2020年9月10日木曜日

本を売って酒代をつくっていた頃が懐かしい

 


若い頃 給料前の金がないときは古本を売ってしのいでいた

酒が飲みたくて飲み屋に行きたいのだが給料前で金がない。貯金もないので下ろせない。さてどうしよう。

なんとかして飲み代を作らなければ、質屋に行こうか、でもめぼしい質草がないので無理、他に方法はないか、そうだ本を売ろう、たまっている本を古本屋に持っていくのだ。

こんな結論に達して、私はよく古本屋へ通ったものです。まだ社会へ出て間もない20代前半のころの話です。

 

大阪駅地下にあった店は古本を高く買ってくれた

古本屋へよく通ったのは20代前半ですから昭和40年頃のことです。その頃は大阪中之島の都市ホテルでホテルマンとして働いていました。

西淀川区の叔母宅へ下宿しており、通勤にはトロリーバスを使って梅田まで出て、阪神デパートの前でちんちん電車に10分ほど乗って職場まで行っていました。

古本屋はその通勤途上の大阪駅の地下街にあったのです。

大阪駅の地下街といえば今はきれいなショッピングアーケードが広がっていますが、当時はそれほど整備されてはおらず、狭いエリアに種々雑多な商店街がひしめいており、単に地下にあるだけの平凡な商店街でした。

その店は古物商で、扱っているのは本だけでなく、カメラや貴金属もあったようです。

この店を選んだのは通勤途上で便利がいいだけでなく、こちらの期待以上に高く買ってくれたからです。

どれくらい高く買ってくれたかというと、例えば新刊書の売れ筋の本だと定価の70%ぐらいも出してくれるのです。つまり1000円で買ったものは700円、1500円だと1050円にもなるのです。

この金額、今の古本価格に比べると雲泥の差があります。今では、例えばブックオフとかの古本屋だと、新刊書でも買取価格は定価の1割り程度でしかありませんから、まさに比較になりません。

なぜそれほど高かったのかといえば、当時は新刊書の古本があまり出回っておらず希少価値があったからに違いありません。つまり、今と違って市場価値が高かったのです。

 

一番高く売れたのは平凡社の百科事典

時期はうんと後になりますが、30代の中頃に一度だけ随分高価で古本を売ったことがあります。

その時は大阪駅地下の店ではなく、桜橋の第三ビル1階にあった古書店です。

そのときは少しまとまったお金が必要でしたので、考えた末、苦労して月賦で買った平凡社の世界大百科事典を売ることにしたのです。

どこに売ったらよいかよくわからず、そうしたことに詳しい友人が教えてくれたのが大阪駅に近い桜橋にある古書店です。

その百科事典は日本で最も大きいと言われる全部で35刊にもなる豪華装丁のもので、購入価格は確か14万円ぐらいだったのではないでしょうか。

それほどの金額の高価な書物ですから、買取価格もある程度は期待しており、少なくても定価の2割以上はかたいだろう、と思っていました。

さて、いくらで買ってくれたかといえば、なんと期待額を大きく上回る5万5千円もだしてくれると言うではありませんか。

即座にOKの返事を出して売却したのは言うまでもありません。後にも先にも、これだけの金額で古本を売却した事は他にありません。

 

昔は本を売って生活費の足しにした作家が少なくなかった

今ではよく名の知れた文豪と呼ばれるような有名作家でも、まだ売れていない貧乏な時代がありお金に苦労したこともあるようです。

そうした作家のエッセイなどを読むと、お金がないとき金策に苦労した話がよく出てきます。

今のように消費者金融が発達していない時代ですから、金策のための選択肢は多くありません。

最も多いのは知り合いに借金を申し込むこと。次が質屋に行くこと。そして3番目は本棚においてある自分の蔵書を売ることです。

なんと行っても作家ですから本はたくさん持っています。その中から金になりそうなめぼしい物を選んで古本屋へ持っていくのです。

いや自ら行かなくても、事前にははがき1枚出しておけば、相手方が出張して取りに来てくれるところもあったようです。

いわゆるお得意さんになっているようなお店なのでしょうが、文豪と呼ばれる作家でもそんな懇意な取引先ができるほど頻繁に本を売っていたのです。

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