2018年2月20日火曜日

無頼派作家 阿佐田哲也が遺した食レポのような作品・書評「三博四食五眠」 阿佐田哲也 幻戯書房


直木賞受賞の人気作家が書いた作品らしくない


初めに断っておきたいのですが、この作品がもし無名の作者によって書かれたものであれば、書評としてここで取り上げることはなかったでしょう。

なぜなら取り上げる価値がある良い作品とは思えないからです。

ではなぜ取り上げたからと言えば、直木賞を受賞し、人々によくその名を知られた人気作家の作品でありながら

あまりにもそれらしくないギャップがある作品で、その点が珍しいからです。

超ユニークなタイトルについて


まずこの本の中国語のようなユニークなタイトルですが、これはいったい何を意味するのでしょうか。

ひょっとして六字熟語かと思い、調べてみましたが、それらしきものを見つけることができず、どうやらそれではないようです。

表紙ではタイトルが二文字づつ縦書きされていますから、今度はそれを調べてみました。

でも三博,四食、五眠のいずれも、辞書を調べても答えは出てきません。いったいどんな意味なのでしょうか。今度は文字を分解して調べてみました。

まず三博について博の意味を調べてみましょう。

この場合「博」はバクと読み、かけ事を意味します。博徒、賭博、博才などの言葉を見ればそれがよくわかるはずです。

これが分かれば、著者の属性から類推すれば、後の四食、五眠は容易に理解できます。

つまり、一日に三度博打をして、食事を四回して、それを上回る五度も寝る、というような意味なのです。要は著者の日常生活を指しているのです。

なお著者が人一倍よく寝るのは、ナルコレプシーという「すぐに眠たくなる」やっかいな病気を抱えているからです。

この本はよく食べ良く寝て、ばくちに明け暮れる著者の日常を描いたものですが、三つの中でも最もウエートを置いて書いているのは「食べること」です。

したがってこの本は、今は懐かしい古き時代の「食レポ」と言ってもいいかもしれません。


阿佐田哲也 ペンネームの由来


阿佐田哲也のペンネームはよく面白ペンネームとしても取り上げられていることがあります。

どうしてついたのか、その由来がおもしろいからです。

代表作が「麻雀放浪記」であるように、この著者は無類のマージャン好きです。

その麻雀はしばしば徹夜をするぐらいです。ペンネームはここからきています。つまりマージャンで徹夜して朝だ。となるのです。


極めつけの悪文だが捨てがたい味がある


正直言ってこの作品は悪文だらけです。これが直木賞も受賞したあの大作家の文章だろうか?と初めから終わりまで疑問を感じながら読みました。

文章が下手で意味が分かりにくい箇所があまりにも多いのです。

でも捨てきれないのは、そこはかとなく人間味が溢れており、何とも言えない味があるからです。

悪文とは言葉の並びが悪かったり、意味不明の言葉があったり、言葉の誤用が多かったりするような文章です。

それだけでなく、辞書のどこを調べても出てこないような、著者が勝手につくったと思われる造語らしき言葉がしばしば出てくるのにも閉口します。

それに著者の偏った考えを堂々と主張していることが多いことも感心できません。

例を挙げればきりがありませんから、一つだけ挙げてみると次のような文章があります。

銀座や六本木には割に名の通った小上品な店があることは知っているが、焼き鳥というやつは、やはり何年も風呂に入らないような親爺が、炭の灰だらけになって焼いているような店でなければ面白くない≫ 120ページ4~6

30年近く前に亡くなった作家の作品がなぜいま出るのか?


それにしても30年近く前に亡くなった人の作品が何故今頃になって本として初めて出版されたのでしょうか。

これはあくまで推測ですが、いかに大作家が書いた作品とは言え、小説と違ってエッセイには書いた人の教養や知識が文章にモロに出るため

草稿を見た編集者が悪文だらけのこの作品の出来具合の悪さを認め、それ故に、著者の名誉のためにもと、これまで出版を控えてきたのではないでしょうか。

そうした作品が今回蛮勇をふるった一出版社によって世に出されたのです。

この作品ではありませんが、著者のある作品に対する読者の書評に次のよう文があります。


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文体は無骨である。いわゆる文学的な洗練さは、どこにもない。
いままでに文章をほとんど書いたことがない中年の男が、生まれてはじめて本当の気持ちを書こうとすると、こういった文体になるだろうと感じさせる。

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