプレックスを逆手にとっているとも言えるのではないでしょうか。


・表現がストレートで赤裸々

著者は非常にストレートな表現ができる人です。対談か何かで語っていたのですが、若い女性に向かって「僕のアレは小さいよ」と堂々と言えるのだそうです。

また有名な話ですが芥川賞を受賞した後、まずやりたいことは?と問われた時「風俗へいきたい」と応えています。

このような男性の本能丸出しのストレートな表現ができることも、人気の要因かもしれません。



私小説の面白さは著者の経験の質と量に左右される


よく私小説は面白くない、という声を聞きますが、多くの読者が面白いと認めている西村賢太の小説はそうした声には当てはまりません。

とはいえ、面白くない私小説が多いのも事実です。では面白い私小説と、面白くないものの違いはなぜ生じるのでしょうか。ズバリ、それはそれを書く作家の経験の違いによります。

経験と言っても執筆経験ではありません。私小説のもとになる経験のことです。書く人の経験の質と量によって私小説の評価が決まってくるのです。

つまり人が聞いて珍しがるようなユニークな経験を多くしている人ほど面白い作品が書けるのです。さらにその体験の数が多ければ多いほど、面白い作品がたくさん書けるのです。

ということは、ユニークな経験の量が多いほど、多くの作品が書けますから、それだけ息の長い活躍ができるのです。

これで分かるように、面白い作品を書けない小説家は、経験の質が良くないだけでなく経験量が不足しているのです。



(西村賢太・プロフィール)

1967(昭和42)年、東京都生れ。中卒。

2007(平成19)年『暗渠の宿』で野間文芸新人賞、2011年「苦役列車」で芥川賞を受賞。刊行準備中の『藤澤清造全集』(全五巻別巻二)を個人編輯。文庫版『根津権現裏』『藤澤清造短篇集』を監修。

著書に『どうで死ぬ身の一踊り』『二度はゆけぬ町の地図』『小銭をかぞえる』『廃疾かかえて』『随筆集 一私小説書きの弁』『人もいない春』『西村賢太対話集』『随筆集 一日』『一私小説書きの日乗』『棺に跨がる』『形影相弔・歪んだ忌日』『けがれなき酒のへど 西村賢太自選短篇集』『やまいだれの歌』『痴者の食卓』ほか。

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