2011年1月12日水曜日

1970,NewYork City「西97丁目」の思い出(9)・私と新しい下宿人「ミス・バーマ」の日常 



ニューヨーク七番街
次の日から私の勤務は再び午後4時出勤のシフトBに戻った。

その前の2週間の早出出勤の期間はいろいろな収穫をもたらしてくれた。

まずスタットラーヒルトンのフロントオフィスの昼間の業務の流れを覚えたこと。

先日知りあった商社の山崎のアパートでのパーティでいろんな人に会いニューヨークでの日本人の知己を増やしたこと。

それになにより嬉れしかったのは二日とあけずミス・バーマと顔を合わせて話したせいか、このところすっかり二人の仲がうちとけてきたことである。

はじめの頃はリビングルームでしか話さない彼女であったが、1週間ぐらいたった頃には自分から私の部屋へ入ってきて長いときは一時間以上もあれこれ喋っていくようになっていた。

バーマはいつも朝9時にアパートを出る。

彼女の通う商業美術の学校はアップタウンのコロンビア大学の近くにあり、同じ地下鉄でも私の職場とは逆方向であった。

3時過ぎに学校での授業を終え、帰りは地下鉄には乗らずいつも歩いて帰ってくる。

百十六丁目からこの下宿までは普通に歩けばゆうに30分以上かかる。

「今はまだ寒いけど健康によくてお金も節約になるのよ」と彼女はその方法を大変気にいっている様子であった。

でも、これから雪が積もって凍結でもしたら歩くのが大変だろうと、私はそんなバーマを私は健気に思った。

最初の2〜3日こそ外で食事をしていた彼女は、来てから2週間もしない内にはもう自炊に切り替えていた。

そこはやはり女性である。

エセルから前の下宿人がビールを冷やすためだけに使っていたというまだどこも悪くない冷蔵庫を借りて、そこに食料を買い込んでエセルが使った後のキチンで食事を作っていた。

彼女の生活は規則正しく、かつシンプルなものであった。

多分自分がまだ奨学金を貰っている学生であるということをはっきりわきまえていたのであろう。

もちろん夜遊びなどすることはなく、その生活態度はすこぶるまじめであった。

下宿にいるときのバーマは私やエセルと話しているとき以外はいつも画用紙に向かってポスターのイラスト作成に取り組んでいた。

彼女はなぜか部屋のドアを半開きにしていることが多く、私が入口のドアの方へ向かうとき、机の前でやや前かがみになった彼女の後姿を目にすることがよくあった。

そんなとき私はそっとそこへ入っていき、いたずら半分で彼女を後ろからぐっと抱きしめたいような衝動にかられていた。


クリスマスも間もない十二月の半ばとなると、いわゆるオフシーズンに入りヒルトンホテルの宿泊客も日を追って減ってきた。

この季節はどこのホテルでもそうだが、ビジネスの客を主体とするこのホテルでは特に落ち込みが激しかった。

その日遅出の勤務についた私は予約客リストを見ながら「今日も暇だな」と思った。

ざっと見てもピーク時の3割ぐらいしかリストは埋まっていなかった。

チーフクラークのフレディが始業前のミーティングで6人のルームクラークを前にして「今日は暇だから通常20分のコーヒーブレイクを倍の40分にする」と言ったので皆歓声を上げて喜んだ。

私を除きこの日の勤務に就いていた5人は皆それぞれ昼間は学校に通っていたり、もうひとつ別の仕事をもっていたりして、このヒルトンの仕事一本ではなかった。

概していつも体の疲れていた彼らにとって休み時間が長いことは大歓迎なのである。

でも別に体も疲れてはおらず、この頃になって仕事に面白みを感じ始めていた私としてはそんなことはどうでもよかった。

そうは思ってもせっかく部下に気を使ってくれているフレディの手前、皆と一緒に嬉しそうな顔をせざるを得ず、仕方なくぎこちない笑顔を浮かべていた。
                                         to be continued

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